2007.11.15 Thursday
JR三角線の煉瓦構造物
熊本県北のJR鹿児島本線に煉瓦アーチを見つけてからというもの、鉄道関連の煉瓦構造物にムクムクと興味が湧いてきました。明治期の九州鉄道時代に造られた路線であれば煉瓦構造物を見つけることができるはず。どこを見てみようかと考えていたら、熊本方面と天草方面を結ぶJR三角線に煉瓦の橋台があるのを思い出しました。天草からの行き帰りに車で通過しながら脇目に見ていて気になっていたのですが、今回いい機会ですのでしっかり見てこようと三角(熊本県宇城市)に向かいました。
JR三角線は熊本県宇土市の宇土駅で鹿児島本線から分岐し、天草の入り口にあたる宇城市(旧三角町)の三角駅まで伸びる25.6kmの路線。九州鉄道により明治32年開業と歴史は古く、煉瓦構造物が多く残っているのではないかと期待も高まります。25kmの短い路線ですが一気に全部を見るのはさすがに無理。今回は石打ダム駅から終点三角駅までの区間に絞り、地形図から橋や拱渠、暗渠などがありそうなポイントの目星をつけて見て周りました。
地図を大きく表示
その結果、上記地図の赤いマーカーの箇所で煉瓦構造物を確認しました。地図を別ウィンドーで開いてみて、拡大して頂くと小さな川や道路を横切る位置にマーカーあるのがわかると思います。それでは三角駅側から順に紹介。
際崎第一B橋梁
線路と並走する国道266号から見える煉瓦の橋台。隅石が施された橋台にIビームの橋が架かります。
橋梁A
大部分をコンクリートで覆われてしまっていますが、橋台上部に僅かに4段ほど煉瓦が見えています。この橋の向こう側はすぐに海で、手前側は小さな入り江のようになっています。近くに住む人の話によると以前はこの入り江はベニヤ工場の貯木場だったそうで、海側から大量の材木を浮かべてこの橋の下を通していたといいます。そのため材木が煉瓦を削り橋台がやせ細った為にコンクリートで補強されたという話を聞きました。ウエブマッピングシステムで昭和49年のこの地点を見てみると、確かに入り江の中には沢山の材木が浮いており貯木場になっているのが分かります。
塩屋トンネル南側
軌道敷地内に立ち入ることができないため坑門に近づけませんが、石組みのアーチと壁面の上半分が煉瓦積みになっているのがわかります。内部は煉瓦巻き。
塩屋トンネル北側
南側と同じく壁面部分は煉瓦で、アーチと壁柱は石積みです。
塩屋第二橋梁
小さな農道に架かる橋。煉瓦の橋台にIビーム橋。
浦第四橋梁
上部に架かる橋はRC構造と思うのですが、煉瓦の橋台までコンクリートに覆われています。
橋梁B
こちらも煉瓦の橋台にRCの橋。
浦第二橋梁
Iビームに煉瓦の橋台の組み合わせ。現場では目の錯覚かと思ったのですが、橋台が内側に傾いているように見えませんか?
波多第四橋梁
大正時代末に列車の大型化に伴い荷重が増加、それまでのプレートガーダー橋に補強構造物を追加して対応することがあったそうです。この波多第四橋梁もその一例で、「クイーンポスト型」という補強が施されています。
橋梁C
正式な名称はわかりませんが順序からすると“波多第三橋梁”でしょうか?激しい藪をかき分けてやっと見ることができますが、その価値があるほど立派な煉瓦のアーチ橋です。約200mほど東にも同じ川を渡る橋(橋梁D・地図上の黄色マーカー)があるのですが、時間が無く(日没が迫っていた)ルートを見つけられず到達できませんでした(泣)。
橋梁E
名称不明(波多第一橋梁?)の煉瓦アーチ橋。橋が見える位置までは到達できるのですが、いいアングルの写真を望むと川の中にはいらないといけないようです。当日は準備不足で川へは入りませんでした。
橋梁F
並走する車道から撮影したもの。藪に埋もれているので目立ちません。
橋梁G
こちらの煉瓦アーチ橋は車道からも良く見えます。橋台部分には隅石が施されています。
暗渠
地形図では石打ダム駅のすぐ先で小さな水路が線路を横切っています。もしかしたらと思い探してみると、民家の脇の窪みに隠れるように煉瓦で造られた暗渠がありました。
今回の三角線煉瓦構造物探索は以上ですが、予想を上回る多くの煉瓦構造物があることにはちょっと驚き。古い鉄道施設であり、煉瓦構造物でもあり、アーチ橋などの隠れたお宝もあるという複合的な魅力になんだかハマりそうです(笑)。
【関連記事】
「熊本県北の鉄道煉瓦アーチ橋(拱渠)」
【関連サイト】
「ALL-A」> カテゴリー「近代化遺産 橋梁」
福岡県を中心として各地の鉄道煉瓦構造物を数多く紹介されています。
「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」> 煉瓦アーチ
九州を中心とした各地の石橋・煉瓦アーチ橋を紹介。その数には圧倒されます。私が到達できなかった煉瓦アーチ橋も美しい写真とともに紹介されています。
JR三角線は熊本県宇土市の宇土駅で鹿児島本線から分岐し、天草の入り口にあたる宇城市(旧三角町)の三角駅まで伸びる25.6kmの路線。九州鉄道により明治32年開業と歴史は古く、煉瓦構造物が多く残っているのではないかと期待も高まります。25kmの短い路線ですが一気に全部を見るのはさすがに無理。今回は石打ダム駅から終点三角駅までの区間に絞り、地形図から橋や拱渠、暗渠などがありそうなポイントの目星をつけて見て周りました。
地図を大きく表示
その結果、上記地図の赤いマーカーの箇所で煉瓦構造物を確認しました。地図を別ウィンドーで開いてみて、拡大して頂くと小さな川や道路を横切る位置にマーカーあるのがわかると思います。それでは三角駅側から順に紹介。
際崎第一B橋梁
線路と並走する国道266号から見える煉瓦の橋台。隅石が施された橋台にIビームの橋が架かります。
橋梁A
大部分をコンクリートで覆われてしまっていますが、橋台上部に僅かに4段ほど煉瓦が見えています。この橋の向こう側はすぐに海で、手前側は小さな入り江のようになっています。近くに住む人の話によると以前はこの入り江はベニヤ工場の貯木場だったそうで、海側から大量の材木を浮かべてこの橋の下を通していたといいます。そのため材木が煉瓦を削り橋台がやせ細った為にコンクリートで補強されたという話を聞きました。ウエブマッピングシステムで昭和49年のこの地点を見てみると、確かに入り江の中には沢山の材木が浮いており貯木場になっているのが分かります。
塩屋トンネル南側
軌道敷地内に立ち入ることができないため坑門に近づけませんが、石組みのアーチと壁面の上半分が煉瓦積みになっているのがわかります。内部は煉瓦巻き。
塩屋トンネル北側
南側と同じく壁面部分は煉瓦で、アーチと壁柱は石積みです。
塩屋第二橋梁
小さな農道に架かる橋。煉瓦の橋台にIビーム橋。
浦第四橋梁
上部に架かる橋はRC構造と思うのですが、煉瓦の橋台までコンクリートに覆われています。
橋梁B
こちらも煉瓦の橋台にRCの橋。
浦第二橋梁
Iビームに煉瓦の橋台の組み合わせ。現場では目の錯覚かと思ったのですが、橋台が内側に傾いているように見えませんか?
波多第四橋梁
大正時代末に列車の大型化に伴い荷重が増加、それまでのプレートガーダー橋に補強構造物を追加して対応することがあったそうです。この波多第四橋梁もその一例で、「クイーンポスト型」という補強が施されています。
橋梁C
正式な名称はわかりませんが順序からすると“波多第三橋梁”でしょうか?激しい藪をかき分けてやっと見ることができますが、その価値があるほど立派な煉瓦のアーチ橋です。約200mほど東にも同じ川を渡る橋(橋梁D・地図上の黄色マーカー)があるのですが、時間が無く(日没が迫っていた)ルートを見つけられず到達できませんでした(泣)。
橋梁E
名称不明(波多第一橋梁?)の煉瓦アーチ橋。橋が見える位置までは到達できるのですが、いいアングルの写真を望むと川の中にはいらないといけないようです。当日は準備不足で川へは入りませんでした。
橋梁F
並走する車道から撮影したもの。藪に埋もれているので目立ちません。
橋梁G
こちらの煉瓦アーチ橋は車道からも良く見えます。橋台部分には隅石が施されています。
暗渠
地形図では石打ダム駅のすぐ先で小さな水路が線路を横切っています。もしかしたらと思い探してみると、民家の脇の窪みに隠れるように煉瓦で造られた暗渠がありました。
今回の三角線煉瓦構造物探索は以上ですが、予想を上回る多くの煉瓦構造物があることにはちょっと驚き。古い鉄道施設であり、煉瓦構造物でもあり、アーチ橋などの隠れたお宝もあるという複合的な魅力になんだかハマりそうです(笑)。
【関連記事】
「熊本県北の鉄道煉瓦アーチ橋(拱渠)」
【関連サイト】
「ALL-A」> カテゴリー「近代化遺産 橋梁」
福岡県を中心として各地の鉄道煉瓦構造物を数多く紹介されています。
「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」> 煉瓦アーチ
九州を中心とした各地の石橋・煉瓦アーチ橋を紹介。その数には圧倒されます。私が到達できなかった煉瓦アーチ橋も美しい写真とともに紹介されています。