マップ 報告書 掲示板 リンク 雑記帳
このサイトについて お問い合わせ TOPページへ 九州ヘリテージ

九州の近代化遺産・産業遺産を見て・調べて・紹介!するブログ
<< 解禁日 | ブログTOPへ | 魚貫炭鉱 >>

大築島

 産業の発展と共に大きく姿を変えていき、またその終焉と共に無人となった島といえば“軍艦島”がすぐに頭に浮かぶことと思います。規模こそ違いますが、熊本県の八代海に浮かぶ小さな島“大築島”もそのような歴史を持つ島です。

 大築島は八代海の中央付近に位置し、標高約100mの山を持つ(持っていた)周囲3.8kmの小島です。島全体が良質の石灰岩でできており、明治22年に八代市で操業を始めた日本セメント株式会社八代工場の原料鉱山となります。このときに採掘する従業員と家族が移り、島での人々の生活が始まります。最盛期の昭和30年頃には50世帯約250人が生活しており、小中学校の分校までもありました。

昭和49年の大築島

 昭和49年の大築島の航空写真。運搬船や採掘の様子がわかります(国土交通省国土画像情報サイトの元画像はコチラ)。

 大築島の採掘方法は、坑道を掘り鉱脈や炭層を採掘するのとは違い、島自体がほぼ全て石灰石で出来ているため露天掘りで大地を切り崩していきます。はじめは山の上から切り崩して行くのですが、採掘が進行すると山はなくなり麓の住宅地などにも採掘面が迫ってくることに。そのため昭和36年に従業員とその家族全員が島から八代市へと移住し、大築島は無人へと戻ります。

 その後も石灰石の採掘だけは続き、島は削られ続けその地形を大きく変えていきます。昭和55年7月に、日本セメント八代工場の閉鎖に伴い大築島鉱山も一旦閉鎖しますが、翌月から株式会社飯田工業所大築島鉱山として平成7年まで採掘が続きました。閉山された現在はもちろん無人で、島は一部を除き採掘によって広大な石灰石の平原になっています。

島のほとんどは白い平原になっている

 白い石灰石の大地にも雑草が生えてきています。広大な白い平原はちょっと不思議な光景です。

島の北側の石垣

 島の北側に残る石垣。石灰石の島だけあって石垣までも真っ白です。この位置にはもともとは住宅や分校などがありました。

南側岸壁

 島の南側には石灰石の積み出しや物資の積み下ろしなどに使われた岸壁や施設の痕跡が残っています。一見なにもないように見えますが、他にも過去に使われた採掘方法によるトンネルなどや火薬庫、住宅や建物の基礎も島のあちこちに点在して残っています。石灰鉱山として108年、採掘により大きく姿を変えてしまった大築島は、まさに島全体が一つの大きな産業遺産となっていると言えるでしょう。

 現在、大築島の北側では大規模な浚渫工事が行われており、八代市によって島への上陸が禁止されています。
遺産探訪/鉱山関連 | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

この記事に対するコメント

コメントする









この記事のトラックバックURL
この記事に対するトラックバック
<< November 2017 >>
SunMonTueWedThuFriSat
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
最近の記事
九州ヘリテージいち押し!
肥薩線の近代化遺産
肥薩線の近代化遺産
熊本産業遺産研究会
雑記帳でも紹介しています。
最近のコメント
最近のトラックバック
プロフィール
購 読
RECOMMEND
廃墟という名の産業遺産
廃墟という名の産業遺産 (JUGEMレビュー »)
小林 伸一郎,栗原 亨,酒井 竜次,鹿取 茂雄.他
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
九州遺産―近現代遺産編101
九州遺産―近現代遺産編101 (JUGEMレビュー »)
砂田 光紀,国土交通省九州運輸局,九州産業・生活遺産調査委員会