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九州の近代化遺産・産業遺産を見て・調べて・紹介!するブログ

「三井石炭原万田アパート」の門

 ユネスコの世界遺産暫定リストに記載された「九州・山口の近代化産業遺産群」のひとつであり国指定重要文化財でもある万田坑(熊本県荒尾市)が、大規模な補修工事を終え本日4月25日に一般公開されました。

 私は機会があるごとに何度も万田坑を訪れて見ていたのですが、周辺の公園化などその変わり様(コレについてはまたいつか)には毎回驚いておりました。それと同時に気になっているのは、最近になって周辺の“炭鉱遺産”がいくつか姿を消していっていること。

 今回のタイトルにある「三井石炭原万田アパート」の門もその一つです。当ブログで2007年7月に紹介していますが、アパートの入口に建てられた鉄製の門に「三井石炭原万田アパート」という文字が残されていました。初めて見た時には、“三井”という文字と“石炭”という文字が未だに残っていることに随分と感動したものです。

三井石炭原万田アパートの門

 国道208号を車で通っているとよく見えるので、いつもその前を通るときには存在を確認していました。それが先月(2010年3月)末に前を通ってみると無くなっているではありませんか。今年の2月にはあったのに…。見間違いか勘違いかとも思いましたが、門があった場所の地面には錆が作った赤いシミだけが残っていました。老朽化による倒壊の危険があったのかもしれませんが、こうしてひっそりと「石炭」の文字が消えていくのは寂しいものですね。

【関連記事】
「雑記帳:三井石炭原万田アパート
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明治佐賀炭鉱 ※補足

 佐賀県多久市にある明治佐賀炭鉱を紹介した記事をご覧頂いた方から、「坑口は見ましたか?」というメールをその写真と共に頂きました。驚きながらも調べてみたところ、確かに2か所の坑口が残されていることを確認しました。郷土史関連の資料などにはその事が書かれているようですが、知らなかっただけにこの事実にはとても驚きました。現存する数少ない坑口ですが、現在は民間企業の工場施設内ということもあり詳細は非公開です。

【関連記事】
雑記帳・明治佐賀炭鉱
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明治佐賀炭鉱

 佐賀県多久市のJR多久駅近くにある三菱古賀山炭鉱を以前紹介しましたが、その下調べの際に「国土情報ウエブマッピング・多久市の航空写真」を見ていて別の場所(多久駅から西へ約1km)にもボタ山を見つけました。ここは明治鉱業株式会社の明治佐賀鉱業所の跡で、現在でも地名として「明治佐賀」の名前が地図に記されています。

多久駅の西側(1974年)

↑白枠部分を拡大↓

明治佐賀炭鉱(1974年)

 大小複数のボタ山の他にホッパーと思われる構造物や、東南の方向には社宅と思われる住宅群も見えます。ホッパーが見える白枠部分を以下に拡大↓

明治佐賀炭鉱のホッパー(1974年)

 1974年当時の写真で見る限り、ホッパー以外には目立つ構造物を見つけることはできません。このホッパーを手掛かりに現地へ向かいました。

 現在、明治佐賀炭鉱の跡地はセメント工場や製砂工場などになっており、ボタ山も整地されてゴルフ場になっています。ゴルフ場にボタ山の痕跡を見つけることはできませんが、工場には何やら…。

 工場南側の道路から敷地内の施設を見渡すことが出来るのですが、その中に2基のホッパーを見つけることで出来ました。上の写真の「ホッパーその1」、「ホッパーその2」共に、その位置にあたる場所に現在もホッパーを見ることができます。また地元の方のお話からも、明治佐賀炭鉱時代のホッパーだと証言を得ることが出来ました。

明治佐賀炭鉱跡地に残るホッパーその1(現在)
ホッパーその1(現在)

 屋根がついていますが、その下にはコンクリート製のホッパーの姿が見えています。転用されて現在も使われているようです。

明治佐賀炭鉱跡地に残るホッパーその2(現在)
ホッパーその2(現在)

 こちらのホッパー(貯炭ポケット?)はハッキリとその姿を見ることができます。後ろに見える丘は元々ボタ山だったところで、現在はゴルフ場。

 ところで、この2基のホッパーはほぼ直線上に並んでおり、その直線の延長線がカーブを描きながら多久市の中心部へと延びています。1974年当時の航空写真では道路となっている部分ですが、この線形をよくよく見てみるとホッパーと多久駅が繋がっているではありませんか!現時点では資料もなく確証はありませんが、多久駅から明治佐賀炭鉱まで鉄道(貨物)の引込線があったと考えて間違いないでしょう。

多久駅から明治佐賀炭鉱までの引込線
赤点滅の線が引込線と思われる

 下調べでは全く気付かず、現地で初めてこの線形に気付いて一人大興奮で跡を辿りました(笑)。線形は道路としては途切れている部分もありますが、建物の間隔が不自然に開いていたりするので簡単に辿ることができます。
 
 明治佐賀炭鉱については三菱古賀山炭鉱と同じく、現存する遺構の確認だけしか行なっていませんが、多久市周辺の他の炭鉱も含めて資料・記録などからも今後は調べてみたいと思っています。


 青線が引込線予想図。地図左側の2つのマーカーが現存する明治佐賀炭鉱のホッパー。右端に見えているマーカーは三菱古賀山炭鉱のホッパーと関連施設。

※以下は6/16追記
 佐賀県多久市にある明治佐賀炭鉱を紹介した記事をご覧頂いた方から、「坑口はご覧になりましたか」というメールをその写真と共に頂きました(Tさん、ありがとうございました)。驚きとともに調べてみたところ、確かに2か所の坑口が残されていることを確認しました。郷土史関連の資料などにはその事実が書かれているようですが、知らなかっただけにこの事実にはとても驚きました。現存する数少ない坑口ですが、現在は民間企業の工場敷地内ということもあり詳細は非公開です。


【関連記事】
雑記帳・三菱古賀山炭鉱 ホッパーと関連施設
雑記帳・三菱古賀山炭鉱 竪坑櫓
雑記帳・JR多久駅の鉄橋群

【関連サイト】
日本炭鉱公団」> 第一鉱業所 > 九州の炭鉱 > 佐賀 > 明治佐賀炭鉱
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三菱古賀山炭鉱 ホッパーと関連施設

 多久駅で1890年製のプレートガーダ橋を発見するという思わぬ収穫がありましたが、ここ多久市に来た本来の目的は炭鉱遺構を見て回ること。さてと、それらしいものは…と探すことなく、多久駅に来ればドーンと目に飛び込んでくるのがこの大きなホッパー。多久市の東部に竪坑櫓が現存する、三菱古賀山炭鉱の積み出し施設です。

三菱古賀山炭鉱 ホッパー

 多久駅の東側に多久市無料駐車場があり、そこから線路越しに巨大なホッパーの全体を見ることができます。ホッパーの奥にも廃墟となったビルが見えており、まとまって多くの遺構が残っているようです。

 読売新聞Webサイトにある「空撮タイムマシン・多久市」では昭和39年の多久駅周辺の空撮写真が紹介されており、当時の線路と炭鉱施設との位置関係がよくわかります。また事前にGoogleマップや国土画像情報(記事末に掲載)で下調べをして出かけたのですが、それらにもハッキリとホッパーや関連施設、シックナーやボタ山が写っています。それらから判断するとホッパー裏手左側の丘はボタ山でしょうか。

三菱古賀山炭鉱 ホッパーとボタ山

 ホッパーやその向こう側に見えるコンクリートの廃墟に近づきたいのですが、手前はJR唐津線の軌道敷で立ち入れません。反対側に回り込んでみると、ホッパーや関連遺構は産廃処理業者の工場敷地の中に。今回、許可を頂き関係者同行で中を案内して頂きました。

三菱古賀山炭鉱 ホッパーを近くから

 ホッパーの裏側。周囲にはリサイクルを待つ巨大な金属塊が隙間無く積まれており、これ以上近づくことができません。

三菱古賀山炭鉱 施設跡

 線路の反対側から見たときに、ホッパーの奥に見えた廃墟となったビルです。中央奥の部分と合わせて、おそらく選炭施設や工場、事務所などに使われていたのでしょう。内部へ入ってみたかったのですが、ホッパー同様に内部まで金属資源が積まれており立ち入ることはできませんでした。

三菱古賀山炭鉱 施設跡のビルにはエレベーターがあった

 地元の方の話によると、上の写真右側、建物の塔の部分にはエレベーターがあったそうです。「日本で初めて三菱製のエレベーターが取り付けられた建物だと聞いたことがある」ということでした。建物左側には鉄骨が組まれていますが、これは現所有者によって後から作られたもの。当時のままではなく、部分的に形を変えているようです。

多久駅周辺の三菱古賀山炭鉱遺構

上の航空写真と下のGoogleマップは同じ場所です。左上の隅には前回紹介したプレートガーダ橋群が見えます。また、ボタ山の麓にあるシックナー(円形の構造物)は現存するようですが、今回は確認していません。


 今回紹介した線路沿いのホッパーも、駅周辺再開発により2、3年の内に解体されるという話を現地で聞きました。再開発計画がどのようなものか詳細は調べていませんが、現状を見てみると結構進行しているようです。もう少し早い時期に訪れていたら…、そう思うと残念です。

【関連記事】
雑記帳・三菱古賀山炭鉱 竪坑櫓
雑記帳・JR多久駅の鉄橋群

【関連サイト】
読売新聞」> 九州発 > 空撮タイムマシン > 多久市
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麻生産業山田炭鉱 再訪

 索道支柱を見たついでに、麻生産業山田炭鉱跡へ。前回訪れた時にボタ山跡の森の中にホッパーを見つけたのですが、付近の工事の為近づくことができませんでした。まだ残っているのか、これまたドキドキ。

麻生産業山田炭鉱のホッパー

 ホッパー周辺の工事は終り、立派なグラウンドが完成していました。それに伴いホッパーは取り壊されたか?とも一瞬思いましたが、その奥にそのまま残っているようで一安心。しかし…。グラウンドでは大勢の保護者も一緒になって、熱心に子どもたちに野球の指導をしています。ホッパーに近づくためには保護者達がいるグラウンドの脇を通らなければなりません。怪しまれるだろうなあ…。

 野球少年たちとその保護者大勢の挨拶(質問にも)に笑顔で応え、無事にグラウンドの奥へ。ホッパーへは何の障害もなく近づけるようです。

麻生産業山田炭鉱のホッパー

 近づいてみると結構デカイです。ホッパー下部は土砂で埋もれていますが、グラウンドから見ると4〜5階建てのビルぐらいには感じます。

麻生産業山田炭鉱のホッパー

 ホッパー下部を覗いてみると、奥行きも結構あるようです。見た感じクラックやコンクリートの剥離もなくしっかりとしています。

麻生産業山田炭鉱のホッパー周辺

 ホッパー脇の斜面には、藪に埋もれながらも硅化木で出来た石垣や、ベルトコンベアーの支柱と思われるコンクリート柱など多くの遺構が残っていました。


 今回訪れたホッパーは赤いマーカーの場所。東側の道路から見ると野球グラウンドのネットの向こう側に見えています。

【関連記事】
雑記帳・麻生産業山田炭鉱
雑記帳・麻生産業山田炭鉱の索道について
雑記帳・麻生産業山田炭鉱 索道支柱

【関連・参考サイト】
ALL-A」> 麻生 山田炭鉱01020304
ALL-A」> 麻生 山田炭鉱 索道の支柱
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麻生産業山田炭鉱 索道支柱

 以前、福岡県久山町の麻生産業山田炭鉱を紹介したのですが、その直後、記事を読まれた方からメールにて関連情報を頂きました。麻生産業山田炭鉱では、近隣の鉄道までの石炭輸送をよくある鉄道引き込み線でなく、索道(ロープウエイ)で行なっていました。軌道敷が線で残る鉄道と違い、点(支柱とケーブル)で繋ぐ索道は廃止後その痕跡はほとんど残りません。今回の情報は、まさにその“点”が残っているということ。麻生産業山田炭鉱から約4キロも離れた場所に、索道の支柱が現存しているという情報を写真付きで頂きました。Tさん、ありがとうございました。またALL-Aでも索道支柱が紹介され、参考にさせていただきました。

 それから随分と時間が経ってしまいましたが、この度ようやく見に行くことができました。この手のものは、何時取り壊されて姿を消しても不思議ではありません。少し時間もあいてしまったのでドキドキして現地へ向かったのですが、あっさりとその姿を見つけることができました。

麻生産業山田炭鉱の索道支柱

 何かに転用されている様子もなく、畑の角に静かに建っています。近くに住んでいる人に話しを聞くことができましたが、確かにこの鉄塔が索道の支柱とのことでした。

麻生産業山田炭鉱の索道支柱

 表面は見事に錆びていますが、腐りや曲がりなどもなくしっかりとしています。言われなければ索道の支柱とは気付きませんね。T字型の上部にはワイヤーを保持する部品などが取り付けられていたのでしょうか。

麻生産業山田炭鉱の索道支柱

 奥の電力線用の鉄塔に比べるととても小さなものですが、何も支えていない真っ赤な(真っ黒にも見える)この鉄塔は意外と存在感があります。

 鉄塔はここ1か所しか残っていませんが、地道に探せば鉄塔のコンクリート基礎ぐらいはどこかに残っていそうですね。見つけるのは地味で大変なことだとは思いますが…。


 上記地図の右上に幾つか集中しているマーカーが麻生産業山田炭鉱の跡地です。地図下側のマーカーが今回の鉄塔。おそらく索道は、炭鉱と香椎線の土井駅付近を結んでいたものと思われます。となると、その線上には支柱基礎などが残っていても不思議ではありませんね。

【関連記事】
雑記帳・麻生産業山田炭鉱
雑記帳・麻生産業山田炭鉱の索道について
雑記帳・麻生産業山田炭鉱 再訪

【関連・参考サイト】
ALL-A」> 麻生 山田炭鉱01020304
ALL-A」> 麻生 山田炭鉱 索道の支柱
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三井三池炭鉱大浦坑

 三井三池炭鉱の坑口の中でも最古級の大浦坑。安政4年(1857年)に開坑し、明治6年からの官営時代を経て三井に払い下げられた後、大正15年に閉坑しました。その大浦坑の記念碑が、旧三井港倶楽部の敷地片隅に建っています。

旧三井港倶楽部に残る大浦坑遺構

 コンクリートの台座の上に煉瓦のアーチ。台座部分に埋め込まれている石板には大浦坑の大まかな歴史のようなことが書かれていました。

旧三井港倶楽部に残る大浦坑遺構

 何時、どのような経緯で建造されたのか、煉瓦部分は当時の遺構なのかなど、詳しいことはわかりません(汗)。「大浦坑遺址」の隣には、閉坑された年月の「大正十五年二月」と「団琢磨」の文字も。ん?「大浦坑遺址」ってことは、元々この記念碑は大浦坑の跡地にあったのではないでしょうか?何故ここに?ところで大浦坑ってどこだろ?そう思ってWeb上で検索してみると…。

 閉坑してから82年。坑口の痕跡は残っているはずもないと思っていたところ、Webサイト「日本の鉱山」で紹介されていました。なんとゴミ埋立処分場になってしまっているにも関わらず、その坑口の痕跡がちゃんと残っているようです。今回はそれを参考にさせていただき、現地を訪れてみました。

三井三池炭鉱大浦坑

 谷間を埋め立てるように造られた「大牟田市一般廃棄物最終処分場」のコンクリート壁に残るのが、第一斜坑の痕跡。随分手前でゲートがあり近づくことはできませが、金網越しにその痕跡を見ることはできます。

三井三池炭鉱大浦坑

 ダムのような巨大なコンクリート擁壁の下端に、わざわざコンクリートで庇のようなものが作られているのが、どういう意味なのか気になります。よく見ると庇の内側のコンクリート壁は色が違うので、はじめは坑口が開いていたのかも。

三井三池炭鉱大浦坑第二斜坑跡

 数十メートル離れた場所にあるのが第二斜坑のようです。こちらも閉塞されていますが、コンクリートの色合いから見て閉塞されたのはそんなに昔ではないのでは。

 現地を訪れてみて思ったのですが、旧三井港倶楽部にある大浦坑の記念碑は、埋立処分場の建設に伴って現在の場所に移設されたのではないのでしょうか。坑口跡の近くに残しておいても良かったと思うのですが、周辺は清掃事務所や市の施設などが密集して造られたので移設されたのかも。ご存知の方いますか?



【参考・関連サイト】
日本の鉱山」> 福岡県 > 三井三池炭鉱 > 坑口マップ > 大浦坑

【関連記事】
マップ・旧三井港倶楽部
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麻生産業山田炭鉱の索道について

 前回紹介した「麻生産業山田炭鉱」について、メールで情報を頂きました。山田炭鉱では一般的な軌道でなく、索道(ロープウエイ)で運炭が行なわれていたようですが、その索道の支柱が1本現存しているとのこと。そう言えばALL-Aのタケさんもそんなことを言っていたような(汗)。今回写真まで送って頂いた巧也さんありがとうございました。是非現地へ行ってみたいと思います。

 また山田炭鉱の以下のコンクリート遺構は「福岡の近代化遺産・弦書房」に「ケーブル脚」として紹介されていました。

麻生山田炭鉱

 おそらく索道支柱の基礎部分のことだと思います。現地に行く際は、手持ちの書籍にもちゃんと目を通しておかないといけませんね(このフレーズ何度目だ・汗)。

【関連記事】
雑記帳・麻生産業山田炭鉱
雑記帳・麻生産業山田炭鉱 索道支柱
雑記帳・麻生産業山田炭鉱 再訪
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麻生産業山田炭鉱

 福岡市近郊には数多くの炭鉱がありましたが、現在ではそのほとんどが痕跡もなく消えてしまっています。そんな中、久山町にある麻生産業山田炭鉱跡では、今もなお多くの遺構を見ることができます。

 複合商業施設のトリアス久山から2km弱の山間にある麻生山田炭鉱。ALL-Aのタケさんに教えてもらってその存在を知ったのですが、私が強く興味を持ったのが「ボタ山では自然発火した石炭が今でも煙を出してる」という話。海外の炭鉱跡が自然発火で燃え続けているのをテレビで見たことがあるのですが、規模こそ違えど福岡でもそのような話があるのかととても驚きました。これは自分の目で確かめなくてはなりません。先月、所用のついでで夕暮れ時になってしまいましたが行くことができました。

麻生山田炭鉱跡の昭和49年の航空写真

 事前に所在地だけでも確認しようと、ウェブマッピングシステムにて久山町の昭和49年の航空写真をチェックします。すると山陽新幹線の高架の北側に簡単にボタ山を発見。周囲には選炭施設と思われる建物や、社宅のような建物も見ることができます。


 そして同じ位置の現在の様子をGoogleマップで確認します。ボタ山はある程度整地されているようですが、周囲の緑の中にホッパーのような遺構の姿を確認できました。敷地のほとんどが緑の森となっているようですが、ボタ山から昇る煙を期待して現地へと向かいました。

麻生山田炭鉱

 東南の方向から山陽新幹線の高架越しに見た麻生山田炭鉱跡。左手の山頂付近に見える剥き出しの土手がボタ山の跡のようです。右手の中腹あたりに緑に包まれたコンクリートの選炭施設の跡が見えます。

麻生山田炭鉱

 麓まで行くと、道路のすぐ脇にまでコンクリートの巨大な遺構があります。炭鉱跡地の中へと道路は続いていますが、車止めが造られていました。

麻生山田炭鉱

 遠くから見えていた選炭施設の跡と思われるコンクリート遺構。ハッキリ言って来る季節を間違えたようです。藪が深く容易に近づくことができません。

麻生山田炭鉱

 選炭施設の裏手の斜面を登ると、独特な匂いと共にこのような光景が広がっていました。確かに地中から煙が出ています。枯れ草が黒くなっているのは燃えたのではなく、タールか煤かが付着しているようです。私は石炭が燃えた時の匂いを知らないのでなんとも言えないのですが、煙の匂いは“石油系”のもののようです。例えようがないのですが、強いて言うならアスファルト工事の時の匂いに近い感じがしました。ボタ山の頂上部分は平らに整地されていたのですが、このように今でも煙が上がっているのは驚きですね。

麻生山田炭鉱

 ボタ山を下りて周囲を散策していて見つけた遺構。ホッパーだと思うのですが、かなり大きな構造物です。ただ周囲を整地する工事の最中らしく、近づくことができませんでした。取り壊されなければもう一度見てみたいです。

麻生山田炭鉱

 整地工事の場所は周囲を古い石垣が囲んでいたので、炭鉱関連の跡地だと思われます。付近の藪にはこのような不思議な形をした建物もありました。

 麻生山田炭鉱の操業当時の様子や歴史などはこれから調べてみようと思っているのですが、ちょっと調べただけでも久山町には他にも幾つかの炭鉱があったことが分かりました。ひとつひとつ調べて行けばいいんですが、次から次へと気になることが出てきますね(笑)。

【関連記事】
雑記帳・麻生産業山田炭鉱の索道について
雑記帳・麻生産業山田炭鉱 索道支柱
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【関連サイト】
ALL-A」> 麻生 山田炭鉱01020304
ALL-A」> 麻生 山田炭鉱 索道の支柱
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三井山野鉱業学校練習坑道

 小舟鉱業所新坑からすぐ近くの所に、稲築町(現・福岡県嘉麻市)町制40周年記念公園があります。小高い丘全体が公園になっており、その丘の麓に三井山野鉱業学校の練習坑道が残っています。

三井山野鉱業学校練習坑道

 練習坑道の入口は、雑草に埋もれるように遊歩道の脇にありました。脇には簡単な説明が書かれた案内板も立てられています。

三井山野鉱業学校練習坑道

 案内板によると、三井山野鉱業学校とは山野炭鉱の中堅技術者育成を目的とした学校で、この練習坑道はその生徒達が採鉱実習で昭和32年から3年かけて作ったそうです。完成後は木枠組や採掘などの実習、坑内火災などの災害救助の訓練に使われていましたが、昭和36年1月に同校は閉校に。しかしその後も昭和48年まで、坑内災害の救助活動訓練に使われていたそうです。救助訓練といえば、直方市石炭記念館の訓練坑道も現存していますが、全ての坑道が実際に地下に作られている点が異なります。

三井山野鉱業学校練習坑道

 柵の隙間から覗いた坑道内の様子。石炭を積んだトロッコや坑木などが見えます。内部の一般公開などがあれば面白そうですね。

三井山野鉱業学校練習坑道

 こちらは丘の中腹にある、もうひとつの坑口。練習坑道には高さの違う2つの坑口があり、それぞれから水平坑道が伸びています。その高さの異なる水平坑道を、斜坑(斜度11度)と切羽(斜度13度)が結んでおり、ロの字の形に坑道が繋がっています。

三井山野鉱業学校練習坑道

丘の頂上部付近にあるコンクリートの構造物。特に説明はありませんが、おそらく練習坑道の換気口だと思われます。


 同公園内には、小舟鉱業所が山野炭鉱に合併吸収されるきっかけとなった、昭和40年の山野炭鉱ガス爆発事故(237名死亡)の慰霊碑もあります。


【関連記事】
雑記帳・小舟鉱業所新坑坑口
雑記帳・直方市石炭記念館

【関連サイト】
日本の鉱山」> 福岡県 > 三井山野炭鉱 その3
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