2010.05.26 Wednesday
城山銅山跡
3月に行なわれた熊本産業遺産研究会の「城山銅山跡見学会」に参加しました。熊本県益城町にある城山銅山は、江戸時代末期から昭和初期まで操業していたといわれ、金山川が造る深い谷に沿って坑口から選鉱施設、精錬所などがありました。また、大正時代には日本窒素肥料株式会社も経営に加わり、最盛期には200名が働くほどの規模があったそうです。
しかし、現在はそこへ行く道すらない状態。ただ鉱山からは麓まで軌道があったということで、今回は城山銅山に詳しい地元の方の案内でその跡を辿って山中を進みました。
麓にある津森の集落から四輪駆動車で作業道を登っていきます。作業道は軽自動車がギリギリで通れる幅になり、ほどなく行き止まりに。その先にうっすらと“鉱山の軌道跡”が伸びていました。このようなロケーションですので森林鉄道と雰囲気が随分と似ています。所々路盤が崩壊している部分もありましたが、なんと今回案内して頂いた方が事前に藪などを払っておられていたとのことで、実にスムーズに軌道跡をトレースできました。ただ軌道跡とはいえ、レールや枕木などは発見できず残念!
歩き始めて20分ほどで、軌道跡以外にもなにやら人工的な地形が。上の写真はどうしてこのような形になったか分かりませんが、高く斜面に積み重なった鉱滓の山です。森の中を見渡すと、付近には無数の鉱滓の山がありました。
この鉱滓地帯の上側には大きな沈殿槽も。大きさは25メートルプールより少し小さい位でしょうか。写真奥には垂直に立った水槽の壁が見えます。
おそらく選鉱施設や精錬所があったと思われるこの場所には、写真のような石垣が広範囲に残っています。谷あいにありながら、ここだけ広い平場があるので色々な施設があったのかも知れません。
人工的なものは石垣しか残っていませんが、参加者全員で付近を散策してみると湯飲みや茶碗、皿のかけらや、煉瓦や碍子などが見つかりました。
平場から更に数分進むと、軌道跡は山の斜面に消えてしまいます。その斜面を滑落しないよう注意しながら探索すると、このような坑口にたどり着きました。現在確認されている坑口は7か所。ただし本坑なのか試掘坑なのかはわかっていません。坑口はいずれも岩盤むき出しの状態で、一見すると自然の地形に見えることも。しかし内部に入ってみると、それが人の手によって掘られたことがわかります。幾つかの坑道に少しだけ入ってみました。
全ての坑道ではありませんが、このように内部の形状が矩形になっている部分も。坑道内部は足元に堆積物があるためか天井が低く、身長178センチの私でも大部分で直立することは出来ませんでした。
ほとんど朽ちて落下してしまっていますが、このように坑木もしっかりと残っています。それにしても強烈なカビ臭とアンモニア臭がミックスされた臭いが鼻を突きます。よくよく足元をライトで照らしてみると分厚く堆積したコウモリの糞に両足が沈んでいます。
中腰の姿勢で顔を上げると、目と鼻の先にはコウモリがビッシリ。こんなに大量のコウモリに出くわすこともないので、思わず写真に撮っちゃいました(笑)。
城山銅山で働いていた人々は、麓の集落の人々とは交流がなかったといいます。鉱山の周辺で生活をしていたと考えられますが、まだその住居跡などは見つかっていません。また、鉱山の動力源として水力発電所が作られていたそうですが、そこへも未到達です。まだまだ全体像が明らかになっていない城山銅山跡。これから先にも大発見があるかも知れませんね。研究会のYさん、みなさん、案内して頂いたTさんと弟さん、この度は大変お世話になりました。
地図はおおよその位置。現場は急な斜面で、現状では非常に危険です。万が一何かあっても、まず人が来るような場所ではないので見学はオススメできません。
【関連サイト】
「益城町」> 観光マップ > 城山銅山跡
※観光マップに載せられても…。ガッツのある観光客向きなのかな?
「熊本県高等学校教育研究会-地学」> 熊本地質ガイド
※地図中の「益城」をクリック→次ページ地図中の「木山鉱山」と「城山鉱山」をクリック
しかし、現在はそこへ行く道すらない状態。ただ鉱山からは麓まで軌道があったということで、今回は城山銅山に詳しい地元の方の案内でその跡を辿って山中を進みました。
麓にある津森の集落から四輪駆動車で作業道を登っていきます。作業道は軽自動車がギリギリで通れる幅になり、ほどなく行き止まりに。その先にうっすらと“鉱山の軌道跡”が伸びていました。このようなロケーションですので森林鉄道と雰囲気が随分と似ています。所々路盤が崩壊している部分もありましたが、なんと今回案内して頂いた方が事前に藪などを払っておられていたとのことで、実にスムーズに軌道跡をトレースできました。ただ軌道跡とはいえ、レールや枕木などは発見できず残念!
歩き始めて20分ほどで、軌道跡以外にもなにやら人工的な地形が。上の写真はどうしてこのような形になったか分かりませんが、高く斜面に積み重なった鉱滓の山です。森の中を見渡すと、付近には無数の鉱滓の山がありました。
この鉱滓地帯の上側には大きな沈殿槽も。大きさは25メートルプールより少し小さい位でしょうか。写真奥には垂直に立った水槽の壁が見えます。
おそらく選鉱施設や精錬所があったと思われるこの場所には、写真のような石垣が広範囲に残っています。谷あいにありながら、ここだけ広い平場があるので色々な施設があったのかも知れません。
人工的なものは石垣しか残っていませんが、参加者全員で付近を散策してみると湯飲みや茶碗、皿のかけらや、煉瓦や碍子などが見つかりました。
平場から更に数分進むと、軌道跡は山の斜面に消えてしまいます。その斜面を滑落しないよう注意しながら探索すると、このような坑口にたどり着きました。現在確認されている坑口は7か所。ただし本坑なのか試掘坑なのかはわかっていません。坑口はいずれも岩盤むき出しの状態で、一見すると自然の地形に見えることも。しかし内部に入ってみると、それが人の手によって掘られたことがわかります。幾つかの坑道に少しだけ入ってみました。
全ての坑道ではありませんが、このように内部の形状が矩形になっている部分も。坑道内部は足元に堆積物があるためか天井が低く、身長178センチの私でも大部分で直立することは出来ませんでした。
ほとんど朽ちて落下してしまっていますが、このように坑木もしっかりと残っています。それにしても強烈なカビ臭とアンモニア臭がミックスされた臭いが鼻を突きます。よくよく足元をライトで照らしてみると分厚く堆積したコウモリの糞に両足が沈んでいます。
中腰の姿勢で顔を上げると、目と鼻の先にはコウモリがビッシリ。こんなに大量のコウモリに出くわすこともないので、思わず写真に撮っちゃいました(笑)。
城山銅山で働いていた人々は、麓の集落の人々とは交流がなかったといいます。鉱山の周辺で生活をしていたと考えられますが、まだその住居跡などは見つかっていません。また、鉱山の動力源として水力発電所が作られていたそうですが、そこへも未到達です。まだまだ全体像が明らかになっていない城山銅山跡。これから先にも大発見があるかも知れませんね。研究会のYさん、みなさん、案内して頂いたTさんと弟さん、この度は大変お世話になりました。
地図はおおよその位置。現場は急な斜面で、現状では非常に危険です。万が一何かあっても、まず人が来るような場所ではないので見学はオススメできません。
【関連サイト】
「益城町」> 観光マップ > 城山銅山跡
※観光マップに載せられても…。ガッツのある観光客向きなのかな?
「熊本県高等学校教育研究会-地学」> 熊本地質ガイド
※地図中の「益城」をクリック→次ページ地図中の「木山鉱山」と「城山鉱山」をクリック