2009.11.01 Sunday
大浜飛行場跡
前々回とその前に大刀洗平和記念館とその周辺を紹介しましたが、その大刀洗へと行くきっかけとなったのが今回紹介する大浜飛行場です。
大浜飛行場は、熊本県の北部に位置する玉名市にあった旧陸軍の飛行場で、大刀洗陸軍飛行学校の大刀洗第三教育隊玉名教育隊として昭和19年3月に完成。入校した少年飛行兵たちは“赤とんぼ”と呼ばれた複葉機などで4か月の訓練を受けたのち、各航空隊に配属されていきました。終戦が近づく昭和20年の5月、大規模な爆撃を受け飛行場と付随施設は壊滅的な被害を受けます。教育隊は改編され鳥取県米子市へ移転し、飛行場は修復される間もなく終戦を迎えることに。
戦後は開拓され、飛行場は田畑や住宅地へと姿を変えてしまいますが、それでも格納庫や各施設の基礎部分など多くの遺構が残っています。とはいえ、それらは私有地の中であったり基礎として再利用されていたりして見つけることは非常に困難です。今回は「玉名市立歴史博物館こころピア」職員のTさんとAさんに案内していただき、現地を細かく見学することができました。
大浜飛行場の正門と案内板
正門の門柱が片方だけ残されています。脇には案内板も作られており、大浜飛行場の歴史と概要を知ることが出来ます。
大型格納庫Aの床コンクリート
大型格納庫の床とのことですが、これは言われなければ気が付きませんね。付近には格納庫の基礎や大きな扉のレール跡などが残されています。
大型格納庫Bの基礎部分
倉庫の基礎に組み込まれている大型格納庫の基礎。この周囲には扉のレール跡や井戸などの遺構も。いずれも個人宅の敷地内にあります。
大型格納庫Bに残る爆撃による傷跡
住宅の基礎に再利用されている格納庫の基礎。無数の傷穴は、爆撃時の爆弾破裂によるものです。
酒保(売店)の煉瓦塀と門柱
畑と住宅の境目にポツンと残る煉瓦塀と門柱。隊内生活で使う日用品を扱った売店の跡だそうです。
滑走路跡
飛行場敷地北側から南側を向いて。正面方向へ滑走路が延びていたそうですが、今やその面影はまったくありません。
上のGoogleマップは、玉名市立歴史博物館こころピアで発行している大浜飛行場のパンフレットを参考にして作成しました。青で囲った部分が飛行場の敷地で、縦横1500m×1000mあります。各マーカーをクリックすると、それぞれの遺構の写真を見ることができます。※北東側と南東側の境界と白枠の滑走路の位置は、私がパンフレットから推定したもので正確ではありません。
旧日本軍関連の施設は資料が残されていないことが多いそうで、この大浜飛行場も公的な資料はほとんど無かったとのことです。その様な中で、「玉名市立歴史博物館こころピア」職員のAさんは約30年にわたり地元で聞き取り調査を行い大浜飛行場の全容を調べあげられました。その成果はパンフレット(マップ)にもなっており、「玉名市立歴史博物館こころピア」にて無料で配布されています。今回紹介した遺構はそのほんの一部です。
お問い合わせは
■玉名市立歴史博物館こころピア
〒865-0016 熊本県玉名市岩崎117
電話0968-74-3989
Webサイト:http://www.city.tamana.lg.jp/kokoropia/kokoropia.html
当日案内していただいた博物館のTさん、Aさん、大変お世話になりました。この場を借りてお礼を申し上げます。
※私有地にある遺構は、必ず所有者の許可を得て見学してください。
【関連記事】
「雑記帳・大刀洗平和記念館」
【関連サイト】
「玉名市立歴史博物館こころピア」
大浜飛行場は、熊本県の北部に位置する玉名市にあった旧陸軍の飛行場で、大刀洗陸軍飛行学校の大刀洗第三教育隊玉名教育隊として昭和19年3月に完成。入校した少年飛行兵たちは“赤とんぼ”と呼ばれた複葉機などで4か月の訓練を受けたのち、各航空隊に配属されていきました。終戦が近づく昭和20年の5月、大規模な爆撃を受け飛行場と付随施設は壊滅的な被害を受けます。教育隊は改編され鳥取県米子市へ移転し、飛行場は修復される間もなく終戦を迎えることに。
戦後は開拓され、飛行場は田畑や住宅地へと姿を変えてしまいますが、それでも格納庫や各施設の基礎部分など多くの遺構が残っています。とはいえ、それらは私有地の中であったり基礎として再利用されていたりして見つけることは非常に困難です。今回は「玉名市立歴史博物館こころピア」職員のTさんとAさんに案内していただき、現地を細かく見学することができました。
大浜飛行場の正門と案内板
正門の門柱が片方だけ残されています。脇には案内板も作られており、大浜飛行場の歴史と概要を知ることが出来ます。
大型格納庫Aの床コンクリート
大型格納庫の床とのことですが、これは言われなければ気が付きませんね。付近には格納庫の基礎や大きな扉のレール跡などが残されています。
大型格納庫Bの基礎部分
倉庫の基礎に組み込まれている大型格納庫の基礎。この周囲には扉のレール跡や井戸などの遺構も。いずれも個人宅の敷地内にあります。
大型格納庫Bに残る爆撃による傷跡
住宅の基礎に再利用されている格納庫の基礎。無数の傷穴は、爆撃時の爆弾破裂によるものです。
酒保(売店)の煉瓦塀と門柱
畑と住宅の境目にポツンと残る煉瓦塀と門柱。隊内生活で使う日用品を扱った売店の跡だそうです。
滑走路跡
飛行場敷地北側から南側を向いて。正面方向へ滑走路が延びていたそうですが、今やその面影はまったくありません。
上のGoogleマップは、玉名市立歴史博物館こころピアで発行している大浜飛行場のパンフレットを参考にして作成しました。青で囲った部分が飛行場の敷地で、縦横1500m×1000mあります。各マーカーをクリックすると、それぞれの遺構の写真を見ることができます。※北東側と南東側の境界と白枠の滑走路の位置は、私がパンフレットから推定したもので正確ではありません。
旧日本軍関連の施設は資料が残されていないことが多いそうで、この大浜飛行場も公的な資料はほとんど無かったとのことです。その様な中で、「玉名市立歴史博物館こころピア」職員のAさんは約30年にわたり地元で聞き取り調査を行い大浜飛行場の全容を調べあげられました。その成果はパンフレット(マップ)にもなっており、「玉名市立歴史博物館こころピア」にて無料で配布されています。今回紹介した遺構はそのほんの一部です。
お問い合わせは
■玉名市立歴史博物館こころピア
〒865-0016 熊本県玉名市岩崎117
電話0968-74-3989
Webサイト:http://www.city.tamana.lg.jp/kokoropia/kokoropia.html
当日案内していただいた博物館のTさん、Aさん、大変お世話になりました。この場を借りてお礼を申し上げます。
※私有地にある遺構は、必ず所有者の許可を得て見学してください。
【関連記事】
「雑記帳・大刀洗平和記念館」
【関連サイト】
「玉名市立歴史博物館こころピア」