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九州の近代化遺産・産業遺産を見て・調べて・紹介!するブログ

三菱重工 地下工場

 戦時中の熊本市には、爆撃機「飛龍」を生産した三菱重工熊本航空機製作所の大規模な工場がありました。現在、敷地跡の半分が陸上自衛隊健軍駐屯地(西部方面総監部)となり、三菱時代の工場建屋(詳細はコチラ)が倉庫などに転用されて現在も残されています。 

 当時の工場は巨大なうえに爆撃機を生産していたので、当然アメリカ軍の攻撃目標になります。実際に攻撃も受けており、施設被害だけでなく約30人の死傷者も出たとのこと。そこで工場は疎開と分散をすることになり、その一部は地下工場となりました。

「地元熊本に三菱重工の地下工場があったのか!」と、その事実を知ったときには随分と驚きました。小規模な地下工場跡は既にいくつか発見されていますが、“まだ発見されていない大規模な地下工場がある”という情報もあり更にビックリ。軍需工場だった三菱重工の地下工場、言ってみれば“飛行機を作っていた秘密工場”が今も地下で眠っているわけです。

 と、そんなことを考えて間もない去年の2月のこと。地元新聞に「熊本市に地下工場跡・県内最大規模・三菱重工地下工場、熊本市龍田町で見つかる」と大きく報じられました。これは「熊本の戦争遺跡研究会」が聞き取りなどにより発見したもので、その調査を伝える記事には巨大な地下空間の写真も掲載されています。やっぱりあったんだ!と驚いたと共に「コレは是非とも実物を見てみたい」と思っていたところ、なんとその測量調査に同行させて頂くことができました。(研究会のT先生、ありがとうございました。)

 地下工場への入口は、こんなところに!?と思うような住宅地奥の竹林内にあります。現在は種芋の保管庫として利用されているとのこと。

三菱地下工場

 私有地の中ということもあり、人目にはつかない場所です。芋の保管庫として使われているために、内部には簡単な照明が設置してありました。

三菱の秘密地下工場の入口

 軽自動車と入口の比較。軽自動車であれば入ってしまいそう。

三菱地下工場

 同方向を向いた入口4か所を、一旦この矩形の通路が接続しています。そして、この通路の横方向に大空間が広がっています。(下記平面図で左右方向を結ぶ一直線の通路部分)

三菱地下工場

 写真から空間の大きさが伝わるでしょうか。奥で男性が脚立の上に立って、測量しています。左手のコンテナは芋の保管用。岩盤に掘られたものなので天井・壁面もしっかりとしています。床面は全面コンクリート。

三菱地下工場

 高さ約4.3m、幅約4.7m、長さ約20mのこのような空間が2つあり、90度に近い角度でVの字の形になって繋がっています。


 地下工場の平面図。手前(下側)に4つの入口があるのがわかります。

三菱地下工場

 上の写真はVの字の角(上記平面図の三角頂点部分)から広角レンズ(10mm・Nikon D300)で撮影。その空間の広さと地下壕としての作りの良さがわかると思います。天井や床、壁面の仕上げも良く、また照明の効果もあると思いますが、地下壕にありがちな気味悪さは全くありません。

 この地下工場は、飛龍のエンジンの組み立てと整備を行なうための工場として、昭和20年の春ごろに掘られたとのこと。工場付近の民家の納屋には数機分のエンジンが届いており整備を待っていたそうです。しかし、工場完成の直前になって終戦を迎えることになり、実際にこの地下工場が稼動することはありませんでした。

三菱地下工場

 さて、今回紹介した三菱重工地下工場は、昨年12月に発売された「熊本の戦争遺跡」(編集:熊本の戦争遺跡研究会)にて詳しく紹介されています。同書は熊本県内に残る戦争遺産を綿密な調査でまとめたもので、貴重な写真が数多く掲載されているだけでなく、当時を知る関係者の証言、測量調査による図面など、驚くほど詳細な情報が載せられています。
「熊本の戦争遺跡」熊本の戦争遺跡研究会編
2010年12月1日発行
A4判 212頁 定価:1,890円
編集 熊本の戦争遺跡研究会
発行 創想舎
 熊本県内では紀伊國屋書店などの大型書店で購入することができます。戦時の中での“意外な熊本”を知ることができるオススメの一冊です

【関連記事】
「雑記帳:旧三菱重工熊本航空機製作所

【関連サイト】
ホープ印刷」> 『熊本の戦争遺跡』刊行のご案内

【参考資料】
「熊本の戦争遺跡」編集:熊本の戦争遺跡研究会
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下滝下発電所

 日窒(旭化成)関連の発電所の紹介も一区切りついたので少し違うジャンルのネタを…と思っていたのですが、最近Twitterにて「九州には木造の発電所はありますか?」という質問を頂きました。木造の水力発電所といえば“廃”発電所の鮎帰発電所を思い出しましたが、現役のものとなると…。ひとつだけ心当たりがあります。

 実は以前紹介した馬見原発電所を見に行った際、周辺を散策していて偶然にも小さな木造の水力発電所を見つけていました。国土地理院1/25000地形図にも掲載されておらず、事前にその存在を全く知らなかったので現地ではとても驚き興奮したのは言うまでもありません(笑)。

 その発電所とは、九州電力の「下滝下発電所」です。企業の自家用発電所なら有り得ると思っていた木造建屋ですが、まさか九州電力にその様な発電所が残っていたとは。電力会社の発電所は機器更新などで古い時代の建屋が残っていないという固定観念があったため、今まで九州電力の発電所はほぼノーマークでした。やはり様々な方向をチェックしていないといけませんね。

下滝下発電所

 上の写真は車道から谷を見下ろして撮影したもの。下を流れるのは五ヶ瀬川です。道路脇に細い水圧鉄管が通っているのを偶然見つけたので、辛うじてその存在に気が付くことができました。ここから見ると、発電所というより“小屋”と言ったほうがぴったりくる感じ。

下滝下発電所

 驚くことに発電所の敷地には車道は繋がっておらず、このような階段を数十メートル下ります。機器メンテや更新などの際は重量物の運搬に苦労しそうですが、車道も繋がっていないほど条件が厳しい場所にあったからこそ、木造の小さな建屋が残ったのかもしれませんね。

下滝下発電所

 手前にスレートの倉庫や増築された部分もありますが、発電所建屋本体は切妻屋根の木造平屋です。細部を見てみると…。

下滝下発電所

 特徴的なのがこの石積みの部分。地面から1メートルとちょっとの高さまでが石積みになっています。フェンスの外から確認する限りでは、建物ぐるっと一周全体的に下側が石積みになっているようです。水を使うということや立地などから、湿度を嫌って木造部分を地面から遠ざける意味合いでこのような造りになっているのかも。

下滝下発電所

 フェンス越しにズームアップ。建屋入口には庇がありますが、その持ち送りには曲線の意匠が施されています。目を引く部分ですね。

下滝下発電所

 施設の全体像。左奥には水圧鉄管が見え、その上を横切っている車道から1枚目の写真を撮影しました。

下滝下発電所

川に下りてから撮影。石垣の中央にはコンクリートアーチの小さな放水口が開いています。写真を見て気が付きましたが、室内では蛍光灯がついていますね。

 現場では、建屋に掲げられている表札や水利使用標識などから九州電力の下滝下発電所だということ位しかわかりませんでした。しかし細部を見てみると結構古い建物であることは予想できます。「もしかしたらスゴイお宝級の発見かも」なんて勝手なことを考えながら帰路につきました。

 帰宅後、数少ない手持ちの資料で「下滝下発電所」を探したところ、「熊本県の近代化遺産 近代化遺産総合調査報告」(熊本県教育委員会)でちゃんと取り上げられていました(汗)。さて、その資料によると下滝下発電所は大正10年2月に運転開始(九州電力のサイトでは大正10年12月※コメント欄に詳細あり)と判明!大正時代の木造建屋の発電所が現役で、しかも九州電力の発電所として現存しているとは実に素晴らしいことではないでしょうか。

 木造建屋で現役というだけでも“九州唯一”ではないかと思いますが、この下滝下発電所の最大の特徴は洞窟内の湧水だけを取水して発電する“九州唯一”の湧水発電所だということです。通常、1/25000地形図には水力発電所がある場所には青い破線で導水トンネルが描かれていますが、この下滝下発電所には取水堰や導水トンネルも無いわけですからその表記もありません。また68kwと桁外れに小さい最大出力も湧水だけを使った水力発電だということを考えると納得です。原子力発電所も有する電力会社にも、このような個性的な発電所があるというのは面白ですね。

 偶然に見つけた発電所ですが、多くの発見と教訓を得た一件でした。もう一度、九州電力の発電所をチェックしてみなくては。


 右のマーカーは馬見原発電所で、左側が下滝下発電所。蘇陽峡の東(馬見原発電所)側からでなく、西側の国道265号側からのアクセスがオススメです。

【関連サイト】
NPO法人くまもと温暖化対策センター」> 小水力発電

【参考文献・資料】
「一級河川における水力発電施設諸元一覧 九州地方整備局管内」国土交通省
「熊本県の近代化遺産 近代化遺産総合調査報告」熊本県教育委員会
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五ヶ瀬川発電所

 五ヶ瀬川水系の日窒(旭化成)関連発電所巡り、4回目は五ヶ瀬川発電所です。この発電所は大正9年設立の五ヶ瀬川電力株式会社により建設されます。大正11年7月に着工しますが、延岡からの機材・資材の運搬は非常に困難を極めたとのこと。輸送は牛馬と人力に頼るもので、発電機などの重量物は平底の船で五ヶ瀬川を遡り、途中からは牛を使いコロ引きしたそうです。それでも馬見原発電所などに比べると立地としては条件が良かったようで、他とは違う大型の発電所が建設できたのだと思います。

 大正14年1月に発電所は完成しますが、翌年8月に五ヶ瀬川電力株式会社は日窒に買収されることに。この時代の日窒の発電所建設は、一旦新たに設立された別会社により行なわれることがあります。この五ヶ瀬川電力以外にも緑川電力※(緑川発電所)、阿蘇水力電気(馬見原発電所)などがあり、いずれも竣工して何年も経たないうちに買収、譲渡などで日窒に吸収されてしまっています。明らかに日窒の工場への送電を想定した発電所ですので、初めから日窒の手で建設すればいいのではないか?という疑問が。このような事例は他にもありそうで、何か理由があったのかもしれませんね。

※緑川電力は津留発電所を作った会社で、日窒の「旧緑川発電所」とは関係ない。2013年3月4日追記。

 宮崎県日之影町の五ヶ瀬川沿いにある旭化成五ヶ瀬川発電所。廃線となった高千穂鉄道の日之影駅から500mほど延岡側へ行くと見えてきます。
 
五ヶ瀬川発電所

 3本の水圧鉄管があり、建物もこれまでの発電所に比べると大きくなっています。最大出力も13,500kwと、馬見原や川走川第一第二と比べ一桁違います。

五ヶ瀬川発電所

 対岸の県道237号から良く見えるためか、壁面には大きな「旭化成」の文字が見えます。

五ヶ瀬川発電所

 こちら側から見る建屋は、馬見原や川走川第一第二とほぼ同じ意匠です。ただ、丸窓に見える部分は換気口程度の穴が開いているだけのようでした。また、コンクリートブロック構造なのか、鉄筋コンクリート造なのかは外観からは判断がつきません(資料不足…スミマセン)。

五ヶ瀬川発電所

 発電所の裏手には車道が通っており、なんと水圧鉄管と発電所建屋の間を通り抜けることができます。直径2mはあろうかと思う水圧鉄管3本は迫力満点。その水圧鉄管と発電所建屋の接合部分真上に立つと、重低音で“ゴー”という水力発電所独特の腹に響く振動と音を堪能できます(笑)。

五ヶ瀬川発電所

 反対側に回って、こちらは放水口。水圧鉄管から発電所建屋に入った水は、(発電機の)水車を回した後にここから五ヶ瀬川に排出されます。石組みの三連アーチが特徴的で、周りの石垣も立派。

五ヶ瀬川発電所

 五ヶ瀬川下流側から見ると、上部水槽・水圧鉄管・発電所建屋・放水口と施設全体を一望することができます。取水堰などの設備も見てみたかったのですが、今回は時間が無く断念。あらためて行ってみたいと思っています。


 上記説明の通り高千穂鉄道の日之影駅を目指して行けば、五ヶ瀬川対岸に簡単に見つけることができます。

【関連記事】
「雑記帳:馬見原発電所
「雑記帳:川走川第一発電所
「雑記帳:川走川第二発電所
「雑記帳:五ヶ瀬川発電所
報告書」> 日窒鏡工場跡・小千代橋 > No.05

【参考文献・資料】
「一級河川における水力発電施設諸元一覧 九州地方整備局管内」国土交通省
「熊本県の近代化遺産 近代化遺産総合調査報告」熊本県教育委員会
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川走川第二発電所

 シリーズ3回目は川走川第二発電所です。第一発電所よりわずかに早い大正15年11月竣工で、建屋もよく似た形状です。水圧鉄管が1本だというところも同じですが、第一発電所の最高出力が2,000kwであるのに対し第二発電所は3,200kwと約1.5倍ほどの差があります。

川走川第二発電所

 馬見原発電所や第一発電所と大きく違うのは、発電所の正面側になる妻壁部分。表面がモルタル仕上げになっており、丸窓が無い代わりに矩形の窓が三つ並んでいます。

川走川第二発電所

 そして第二発電所の最大の特徴といえるのが、中央に配置された入口にある立派な車寄せ。両サイドにある柱をよく見てみると…

川走川第二発電所

 大きい庇を支える柱ですが、中央部分が膨らんでいるように見えませんか?写真は広角レンズによる歪曲も加わっており歪んでいますが、現地で見る限りではわずかに“樽型”のように見えました。デザイン?それとも目の錯覚かな…。

川走川第二発電所

 正面以外の壁面にはモルタルは塗られておらず、馬見原発電所や第一発電所と同じコンクリートブロック造であることがわかります。ちなみに反対側の妻壁にも丸窓は無く、三つの矩形の窓が同じようにありました。


 アクセスは非常に簡単。なんと県道沿いにありますので、詳しい説明もいらないでしょう。川走川が五ヶ瀬川と合流する地点であり、熊本県と宮崎県の県境でもあります。

【関連記事】
「雑記帳:馬見原発電所
「雑記帳:川走川第一発電所
「雑記帳:川走川第二発電所
「雑記帳:五ヶ瀬川発電所
報告書」> 日窒鏡工場跡・小千代橋 > No.05

【参考文献・資料】
「一級河川における水力発電施設諸元一覧 九州地方整備局管内」国土交通省
「熊本県の近代化遺産 近代化遺産総合調査報告」熊本県教育委員会
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川走川第一発電所

 馬見原発電所に続き、五ヶ瀬川水系の日窒(旭化成)関連発電所巡りの第二段は川走川第一発電所です。馬見原発電所に遅れること約1年後の大正13年に着工し、昭和2年に完成した川走川発電所。馬見原発電所と同じコンクリートブロック造の建屋は、その構造もほぼ同じとのこと(熊本県近代化遺産総合調査報告による)。確かに外観はとても良く似ています。

川走川第一発電所

 川走川第一発電所も白色に塗装されていますが、馬見原発電所とは違い“迷彩”の痕跡は見ることはできません。元からなかったのか、それともキレイに塗りなおされたのか。

川走川第一発電所

 赤煉瓦と違ってコンクリートのブロックは味気ないものだと思っていましたが、この川走川発電所では随分と味わい深い表情を出しています。ちなみに馬見原発電所のコンクリートブロックは現場で製作されたとのことなので、川走川発電所も同様に現場で製作されたものと思われます。

川走川第一発電所

 この位置で見てみると、扉の位置や丸窓の高さなどは馬見原発電所と異なることがわかります。 

川走川第一発電所と川走川第二発電所の取水施設

 川走川第一発電所の排水口直下には、約6km下流にある川走川第二発電所の取水施設があります。この取水堰も馬見原発電所と同じく内部はコンクリートが充填されたもの。外観や水門、取水口のレイアウトなどもとてもよく似ています。 

川走川第一発電所上部にある調整池

 発電所に向かう道の途中に見つけた関連施設。おそらく沈砂池(調整池)などがあると思われますが、フェンスで立入が規制されているため未確認。水門と鉄管は確認できました。


 前回紹介した馬見原発電所ほどではありませんが、こちらのアクセスもかなり難易度は高いでしょう。国道325号から発電所までの道は細く、特に集落から外れて谷底へと下る道は極端に細く曲がりくねっています。何度もハンドルを切り返しながらコーナーを曲がっていきますが、もしも対向車が来たらと思うとゾッとします。発電所への道は先にも伸びていますので、地元の方、農作業の車なども通る可能性がありますので十分注意が必要です。


【関連記事】
「雑記帳:馬見原発電所
「雑記帳:川走川第一発電所
「雑記帳:川走川第二発電所
「雑記帳:五ヶ瀬川発電所
報告書」> 日窒鏡工場跡・小千代橋 > No.05

【参考文献・資料】
「一級河川における水力発電施設諸元一覧 九州地方整備局管内」国土交通省
「熊本県の近代化遺産 近代化遺産総合調査報告」熊本県教育委員会
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馬見原発電所

 もう5年も昔のことになりますが、チッソの前身である日本窒素肥料株式会社の鏡工場(熊本県鏡町・現八代市)について当サイトで紹介しました。明治から昭和初期の九州南部で、一民間企業が化学工場と水力発電所をセットで造りながら成長し、ついには朝鮮にまで進出する巨大化学企業となる歴史はとても興味深いものでした。

 その日窒の鏡工場は大正15年にはなくなりますが、取って代わるように当時最新の技術を使った工場が宮崎県延岡市に建設されます。日窒が延岡市に工場の建設を決めた理由のひとつに、五ヶ瀬川水系の豊富な水資源があったといわれています。実際に大正14年から昭和2年の間に、五ヶ瀬川発電所・馬見原発電所・川走川第一発電所・川走川第二発電所などが五ヶ瀬川水系に作られて延岡工場に電力を供給します。ちなみに延岡工場は後に日窒から独立し、旭化成株式会社のルーツとなっています。

 熊本県にある馬見原発電所、川走川第一発電所、川走川第二発電所は、建設当時の古い建屋を残しており、日窒に絡む発電所建築として私にとっては非常に気になる存在でした。いつか見に行こうと思って延び延びになっていたところ、当サイト掲示板に馬見原発電所の写真がUPされているではありませんか!これは見に行かなくてはと、一気に日窒(旭化成)関連の発電所巡りをした次第です。

 その中から、今回は馬見原(まみはら)発電所を紹介。大正12年に設立された阿蘇水力電気株式会社により建設されたもので、大正15年2月に完成。翌年の昭和2年には阿蘇水力電気は解散し、馬見原発電所は日窒へと譲渡されました。

馬見原発電所
馬見原発電所

 馬見原発電所は、五ヶ瀬川本流と三ヶ所川の合流地点から僅かに上流の三ヶ所川左岸に位置しています。上写真は三ヶ所川右岸より撮影。白川発電所緑川発電所などの、日窒の他の発電所とよく似た意匠の外観でコンクリートブロック構造。最大出力は5,000kwです。しかしまあ、よくこんなギリギリの場所に建設したものですね。

馬見原発電所

 外壁は白く塗られていますが、その下地から面白い“模様”が浮き上がっています。戦時中、爆撃を避けるために迷彩として塗られたものだと思いますが、敵機から見たら実際どうだったのでしょう。チッソ水俣事業所内の戦前の建物や、曽木発電所の煉瓦壁にもこれら迷彩柄を見ることができるのでそれなりに効果はあったのかな。

馬見原発電所

 立地的に建物を観察する角度が限定されますが、妻壁に面白いもの発見しました。一見ただの換気口ですが、フードの取り付け壁面をよく見てみると丸くコンクリートブロックが配置されていることがわかります。煉瓦建築などの妻壁上部の三角形部分(ペディメント)に丸窓が設けられているのをよく目にします。それらに比べると若干下側過ぎるかな…とも思いますが、同様に元は丸窓だったのかもしれませんね。

馬見原発電所の沈砂池

 発電所へ行く途中に上部水槽があります。上写真の右下側には導水トンネルがあり、およそ6km離れた五ヶ瀬川上流から取水した水が流れ込んでいます。それにしても眺めが良すぎて怖いくらい(笑)。

馬見原発電所

 馬見原発電所を上から。写真左上にみえるのは九州電力の三ヶ所発電所。水利権許可年度をみると大正14年とあるので随分古いことがわかりますが、建屋は真新しいものに更新されています。

馬見原発電所の取水口

 五ヶ瀬川にある馬見原発電所の取水施設。石組みで曲線の美しい堰堤に見えますが、熊本県の近代化遺産調査報告書によれば石張りコンクリート重力式で内部には玉石コンクリートが充填してあるとのこと。


 右上の“蘇陽峡”の文字にあるマーカーが発電所。左下のマーカーが取水施設。

 古い水力発電所はへんぴな場所にあることが多いのですが、この馬見原発電所も例外ではなく非常に到達困難な場所にありました。もちろん発電所まで車道はありますが、軽自動車でも通行は厳しいと思われます。

 発電所への行き方ですが、まず国道218号から服掛松キャンプ場を経由し「蘇陽峡・長崎鼻展望所」を目指します。小さな案内板が何箇所にもあるので長崎鼻展望所までは迷うことはないでしょう。展望所を過ぎると道は一気に谷底へと下って行くのですが、急勾配な上に狭くてガードレールもありません。さらには極端な極小カーブの連続ですので、車はその展望所の駐車場に置いて徒歩で下ることをオススメします。バイクや自転車であれば通行に余裕はありますが、十分な注意が必要。しばらく下ると1か所だけ分かれ道があり、「この先行き止まり」の看板の方へ進めば発電所が見えてきます。分かれ道のもう一方は、対岸である五ヶ瀬川左岸へと渡ることができます。

※国土地理院1/25000地形図の情報は古いので注意してください。地形図には馬見原発電所と三ヶ所発電所の間に橋がありますが、現在は橋台が残っているだけ。現状は五ヶ瀬川左岸と三ヶ所発電所の間に新しい橋が架けられています。ちなみにその橋の上からだと馬見原発電所もよく見えますよ(当記事1枚目の写真)。

通行注意

長崎鼻展望所手前にある看板。“脅し”ではありませんでした。

【関連記事】
「雑記帳:馬見原発電所
「雑記帳:川走川第一発電所
「雑記帳:川走川第二発電所
「雑記帳:五ヶ瀬川発電所
報告書」> 日窒鏡工場跡・小千代橋 > No.05

【参考文献・資料】
「一級河川における水力発電施設諸元一覧 九州地方整備局管内」国土交通省
「熊本県の近代化遺産 近代化遺産総合調査報告」熊本県教育委員会
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藤本発電所(廃)

 個人的に“廃発電所が好き”ということもあり(笑)、九州ヘリテージでは今までに廃止された水力発電所を幾つも紹介してきましたが、今回紹介する藤本発電所はその中でも最新、今年の3月に廃止されたばかりの水力発電所です。

藤本発電所
藤本発電所 2010年8月29日撮影

 昭和29年12月、戦後の電力不足の中で熊本県八代市(旧坂本村)の球磨川に藤本発電所が完成。藤本発電所の取水施設として翌年3月に重力式コンクリートダムの荒瀬ダムも竣工します。熊本県企業局のWebサイトによれば、荒瀬ダムと藤本発電所とは約600mの導水トンネルで結ばれており有効落差は約16m。2機の発電機で最大出力18,200kw、年間供給電力は約74,66万7,000kwhを発電していました。完成当時は熊本県初の大規模なダムということで、ダム湖と合わせて観光地として随分賑わったといいます。私の母も子どもの頃に学校行事として見学に行ったと言っていました。

藤本発電所


藤本発電所の入口に掲示されている張り紙
藤本発電所の門にはこんな張り紙も…

 建設当初は県内に占める電力供給割合の16%を担っていましたが、平成14年度時点では1%弱にまで低下。近年はダムが河川環境へ与える影響などが懸念されるようになり、また主要施設の老朽化や水利権の更新などの様々な要因から、発電所は廃止、ダムは撤去されることになりました。

ゲート
荒瀬ダム 2010年8月29日撮影

ゲート全開の荒瀬ダム
荒瀬ダムの上流側 対岸に取水口が見える

 荒瀬ダムと言えば、撤去と存続を巡るニュースでご存知の方も多いと思います。水利権は今年の3月で失効していて、取水、発電は出来ないので現在ダムのゲートは全開。ダム本体の撤去は2012年度から始まるそうですが、藤本発電所については導水トンネルを含めて撤去・解体のスケジュールは未定のようです。



【参考・関連サイト】
熊本県」> 企業局のホームページ
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川南造船所 撤去の見通し

 2月23日付けの朝日新聞に川南造船所跡(佐賀県伊万里市)が撤去へ向かうという記事が掲載されました。記事にもあるように、この川南造船所跡は「廃虚ブーム」により全国的にも有名な廃墟。また産業遺産・戦争遺産としても貴重な存在だといえます。それだけに今後の動向が注目されています。

川南造船所

 この度、川南造船所跡の所有者(現時点ではまだ売却はされていない)に今までの経緯も含め、色々と詳しくお話しを聞くことができました。その内容についてはいずれ詳しく紹介したいと思っています。



【関連サイト】
asahi.com」> 人気の廃虚「川南造船所跡」を撤去へ
ALL-A」> 川南造船所を伊万里市が解体へ
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高瀬火力発電所

 昨年秋に「玉名市立歴史博物館こころピア」職員のTさんとAさんに大浜飛行場跡を案内して頂いたとき、一緒に高瀬火力発電所跡も案内して頂きました。

 この「高瀬火力発電所跡」は、数年前に「JR鹿児島本線の玉名駅近くに、大正時代からの火力発電所の建物が残っている」という話を耳にして以来、私の中でずっと気になっていたもののひとつでした。いつか探してみようと思っていたのですが、今回は玉名市立歴史博物館の職員の方に話が聞ける絶好のチャンスですので「玉名市には大正時代に建てられた火力発電所があると聞いたことがあるのですが」と質問してみました。すると一部想定外の返事が…。

「はい。建物が残っていますよ。引き込み線跡も橋とか残っていますよ。

何!?引き込み線!?橋!?と、とても驚いたのですが、燃料の石炭を運び入れるための専用線として当然考えられるものです。また駅の近くに発電所が位置するということも、そういう理由だと納得。しかし、その痕跡が残っているとは嬉しい限りです。

 高瀬火力発電所は大正13年に竣工し、認可最大出力8,000kw、可能最大出力は4,000kw。近くを流れる菊池川の水を利用し、燃料には三井三池炭鉱の石炭も使われていました。玉名駅から三池炭鉱のある大牟田駅までは6駅しか離れていないので、三池炭は輸送コストの面で有利だったのでしょう。戦後は“三池炭でフル稼働”していたそうですが、昭和28年に操業停止、昭和30年には廃止されることになります。廃止の理由ははっきりとわかりませんが、各地で水力発電所が建設されたことと、施設の老朽化などがその理由ではないでしょうか。その後、跡地と建物は民間企業の工場として使用され現在に至っています。

 まずは昭和49年の航空写真で玉名駅と発電所の位置関係を見てみましょう。

1974年の玉名駅南側の高瀬発電所跡の航空写真

 発電所廃止から19年も経った昭和49年当時ですが、引き込み線が発電所の建物まで延びているのがはっきりと確認できます。また火力発電所のシンボルでもある煙突の長い影も映っていますね。煙突の高さは64メートルで、発電所廃止後も跡地を買い取った会社が焼却炉の煙突として使用していましたが、老朽化により昭和60年に解体されました。さて、同じ場所をGoogleマップで現在の様子を見てみましょう。


 鹿児島本線から分岐する引き込み線のカーブは現在でも確認できます。2個あるマーカーのうち、上のマーカーは引き込み線が水路と交差しているポイント。下のマーカーは発電所の建物です。では、それぞれを見ていきましょう。

高瀬火力発電所の引込線

 上の写真は引き込み線と水路の交差ポイント。小さいものですが確かに橋が残っています。写真中央奥の三角の建物は玉名駅の跨線橋。写真右奥に延びる草地が引き込み線跡です。

高瀬火力発電所の引込線

 コンクリート製橋台にI(アイ)ビームの鉄桁というシンプルなもの。レールこそ無いものの、枕木もちゃんと残っていて鉄道遺構としては見事です。廃(引き込み)線愛好家にとっては、思わず「おー」と声がでてしまう物件(笑)ではないでしょうか。実に貴重な遺構です。

 この引き込み線(専用線)は、火力発電所の廃止後も跡地を買い取った企業によって使われていたようですが、玉名市史にはこの引き込み線から“ミカン”の発送が行なわれていたという記述があります。なんでも昭和47年にはこの引き込み線だけで8,540トンのミカンを発送したとのこと。石炭を降ろしていた引き込み線からミカンを発送とは面白いですね。

高瀬火力発電所跡

 さて、火力発電所の建物ですが、企業が工場として使用していますので許可なくては内部はもちろん近くから見ることもできません。

高瀬火力発電所跡

 工場の北側にある正門からだと火力発電所だった建物はよく見えませんが、南側からだとよく見ることができます。手前の駐車場あたりに煙突があったと思われます。

高瀬火力発電所跡

 大正時代の建物らしいデザインで、独特な雰囲気が出ています。機会があれば近くから(よければ内部も)見てみたいものですね。

 当日は火力発電所跡という大型の産業遺産だけでなく引き込み線という予想外の出会いもあり、さらには大浜飛行場跡も細かく案内していただきとても充実した1日でした。博物館のTさん、Aさん、お世話になりました。

【関連記事】
雑記帳・大浜飛行場跡

【関連サイト】
玉名市立歴史博物館こころピア

【参考文献】
「玉名市史 通史篇下巻」玉名市立歴史博物館こころピア/編 2005年
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祝子川発電所03

 祝子川発電所の3回目(最終回)は、その正体に迫ってみましょう。現地では何の手掛かりも得られませんでしたが、九州電力か宮崎県企業局のどちらかに詳細な情報があるのでは?なんて気軽に考えていました。しかし…

祝子川発電所

 宮崎県北部を流れる祝子川には、県企業局の発電所ばかり3つもあります。そのためこの祝子川発電所も県営のものかもと思い企業局に問い合わせたところ、「九州電力の発電所です」という返事。それではと九州電力に問い合わせてみましたが、廃止になって時間も経っており詳しい記録などは残っていないとのことでした。しょっぱなから予想は外れたものの、この廃墟の発電所が昭和47年7月31日に廃止された九州電力株式会社の「祝子川発電所」だという事が確認できただけでも大収穫です。

 祝子川では昭和42年から「祝子川総合開発事業」が行なわれ、県企業局の発電所と、それに伴う複数のダム・堰の建設が始まります。そのうちの一つ「県営祝子発電所(昭和47年完成)」は、そこから約9km上流にある「祝子ダム(昭和47年完成)」から取水しますが、その9km区間内に今回紹介した祝子川発電所と取水施設は位置しています。上流に祝子ダムができたことにより、祝子川発電所は実質取水できなくなるため廃止されたという訳です。

 それにしてもまだ祝子川発電所の全体像は見えません。そこで幾つか文献をあたってみたところ、僅かですが幾つかの情報が出てきました。まず面白いと思ったのが、そのルーツ。それは延岡藩主だった内藤家にあるようです。

 明治33年、宮崎県北部で日平鉱山を経営していた旧延岡藩主の内藤家は、鉱山事業の拡大と近代化のためには電化が必要と水力発電所の建設に取り掛かります。日平鉱山のすぐ近くには三菱が経営する槙峰鉱山があり、こちらは早くから水力発電所を設置するなど近代化が進んでおり、両鉱山は競うように設備の拡充をしていき生産を伸ばしていきました。

 明治40年、内藤家は坑内排水ポンプ用に2つ目の水力発電所を建設しますが、これにより電力に余裕が出ることになります。そこで延岡に「延岡電気所」を設置、余剰電力の送電を開始。明治43年、延岡に初めて電灯が点りました。これが内藤家の電気事業への足がかりとなります。

 もともと内藤家の鉱山のための発電だったものが、延岡を中心に県北の広範囲が営業区域になる大きな事業へと発展。大正13年には延岡電気所から延岡電気株式会社となり、営業区域も更に広がっていきます。そこで電力増産のために新たに発電所も作られていくことに。その中のひとつ、昭和5年に完成したのがこの「祝子川発電所」です。

 昭和8年時点の祝子川発電所のスペックは以下の通り。
  ・発電所位置 宮崎県東臼杵郡東海村大字祝子
  ・使用開始  昭和5年1月
  ・許可出力  3,200キロワット
  ・使用河川名 祝子川
  ・有効落差  183.67メートル
  ・使用水量  毎秒2.226立方メートル

  ・取水口位置 宮崎県東臼杵郡北川村大字川内

  ・水路総延長 3,937.560メートル
    内 開渠 2.1メートル
      暗渠 120.4メートル
      隧道 3,815.06メートル

  ・水車  種類  横軸(ツインダブルノズルペルトン水車)
       馬力数 2,250馬力
       個数  2個
       製造者 電業社

  ・発電機 方式  三相交流50サイクル(Hz) 3,500ボルト
       容量  4,000KVA
       個数  2個
       製造者 芝浦製作所

  ・変圧器 容量  1,340KVA
       電圧  一次側3,500ボルト 二次側22,000ボルト
       個数  2個
       製造者 日立製作所

昭和8年発行 九州水力電気株式会社二十年沿革史より
(単位などの表記は現在のものに書き換えています)
 祝子川発電所が完成した昭和5年、内藤家が所有する延岡電気49,000株全部が福岡に本社のある九州水力電気株式会社(九州水電)に売却されます。その後も九州水電は延岡電気の株を買い進め、最終的には全7万株中6万3,565株を取得。結果、延岡電気は九州水電の傘下に入り、社長も九州水電の人間に代わることになります。そこでちょっと驚いたのがその人物。「九州水電」と聞いてピンと来た方もいると思いますが、私は知らなかったのでその名前にビックリ。なんと社長に就任したのは当時の九州水電の社長でもあった麻生太吉だったのです。麻生太吉は炭鉱王として財を築き、麻生前首相の曽祖父としても有名ですよね。宮崎の山奥の発電所と筑豊の炭鉱王に、このような繋がりがあったとは面白い。

 さて、その九州水電ですが、国の電力統制政策により昭和17年に九州配電株式会社へ統合。それに伴い傘下にあった延岡電気も九州配電へ統合されます。そして戦後は国内の電力事業が再編成され、九州のすべての電気事業は昭和26年に設立された九州電力株式会社へと引き継がれ現在に到っています。

 廃止になって今年で38年の祝子川発電所。ビジュアルのインパクトもありますが、実はその歴史にも結構興味深いポイントがありました。ちょこっと調べただけでも、案外「へー」と思うことが出てくるものなんですね。しかし、今回は「雑記帳」ネタとしてはちょっと長くなってしまいました。久しぶりに「報告書」のネタにしたほうがよかったかな…。

【関連記事】
雑記帳・祝子川発電所01
雑記帳・祝子川発電所02
「雑記帳・祝子川発電所03」

【関連サイト・参考サイト】
九州電力」> 宮崎支店 > 宮崎支社について > 沿革一覧
宮崎県企業局」> 電気事業
麻生グループ」> 麻生の歴史 「麻生の足跡」と「麻生百年史」を展開

【参考文献】
「延岡市史 下巻」延岡市史編さん委員会/1983
「北川町史 通史編」北川町/2004
「九州水力電気株式会社二十年沿革史」九州水力電気株式会社/1933
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