2007.08.03 Friday
貝島炭鉱
福岡県宮若市(旧宮田町・旧若宮町)には、明治18年から昭和51年まで90年間に渡り石炭を採掘した貝島炭鉱がありました。創業者の貝島太助は一介の炭坑夫から身を起こし、麻生、安川と並び筑豊御三家の一人に数えらる炭鉱経営者にまでなった人物として知られています。
この貝島炭鉱は、地元資本とはいえ戦後のピーク時には従業員が1万人を超える大規模なもで、さらに九州では珍しい露天掘りによる採炭も行われていました。通常の坑道掘りも行われていたのですが、他ではあまり見ることのない露天掘りという点が私としてはとても気になっていました。閉山から32年経ち、大規模な選炭施設や竪坑櫓などはもう残っていませんが、露天掘りの跡は現存するということで現地を訪れてみました。
バス停に“貝島本社”という名前が残っています。バス停周辺は住宅街になっており、貝島本社の痕跡は見当たりません。バス停標識の向こう側が露天掘りの跡地になります。
バス停脇から見た露天掘りの跡地。現在大きな池になっていますが、池の周辺の埋立地を含めると非常に広大な敷地です。現在は開発会社の所有地になっているようで、広範囲にわたりフェンスが立てられ立入禁止になっていました。
その露天掘り跡をGoogleマップで見てみるとこんな感じ。左上のマーカーは「貝島本社」バス停。池は一つでなく離れた場所にもあり(コントロールバーで広域表示すると東側に見える池)、そこも露天掘り跡地だと思われます。
上記のGoogleマップ表示部分とほぼ同じ場所。昭和49年(1974年)時点ではまだ採掘が行われていたようで池になっていません。上の航空写真の元画像(国土画像情報サイト)では、露天掘り敷地の東側にホッパーやシックナーなどの施設群や2棟の竪坑櫓も確認できます。また周辺には貝島炭鉱の引込み線、専用線、JR宮田線など多くの軌道も確認できますが、いずれも現在は廃線になっていますのでその関連遺構も気になるところです。
露天掘り跡地の南側には「貝島炭鉱創業の地」の石碑が建てられていました。脇には貝島炭鉱に関する案内パネルも。
現在は住宅地が広がるこのような場所で大規模な露天掘りが行われていたとは、今ではちょっと想像が付きませんね。
「創業の地」の石碑から住宅地にわずかに入ったところに、貝島が建てた小学校跡を利用した宮若市石炭記念館があります。博物館のようなお金がかかった展示物はありませんが、当時の写真や資料の充実ぶりには目を見張るものがあり、また炭鉱で使われた道具や日用品などの“本物”の展示品も膨大な数。なにより、案内して頂いた記念館の職員の方の説明がとても面白く、非常に興味深い話を聞くことができました。展示物全てに目を通そうと思ったら、とても1日じゃあ足りません。機会があればまた訪ねてみたいものです。
【関連サイト】
「宮若市」> 宮若市石炭記念館
「日本の鉱山」> 福岡県 > 貝島炭鉱
この貝島炭鉱は、地元資本とはいえ戦後のピーク時には従業員が1万人を超える大規模なもで、さらに九州では珍しい露天掘りによる採炭も行われていました。通常の坑道掘りも行われていたのですが、他ではあまり見ることのない露天掘りという点が私としてはとても気になっていました。閉山から32年経ち、大規模な選炭施設や竪坑櫓などはもう残っていませんが、露天掘りの跡は現存するということで現地を訪れてみました。
バス停に“貝島本社”という名前が残っています。バス停周辺は住宅街になっており、貝島本社の痕跡は見当たりません。バス停標識の向こう側が露天掘りの跡地になります。
バス停脇から見た露天掘りの跡地。現在大きな池になっていますが、池の周辺の埋立地を含めると非常に広大な敷地です。現在は開発会社の所有地になっているようで、広範囲にわたりフェンスが立てられ立入禁止になっていました。
その露天掘り跡をGoogleマップで見てみるとこんな感じ。左上のマーカーは「貝島本社」バス停。池は一つでなく離れた場所にもあり(コントロールバーで広域表示すると東側に見える池)、そこも露天掘り跡地だと思われます。
上記のGoogleマップ表示部分とほぼ同じ場所。昭和49年(1974年)時点ではまだ採掘が行われていたようで池になっていません。上の航空写真の元画像(国土画像情報サイト)では、露天掘り敷地の東側にホッパーやシックナーなどの施設群や2棟の竪坑櫓も確認できます。また周辺には貝島炭鉱の引込み線、専用線、JR宮田線など多くの軌道も確認できますが、いずれも現在は廃線になっていますのでその関連遺構も気になるところです。
露天掘り跡地の南側には「貝島炭鉱創業の地」の石碑が建てられていました。脇には貝島炭鉱に関する案内パネルも。
現在は住宅地が広がるこのような場所で大規模な露天掘りが行われていたとは、今ではちょっと想像が付きませんね。
「創業の地」の石碑から住宅地にわずかに入ったところに、貝島が建てた小学校跡を利用した宮若市石炭記念館があります。博物館のようなお金がかかった展示物はありませんが、当時の写真や資料の充実ぶりには目を見張るものがあり、また炭鉱で使われた道具や日用品などの“本物”の展示品も膨大な数。なにより、案内して頂いた記念館の職員の方の説明がとても面白く、非常に興味深い話を聞くことができました。展示物全てに目を通そうと思ったら、とても1日じゃあ足りません。機会があればまた訪ねてみたいものです。
【関連サイト】
「宮若市」> 宮若市石炭記念館
「日本の鉱山」> 福岡県 > 貝島炭鉱