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九州の近代化遺産・産業遺産を見て・調べて・紹介!するブログ

肥後銀行旧御船支店

 熊本県のほぼ中央に位置する御船町は、かつて酒造で栄えた町です。その中心部を東西に御船川が流れており、左岸には古くからの商家や酒蔵などが建ち並び商店街も形成されていました。川沿いには白壁の大きな酒蔵がいくつも建ち並び、その光景は壮観だったといいます。

 しかし昭和30年代に、御船川の対岸(御船川右岸)に国道が整備されたことにより、街並みに大きな変化がおこります。町の中心ともいえる役場や郵便局、また警察署や保健所、職業安定所など多くの官公庁がその国道側に移転。それに追従するように銀行や企業の支店、商店なども移り、国道沿いは市街化していきました。

 その結果、旧市街には魅力的な古い街並みの光景が多く残されることになります。ただ残念なことに現在酒造業は一軒も残っておらず、御船川沿いの酒蔵も河川改修により全てなくなっています。それでも、商家や民家などに白壁土蔵造りの建物が多く残されており、町並みの中にそれらを見つけながら散策を楽しめるエリアになっています。

 さて、前置きが長くなりましたが、その旧市街の中心を抜ける大通りに、一見して“銀行”であったであろう立派な建物を見つけました。現在は職業訓練校の看板が掲げてあります。

肥後銀行御船支店

 ご近所の老人に話しを聞くと「今から30、40年前まで肥後銀行の支店があったんだよ」と。なるほど「肥後銀行旧御船支店」と言うわけです。何時ごろ建てられたかまではご存知ないよう。

肥後銀行御船支店

 別角度から。建物自体は木造で瓦葺。入口はシャッターが閉められ、中をうかがうことはできませんでした。

肥後銀行御船支店

 全体的に派手さはありませんが、壁面の装飾などは随分と細かな仕事がしてあります。

肥後銀行御船支店

 軒裏を見上げて。コーナー部分の処理がおもしろい。

肥後銀行御船支店

 現地で建物を見ながらいつの時代のものなのか推測するのも楽しいものです。私は昭和初期かな?とも思ったのですが、敷地脇には煉瓦の塀も残っており案外古いのかも…。で、結局見当も付きませんでした(笑)。みなさんどう思います?

 正解ですが、この建物は大正10年9月1日に旧肥後銀行(現在の肥後銀行ではない)の御船支店として開設されたもの。大正12年に合併により安田銀行御船支店となりますが、昭和3年に肥後銀行が譲り受けます。そして昭和52年まで「肥後銀行御船支店」として使われていました。肥後銀行御船支店としては、老朽化やオンライン化への対応などの理由で国道沿いに新店舗を建設し移転しています。

 肥後銀行御船支店だったこの建物、熊本県内に残る大正時代の銀行建築として貴重な建物ではないでしょうか。


Googleマップのストリートビューアーでこの建物前の通りを見ることができます。ちなみに、この通りには明治時代に2日間だけ熊本県庁が置かれていました。県庁跡を示す標柱をストリートビューアーでも見ることが出来ますよ。


【参考文献】
「御船町史」御船町史編纂委員会編・御船町・2007年
「肥後銀行50年史」肥後銀行企画室年史編集班編・株式会社肥後銀行・1977年
「肥後銀行70年史」肥後銀行企画部年史編纂担当編・株式会社肥後銀行・1996年

【取材協力】
株式会社肥後銀行 文化・広報室
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熊本市水道記念館

 熊本市の水道は、天然の地下水を水源として大正13年に給水を開始。阿蘇山からの豊かな伏流水が熊本市の地下に流れており、以来85年間も地下水のみを水源として給水を続けています。なんでも人口70万人を超える都市で、水道の水源全てを天然地下水でまかなっているのは熊本市だけだとか。水道の水は確かにおいしいです。

 水源となる井戸(水源施設)は現在市内21か所にありますが、その中のひとつ「八景水谷(はけのみや)水源地」には大正13年の上水道創設時に造られた第二井送水ポンプ室の建物が残されています。

熊本市水道記念館

 創設時の八景水谷水源地には、第一井送水ポンプ室(現存せず)と第二井送水ポンプ室のほぼ同じ外観の煉瓦造平屋の建物が2つ建てられました。昭和42年、第二井送水ポンプ室に替わる新たなポンプ施設が出来たことにより、その役目を終えますが、昭和49年に上水道創設50周年を記念し「水道記念館」として生まれ変わり一般公開されます。

 しかし平成2年に同敷地内に「水の科学館」がオープンしたことにより閉鎖。しばらくは倉庫などとして使われていたようですが、平成9年に登録有形文化財になり、平成16年には創設80周年を記念して修復されるなどし、以降はイベント時などに限定的に公開されています。

 この建物、以前からとても気になっていたのですが、水道施設群の敷地内にあるため高い柵ごしでしかその姿を見ることができず、一般公開される機会を長い間うかがっていました。ところがこの度、「くまもと水道ウイーク」という熊本市のイベントで内部が公開されることを知り、念願かなって見に行くことができました。

熊本市水道記念館

 入口は西側の1か所のみで、ほか3面は上げ下げ窓が4つと上部に明かり取りの窓が2つずつの、ほぼ同じ形状になっています。屋根の曲線がよい雰囲気をだしていますね。

熊本市水道記念館

 内部は漆喰の壁に加えて天井も白く塗装されているので、とても明るく感じます。当日は平日の昼間にも関わらず、次々と見学者が訪れていました。

熊本市水道記念館

 室内のほぼ中央には、スイスのズルザーブラザーズ社製の送水ポンプとモーターが大正13年の創設時のままに展示されています。写真の向かって右奥がポンプ本体で中央左がモーター。左端の角が生えた円柱状のものは変圧器のようです。

熊本市水道記念館

 さて、建物のディテールを観察していてあることに気が付きました。煉瓦壁上部のモルタルで仕上げられている部分に明かり取りの窓があります。建物の4面にそれぞれあるのですが、ふと「内部はどうなっていたのか?」と思いもう一度建物の中へ戻ってみました。すると…

熊本市水道記念館

 なんと内部の天井部分には、明かり取りの窓なんてどこにもありません。また天井裏と実際の屋根の形状も違っています。屋根の形状と明かり取りの窓は外観上のデザインのためだけのもの、ってことなんでしょうか?もしデザインを優先しただけのものだとしたら、それはそれでステキかも(笑)。

熊本市水道記念館

 その他にもモルタル壁の模様や入口の庇の持ち送りなど、細かな部分にまで装飾を見ることができます。大正時代の熊本において、上水道開設は近代化へ向けての大事業。ポンプ室のひとつにも力が入っていたことがひしひしとこの建物から伝わってきました。



【関連サイト】
熊本県」> 水道記念館 熊本市
文化遺産オンライン」> 熊本市水道記念館(旧八景水谷貯水池ポンプ場) 

【参考文献】
「熊本県の近代化遺産 近代化遺産総合調査報告書」熊本県教育委員会
「平成22年度版 熊本市水道局 八景水谷水源地の歴史」パンフレット
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廃映画館「錦館」

 古い町並みが残る熊本県玉名市高瀬。商店などが建ち並ぶ通りから少し外れた場所に、古い映画館の建物が残っているという話を友人から教えてもらいました。なんでもなかなか雰囲気がいいとのこと。「見るなら今のうちがいいよ」とのことなので、場所を教えてもらい早速現地へ。

廃映画館「錦館」

 確かに通りから少し入ると空き家や更地が多い一角があり、その中に映画館の建物もありました。なるほど映画館の特徴がそのまま残っている建物です。右側の建物は売店か事務所のようですが、いまにも崩れそう。 

廃映画館「錦館」

 映画館を正面から。1階の中央はチケット売り場の窓口。全体がタイル張りになっていて小さな窓が2つ開いています。その両サイドが入口のようですが、右側はベニア板で封鎖。軒下には映画のポスターが入れてあったであろう額縁だけが残っています。昭和チックなレトロな雰囲気ですね。特徴的な2階部分は映写機室のようです。

廃映画館「錦館」

とてもちっちゃなチケット売り場の窓口。木の扉が付いています。

廃映画館「錦館」

いろいろな映画のポスターが入っていたのでしょう。額縁だけ沢山あります。

廃映画館「錦館」

 さて、建物を裏側から見てみると…。なんとスクリーンや客席があるべき部分は、建物が完全に倒壊しており廃材の山となっています。Yahoo!地図の空撮写真には倒壊前の写真が掲載されているので、少し前までは残っていたのでしょう。もう少し早く来るべきでした。残念。


 上はYahoo!地図の空撮写真。その写真中央上側、建物の北側に写っている三角形の影から、映画館は大きな切妻造だったと推測できますね。

廃映画館「錦館」

建物を横から。倒壊した部分を覆い被すように藤の花が咲いているのが印象的。

廃映画館「錦館」

二階の映写機室。破れた窓の中を覗いてみると、壁にはフイルムを巻いたであろうリールが掛けられていました。

廃映画館「錦館」

映画館脇の建物。掲示板には文字が見えますが判読不能。

廃映画館「錦館」周辺の路地

周辺にはこんな光景も。ただGoogleマップの空撮と比べると周囲に明らかに真新しい更地が増えているので、映画館もそう遠くない時期に取り壊されてしまうのかも知れませんね。

 ちなみにこの映画館が「錦館」という名前であることは、高瀬火力発電所大浜飛行場見学でお世話になったTさんから教えていただきました。何時の時代に建てられたかは不明ですが、平成元年ごろまでは営業をしていたとのこと。時代の流れにより閉館したそうですが、その映画館がそのままの形でこうして現在まで残って(半分崩れていますが)いるのは不思議ですね。


 ※周辺は道がとても狭く駐車スペースもありません。菊池川河川敷の公園駐車場に車を停め、徒歩で現地へ向かうのがいいでしょう。高瀬の街並み散策もオススメです。
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戸馳島灯台・寺島灯台

 明治の三大築港の一つと呼ばれる三角西港がある熊本県宇城市と天草周辺には、明治30年から31年にかけて5つの灯台が建設されました。その中でも明治31年建造の戸馳島(とばせしま)灯台は、切石積みで作られた当時の姿を残す美しい灯台として知られています。しかし、その所在地が険しい場所にあるためか“アクセスが難しい”と紹介されることも多く、熊本在住の私にとってもなかなか手を出しにくい物件でした。

 険しくアクセスが難しいのであれば、暑くなる前の今の季節に行っておこうということで、Webでそのルートなどを調べてみました。すると、どの紹介文にも“海岸を歩け”と。なるほど道が無いのでアクセスが難しい訳ですね。でも行けばどうにかなるだろうといういつもの思考で現地へ向かいました。一応GPSに戸馳島灯台の座標をセット。

 現地では特に迷う場所も無く、小さな看板もあり意外とスムーズに灯台にたどり着くことができました。宇土半島(三角港側)から戸馳島へ渡るには「戸馳大橋」を通るしかありません。橋を渡り戸馳島へ入ると、交差点や分岐点には戸馳島オリジナルと思われる小さな案内標識があちこちに設置されています。まず、その標識で「片島」へ向かいます。車道は細く心細くもなりますが、戸馳島の南端を目指せばよいわけで迷うことはないでしょう。海岸に近づいてくると「片島灯台→」(戸馳島灯台)という案内板があるので従います。数百メートルも進むとビニールハウスが立ち並ぶ林の中で道が分岐するので、それを右に(木が生い茂る怪しい方に)曲がります。

※この時点で道幅が極端に狭く、駐車スペースもありません。密漁者を警戒しており無断駐車を禁止している場所もあります。私は随分手前で車を停め、徒歩で向かいました。見学に行かれる方は注意してください。

戸馳島灯台への道01

 上写真の細い道を100メートルほど進むと海岸に。軽自動車だったらギリギリ通れると思いますが、木々の枝でゴリゴリなりそう。

戸馳島灯台への道02

 道路はこの海岸で終っています。海岸に出て南側へ進みます。山の上に白い灯台の先端が見えているのがわかりますか?

※当日は本当に何も考えていませんでしたが、おそらく偶然干潮時に通りかかったものと思われます。満潮時や波が高い日はこの海岸を歩くことができないかもしれません。

戸馳島灯台への道03

 海岸を15分ほど歩くとこのような石柱が立っています。石柱には消えかかった文字で「戸馳島灯台用地」とあり、ここから山道へと入って行きます。この山道の入口がわかりにくいので注意が必要。海を背にし石柱を見て、左奥に藪が薄い場所が見えます。その奥に灯台へと登る山道があります。

戸馳島灯台

 しばらく山道を歩いて戸馳島灯台に到着。高台にある灯台敷地からの眺めは絶景です。それにしても真っ白に塗られた灯台建屋は物凄く眩しい!青空といいコントラストを作っていますね。

戸馳島灯台

 敷地全体も精密に加工された石塀で囲まれています。以前は有人管理で事務所もあったということですので、灯台裏手のスペースはそのためのものだったのでしょう。昭和39年までは、職員とその家族が敷地内の宿舎に住んでいたそうです。

戸馳島灯台

 灯塔の下部には窓の痕跡が。後方の付随建物南側の窓も埋められており、窓は北側の一つだけのようです。

戸馳島灯台

 背後(東側)には出入り口があるだけ。平屋に灯篭がちょこんと乗っただけのような姿をしていますが、実際に高さ8.2メートルしかない小さな灯台です。ただ設置場所が海抜約26.3メートルなので十分なのでしょう。

戸馳島灯台

 さて、灯台といえば巨大なレンズも見所のひとつ。そう思って灯塔を見上げてみると…。あれ?レンズは?大きなフレネルレンズの代わりにハイテクを感じさせる小さな機器が設置されています。で、帰宅後Webで調べてみると「LED灯器(V型白)」と判明(※1)。発光ダイオード360個を使用し4秒に1回点灯するものだそうです。近年のLEDの明るさと言ったら凄まじく進化していますが、まさか灯台の光源に使われるまでになっていたとは驚きです。LEDの特徴である小型で長寿命、省電力ということも、このような立地の灯台では有利なのでしょう。もしかしたら左手にある太陽電池でその電力をまかなっているのかな?

 戸馳島灯台も、地形図を片手に“歩く”ことを楽しめば、特に“アクセスは難しい”ことはないようです。上記赤文字の幾つかの注意点はありますが、ここは眺めもよくオススメの物件です。そして戸馳島灯台見学の際には、直ぐ近くにある「寺島灯台」もご覧になることをオススメします。

寺島灯台

 寺島灯台は戸馳島灯台と同じ明治31年竣工。無人島に建っているので近くから見るには船が必要ですが、三角港の岸壁からもこのように見ることができます。真っ白ですのでコンクリート造にも見えますが、戸馳島灯台と同じく石造です。上写真は200mmの望遠レンズで撮影したもの。灯台とその背景に見える陸地(維和島)とは繋がっていません。

寺島灯台

 寺島灯台を戸馳島の海岸から撮影。三角港より僅かに近づくことができます。写真はカメラD300、レンズ200mmで撮影、pixel等倍でトリミングしたもの。


 上側のマーカーが寺島灯台。下側のマーカーが戸馳島灯台。赤いラインの部分は徒歩でなければ進むことができません。

(※1)海上保安庁Webページ内PDFドキュメントに記述あり。

【参考・関連サイト】
海上保安庁」> 明治期の現役灯台 > 戸馳島灯台寺島灯台

【参考文献】
九州遺産」砂田光紀/著・弦書房
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福岡県 旧材料開発研究所

 昨年の秋、福岡県八女市に別件で出かけていたときのこと。車を運転中、信号停止した時に遠くにちょっと変わった建物があるのに気が付きました。何かただならぬ雰囲気が伝わってきて、そのまま通過することができず思い切ってその建物に向けハンドルを切りました。近づいてみると…

旧福岡県材料開発研究所

 窓は割れ、入口もベニヤ板で塞いでありますが、一見して随分と古い建物だとわかります。 

旧福岡県材料開発研究所

 正面にまわってみると正門がありました。よく見ると立派な門柱には表札が。

旧福岡県材料開発研究所

 上の写真では分かり難いのですが、木製の表札には消えかかった文字で「材料開発研究所」とだけあります。

旧福岡県材料開発研究所

 細かな部分にも装飾が施されています。敷地の外からフェンス越しにしげしげと建物を観察していると、近所に住んでいるというおじいさんが話しかけてきました。彼の話によると「この建物は福岡県の材料開発研究所で、竹や紙、木工などの材料を研究していた。今は久留米や大川に移っていって空家になった」とのこと。また「昭和4年に建てられた建物だと聞いている」という話もしてくれました。おじいさんが子どもの頃、船小屋で花火大会があるときにはこの建物の屋上から見ていたそうです。

旧福岡県材料開発研究所

 研究所の建物の裏手にはコンクリート造の小さな建物があります。前出のおじいさんの話では「書庫」だそうです。
2010.5.3追記※庵田さんから「建物裏手の建物は、「恒温室」という施設で、室内温度を一定に保たせることで木材などの実験を行っていたところだとのこと。内部を写真で見る限りは、鉱滓煉瓦造のようですね。」というコメントを頂きました。
 
 さて、自宅にもどり「福岡県 材料開発研究所」などのキーワードで検索すると、福岡県工業技術センターWebサイト内にあるPDFファイルがヒット。その中に幾つか関連記述を見つけることができましたが、詳細は分かりませんでした。

 しかし福岡県工業技術センターのサイト以外に、たった1件だけストレートに「材料開発研究所」を紹介しているサイトを発見!なんと、お馴染みタケさんの「ALL-A」で紹介されていました。記事としては昨年の夏に紹介されており、道理でなんとなく見たことがあるような気がしていました。ただ撮影されているのは2002年の夏だそうで、その写真と比べると窓ガラスが割れたりして荒れが目立ってきています。「保存を」という声もあるようですので、何らかの活用方法が見つかるとよいのですが。

 近所のおじいさん曰く「若者が悪さをしに来よる。近所のみんなで注意はしているが…」ということですので、今回は地図の掲載は自粛いたします。

【関連・参考サイト】
ALL-A」> 旧 材料開発研究所
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神山女学校

 阿蘇のカルデラ内に位置する阿蘇市一の宮町宮地。阿蘇神社の参道を中心にした古い街並みにはあちこちに湧水があり、「水基巡りの道」として多くの観光客を集めています。

 そのエリアから少しはずれた静かな場所に、古そうな木造建築を見つけました。道路からは奥まった場所にあり、その大きさから一見して住宅とは違うことがわかります。

神山女学校

 現在はカフェと雑貨のお店として使われているこの建物。お店の方に建物の由来を教えて頂くことができました。それによると元々は洋裁を教える神山女学院の校舎として昭和12年に建てられたものだそうで、昨年の4月からお店として使っているということでした。神山女学院は1902年に設立され、昭和40年には閉校。その後この建物は縫製工場などに使われたりもしたそうです。隣接して昭和30年代に建てられた木造校舎や、校長先生の自宅建物があり、現在はカフェや古美術店として利用されています。

神山女学校

 よく古い木造建築を修復して転用したものの中に、ペンキの厚塗りやその色使いでガッカリするモノありますが、こちらの建物はあまり手が加えられた様子もなく状態も良いようです。外壁は淡いグリーンに塗られていますが、むしろレトロなよい雰囲気を出していると思います。

神山女学校

 店内は木造校舎の趣をそのままに残しています。この廊下も雰囲気満点。床も柱も窓枠、天井までも全て木製。窓ガラスも厚みにムラがある古いモノのようで、向こう側の景色が歪んでいます。

神山女学校

 教室にはちゃんと黒板も残っています。並べてある雑貨は1970年代のものを中心とした古いおもちゃや雑貨。湧水で入れたコーヒーを頂くこともできます。

神山女学校

 教室の壁には備え付けの本棚があり、そのままの使い方で活用されていました。床も壁も本棚も、いい色になっていますね。

神山女学校

 天井の四隅にある換気口に見つけた装飾。小さいところですが面白い。

神山女学校

 店名の「エツ」は、女学校時代の校長先生の名前を頂いてつけたそうです。

 昔から何度も訪れている阿蘇に、このような女学校の建物があったとは正直びっくり。つくづく身近な場所でも知らないことがあるんだと思いました。Webや文献から調べて地域の歴史を掘り起こすのも面白いものですが、このように偶然自分の知らないモノに出会うことも素敵なものですね。 



「etu(エツ)」
所在地:熊本県阿蘇市一の宮町宮地3204
電話:090-3665-8290
営業:午前11時〜午後6時
休:水木曜(祝日は営業)
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佐賀市 まちなみ探訪

 佐賀市歴史民俗館周辺から佐賀城とその濠の周辺には、なかなか魅力的なまちなみや風景が残されています。今回はその中から4つの建物を紹介。

薮内写真館
薮内写真館

 高いマンションと古いまちなみが混在している場所にある薮内写真館。白い木造の洋館はかなり目立っています。もちろん現役の写真館で、二階には雑貨のお店もあるようです。

旧池田医院
旧池田医院

 一見して古い建物だとは分かりますが、玄関アーチ部の消えかかった“池田医院”の文字がなければ、それが病院の建物とは分からないでしょう。周辺には空き地も目立っています。

徴古館
徴古館

 広い駐車場の中に一際目立っているこの建物は、旧佐賀藩主 鍋島家ゆかりの博物館として昭和2年に開館した徴古館です。当時としては珍しい鉄筋コンクリート造で、平成9年に国の登録有形文化財になっています。当日は展示準備に伴う休館で、内部を見ることができませんでした。

旧佐賀県警察部庁舎(さがレトロ館)
旧佐賀県警察部庁舎(さがレトロ館)

 少し離れたところにあるのが、今年3月末にオープンした「さがレトロ館」。カフェ・バーやレストラン、物産館が一緒になったような施設ですが、建物自体は明治20年に佐賀県警察部庁舎として別の場所で建てられたものです。昭和11年に県蚕糸取締所として現在地へ移築され、その後は佐賀地方経済調査庁、県視聴覚ライブラリーなどとして使われていました。平成20年から公園施設として現在の形に修復されたそうですが、現状はまるで新築の建物のよう。入口付近に建物の歴史を簡単に説明したパネルもありますが、意識していない人には“レトロ風の物産館”としか見えないのではないかと、いらぬ心配をしてしまいます。もう少し前面に建物の歴史を出してみても良いのではないでしょうか。




【関連記事】
雑記帳・佐賀市の銀行建築3件

【関連・参考サイト】
佐賀市歴史民俗館
徴古館

※今回紹介した物件、全てコチラでも紹介されています。流石です。
地域文化博物館・高炉館」> 産業考古学研究室 > 近代化産業遺産総合リスト > 佐賀市

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佐賀市の銀行建築 3件

 佐賀県佐賀市には明治・大正時代の建物が多く残っており、それらの中でも歴史的に重要な建物群を佐賀市が整備し、“佐賀市歴史民俗館”として一般に無料公開しています。

 その中心的な建物といえるのがこの旧古賀銀行本店。明治18年、両替商の古賀善平により設立された銀行で、大正8年には九州の5大銀行に数えられるまでに成長したといいます。明治39年に現在地で営業をはじめますが、この建物は大正5年の大改修で増築され完成したものだそうです。しかし不況により大正15年には休業に追い込まれ、昭和8年には解散してしまいます。

旧古賀銀行本店
旧古賀銀行本店・大正5年

 その後は、佐賀商業会議所、佐賀県労働会館、自治労佐賀県本部として使用され、その度に改造・改装されていきます。下の写真は昭和32年頃の同じ建物の写真。角度は僅かに違いますが上の写真と同じ方向からの撮影。特徴的な二つの塔屋が昭和32年の建物にはありません。

昭和30年代の旧古賀銀行本店建物
旧古賀銀行本店 案内パネルより

 実は現在の建物は“最も輝いていた”と言われる大正5年当時の姿を目指して復元修復されたもの。とはいえ、修復には多くの苦労があったと言われるだけあって、実に違和感なく当時の雰囲気をもつ建物になっています。塔屋の部分などは、案内パネルを読むまでは“再現”された部分とは気付きませんでした。
 
旧古賀銀行本店内部

 大きな吹き抜けに木製の長いカウンターと、内部はまさに銀行の雰囲気そのもの。カウンター内にはカフェレストランがあり、周辺散策で疲れたらコーヒーで一服もいいかも。二階にはパネルなどの展示室もあります。

 その旧古賀銀行から100mも離れていないところにあるのが旧三省銀行です。銀行とは思えない外観。窓には銅板の戸が付けられて、まるで蔵のようです。

旧株式会社三省銀行
旧三省銀行・明治18年

 内部も銀行とは思えない造り。カウンターなどなく、入口から入ったら狭い土間があるだけでいきなり畳の座敷になっています。現代の銀行のイメージとかけ離れた建物ですが、それもそのはず。この三省銀行は明治18年に設立され主に米相場取を生業としますが、わずか8年後の明治26年には解散という形で倒産してしまいます。この建物はその当時のものなので、今の銀行の雰囲気とは一味違うものなのでしょう。

旧三省銀行 内部

 内部には大きな吹き抜けの茶の間があったり、二階が洋間になっていたりと、意外性をもつなかなか面白い造りになっています。

旧三省銀行の座敷奥にある中庭

 その中でも素敵だったのがこの中庭。奥には蔵(金庫室?)があり、左手にある廊下によってその間が結ばれています。

 佐賀市歴史民俗館としてはこの他にも、明治期の和風建築である旧古賀家や、大正期の近代和風建築の福田家なども無料で見学することができますので、周辺の街並み散策と合わせて楽しむことができます。

 さて、佐賀市歴史民俗館を後にし車で移動していると、狭い商店街の路地へと迷い込んでしまいました。そこで偶然見つけたのが下の写真の建物。

旧佐賀銀行呉服町支店

 正面入口に「恵比寿ギャラリー」とあるだけで、外見から何の建物かはわかりません。ただ壁には大きな看板が取り外された痕跡があり、その重厚な造りからして銀行だったことが予想できます。

旧佐賀銀行呉服町支店

 帰宅後、庵田さんのWebサイト「地域文化博物館・高炉館」をチェックして、その正体が判明。それによると「旧佐賀銀行呉服町支店」の建物で、昭和9年竣工とのこと。なるほど迫力があるわけです。

旧佐賀銀行呉服町支店
旧佐賀銀行呉服町支店・昭和9年

 この建物、現在は「恵比寿ギャラリー」として地域の様々な催し事や展示会などに利用されているようです。

 今回は佐賀市の狭い範囲で明治・大正・昭和、それぞれの銀行建築を見ることができました。最後の昭和(旧佐賀銀行呉服町支店)は偶然に見つけたものですが、どうせならこれも“佐賀市歴史民俗館”に組み込んでみたら面白いのではないでしょうか?




【関連記事】
雑記帳・佐賀市 まちなみ探訪

【関連・参考サイト】
佐賀市歴史民俗館
地域文化博物館・高炉館」> 産業考古学研究室 > 近代化産業遺産総合リスト > 佐賀市
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熊本市役所古京町別館

 監物台樹木園の森林鉄道機関車を見に行ったときのこと。駐車場から歩いていく途中に変わった建物を見つけました。現在は熊本市役所古京町別館として使われていますが、その古くていかにも“堅そう”な雰囲気からして以前は違う用途で使われていたことが予想できます。

熊本市役所古京町別館

 左右対称のデザインになっている建物は、装飾の類はなく地味といえば地味。屋上というか屋根はなんと瓦葺き!

熊本市役所古京町別館

 近づいて見ると古さを感じません。もしかして最近の建物?と思ってしまうぐらいキレイ。

熊本市役所古京町別館 全体

 結構古い建物かも…と思いWeb検索してみるも詳細は分からず。手持ちの資料にもなく竣工年や当時の用途などもわかりません。どなたかご存知でしょうか(汗)。地元ですので調べて何か分かればまた報告します。

陸軍所轄地の石票

 熊本市役所古京町別館の近くには、このような「陸軍所轄地」の印が。熊本城は陸軍の所管になっていた時期もあったので、軍関係の建物ということも考えられますね。



※ここ最近何かと忙しいため、ネタ的にゆるくなったり更新が滞ることがあるかもしれません。
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官営八幡製鐵所旧本事務所

 1901年(明治34年)、福岡県北九州市八幡で国内初の近代的製鉄所である官営製鉄所東田第一高炉に火が入れられました。旧本事務所と呼ばれているこの煉瓦造二階建ての建物はこのときのもの。明治32年12月に竣工し大正11年までの22年間、官営製鐵所の本事務所として使われていました。

官営八幡製鐵所旧本事務所 正面側

 現在は何にも利用されていないようですが、煉瓦の色も鮮やかな美しい姿を留めています。周囲には建物も何もないので、なんだか映画のセットのよう。

官営八幡製鐵所旧本事務所


官営八幡製鐵所旧本事務所 正面玄関

建物中央のドームや車寄せのアーチなど迫力がありますね。このような煉瓦建築を間近で見る機会はあまりないので、その姿には圧倒されます。

官営八幡製鐵所旧本事務所 裏側

 こちらは建物の裏側。正面とは違い、いたってシンプルな姿です。本事務所として使われていた当時は、1階部分に長官室と事務部門、2階部分に技監室や外国人助手室などの技術部門がおかれていたそうです。

 この旧本事務所は、新日鉄八幡製鐵所の工場敷地内にあるため一般には非公開になっています。残念ですが、このように近くで見ることは通常できないようです。しかし、建物の前には案内板が設置されていたので、イベントなどで一般公開されているのかも知れませんね。機会があれば内部も見てみたいものです。


 写真上部の青マーカーが旧本事務所。写真右側はスペースワールド。下側には東田第一高炉が見えています。

【関連記事】
マップ・東田第一高炉

【関連サイト】
高炉館」> 近代化産業遺産総合リスト > 北九州市八幡東区編
ウィキペディア・八幡製鐵所
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