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荒尾ニ造変電所跡

 熊本県荒尾市には国指定重要文化財の三井三池炭鉱万田坑があり、隣接する福岡県大牟田市と並び石炭の町としてよく知られています。私も荒尾市と言えば炭鉱をイメージしますが、その荒尾市に炭鉱とは関係のない巨大な工場が終戦時まであったということを最近になって知りました。その工場は約100万坪の広大な敷地で、鹿児島本線荒尾駅から約5.2kmの専用引込み線まで持っているというもの。数多くの遺構も残されているということを知り、いてもたっても居られず僅かな時間ですが現地へ行ってきました。

 その工場とは東京陸軍第二兵廠荒尾製造所(通称・荒尾二造)という陸軍の火薬工場。昭和16年に本部事務所が完成、翌17年に専用鉄道と工場が完成し火薬の生産が始まり、火薬の種類によっては全国生産量の約30%を占めるほどの生産高があったといいます。しかし終戦に伴い工場は閉鎖し、一部の施設などは連合軍に接収されることに。後に広大な敷地や施設などは旧大蔵省財務局の管理のもと民間に払い下げられていき、学校や病院の建設や開拓団の入植が行われました。また跡地に設立された紡績工場では、当時の工場建物などが転用されて現在でも使われています。

荒尾二造跡航空写真

上の航空写真は昭和49年のもの(元画像はコチラ)。白破線の内側の部分が工場敷地だったところです。敷地が広すぎてこの写真に納まらないというのもスゴイ。中央を横切る道路は、竣工当時からある約4kmの軍用道路の幹線で最大幅は22mもあるそうです。

 専用引込み線は、終戦時にレールなどがフィリピン向けの賠償物件として指定されたものの、市電を走らせて産業の発展に役立てるという理由で指定を逃れたそうです。実際に専用引込み線は戦後荒尾市電として市民に利用されますが、施設の老朽化と予算の問題などでバスへの切替が決まり昭和39年に廃止されてしまいました。現在はほとんどの区間が自転車専用道路として残されているので、そのうち自転車でトレースしたいものです。

 さて、今回紹介するのは当時の工場施設や専用引込み線に電力を供給していたとされる変電所跡です。数多く残る遺構の中でも、この変電所跡が一番インパクトがあるのではないでしょうか。

arao

 建物というよりは、崖面に作られたシェルターという感じのコンクリートの構造物。背後は丘になっており崖面に穴を掘り部屋としている構造です。爆撃から逃れる為の形態ですので、これで前面に大きな穴が開いていたら掩体壕のようですね。壁面には両側から階段がつけられており、2階へ上がれるようになっていますが、全ての入口や窓は真新しい板で閉じられています。

接収番号
 
2階の壁には白いペンキで「Transformer substation 284」と書かれています。これは連合軍によるもので、「284」とは施設の接収番号とのこと。この他にも荒尾二造関連の遺構には接収番号が多く残されています。

荒尾ニ造変電所跡

変電所跡の周囲には柵が設けられており、国有地であることを示す看板が設置されているだけで特に案内板などはありません。このような施設は他に転用が難しいのかも知れませんが、戦後60年以上経ってもそのまま残されているというのは不思議なものです。


 私がこの荒尾二造を知ったのは「子どもと歩く戦争遺跡2」という一冊の本を読んでから。二度と戦争が身近なものでなくなるようにという思いで、熊本の戦争遺産研究会が戦争遺跡を活用しようという考えのもとにまとめられた本です。「子どもと歩く戦争遺跡2」は、熊本県北の荒尾・玉名・鹿本・菊池・阿蘇を対象とした熊本県北編で、前回の熊本市を中心とする戦争遺跡を紹介した「子どもと歩く戦争遺跡熊本編」に続く第二編。いずれも戦争遺跡の案内だけでなく、写真や図面など詳細な文献調査に加え関係者や体験者などの話も多く取りあげられており、非常に興味深い内容になっています。意外なほどに身近なところにある戦争遺跡。実際にこの本を片手にそれらを見て回ると、戦争の悲惨さを現代に伝える貴重な遺産だということがわかります。もうすぐ熊本県南を中心にまとめた第三編の刊行が予定されているとのこと。書店での取り扱いはありませんが、興味がある方は以下の連絡先で購入できるそうです。
「子どもと歩く戦争遺跡2熊本県北編」A5版119ページ
価格1,000円(送料別)
問合わせ:上村文男さん(TEL/FAX 096-344-8293)
余談ですが現地でカメラを構えていると、どこからか鼻息がフンフン聞こえてきます。ファインダーから目を離すとすぐ近くに大きな犬が来ているではないですか。私は犬にはよく吠えられたり追いかけられたりするタイプの人間ですので、一瞬噛まれやしないかとビックリしましたがとても人懐っこいカワイイ犬でした。カメラを構えている私が面白いのか近付いてきたみたい。

いぬ

「なにやってるのー?」とでも言いたげな顔ですね(笑)。

【参考文献】
「子どもと歩く戦争遺跡2熊本県北編」熊本の戦争遺産研究会/編
「鉄道廃線跡を歩く4」宮脇俊三/著 JTBキャンブックス
遺産探訪/工場・電力関連 | permalink | comments(6) | trackbacks(0)

この記事に対するコメント

三井緑ヶ丘遊園地前の道路がそのままですね。にしても、こんな広い敷地にそんなものがあったとは、、、第1編には三菱重工健軍工場とかも載ってるんでしょうか?興味津々です、、
ごんた | 2007/06/26 9:15 AM
>ごんたさん
三井グリーンランドの南側の広大な敷地が工場だったんですよ。他にも接収番号が書かれた遺構がいくつもあったんですが、またの機会にでも紹介しますね。
「子どもと歩く戦争遺跡熊本編」にはもちろん三菱重工のことも書かれていますよ。ほかにも熊本市の知られざる一面が紹介されておりオススメです。ちなみに過去に紹介した“引込み線の門柱”↓
http://blog.kyushu-heritage.jp/?eid=162935
もこの本で知りました。それまでは怪しいと思いつつもなんの門なのかさっぱり分からなかったので、記事を見つけたときはとても嬉しかったですね。ま、その門も去年撤去されてしまいましたが…。
ゴン太@管理人 | 2007/06/26 10:34 PM
初めまして。
郷里の荒尾について検索していたら、懐かしい写真が目に留まりましたので、コメントお許しください。
昭和三十年代に近くの市営住宅に住んでいました。
この変電所後は当時も立ち入り禁止だったと思うのですが、中に入って遊んだ記憶があります。
当時は入り口のドアも、まだ古いままで、黒い鉄の扉だった気がします。
階段を登り、二階の中に入った記憶もあります。
公園の横には風呂屋もありました。
懐かしい写真ありがとうございました。
はる | 2010/07/26 10:26 AM
>はるさん

コメントありがとうございます。
昭和30年代というと、まだ荒尾市電が走っていた頃ですね。

>黒い鉄の扉だった気がします

無くなってしまった今となれば貴重な情報です。
ゴン太@管理人 | 2010/07/27 11:57 PM
ゴン太さん、荒尾市電はまだ走っていましたよ。
母方の実家に行く時は、いつも市電でした。
市電の線路の上に石を置いて、市電を止めてしまい、怒られたのは懐かしい思い出ですw。
この変電所の前は今はコンクリートの側溝になっているようですが、当時は両岸土の小川が流れていました。
ザリガニがたくさんいたのを憶えています。
荒尾二造の後だったんですね。
当時はまだ、朽ちていく黒いコンクリートの建物は他にもありました。
今思えば、目立たないように黒く塗っていたんでしょうね。
広場では紙芝居を見て、フラフープで遊んだ思い出が蘇りました。
ホント懐かしい写真ばかりで、ありがとうございます。
はる | 2010/07/28 2:54 PM
>はるさん

レスが遅れて申し訳ございません。
荒尾市電を止めたとは!スゴイ思い出ですね(笑)。

実は荒尾二造に関係するコンクリートの建物は、変電所跡の規模ほどではありませんが今でも多く残っています。企業や個人の敷地となっており、転用されて使われているものも多いようです。
ゴン太@管理人 | 2010/08/23 11:32 PM
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