2008.02.07 Thursday
杵島炭鉱変電所跡
佐賀県の杵島炭鉱は明治42年に操業開始。北方町、大町町、江北町の3町にまたがる大規模な炭鉱でしたが昭和44に閉山しました。この煉瓦の変電所跡は、大町町に残る唯一の杵島炭鉱関連の建造物ということ。閉山後は個人が倉庫として使用していたそうですが、現在は「杵島炭鉱変電所跡活用推進会」という市民団体が保存・活用に取り組んでいます。変電所跡は通称「大町煉瓦館」として、コンサートやワークショップ、写真コンテストなどのイベントも多く催されており“まちおこし”に上手に活用されているようです。
住宅が密集する小高い丘の上に建つ煉瓦館は、小さい建物ながらも存在感は十分。明治期の建物だと思いますが、はっきりとした建築年数はわかっていないようです。
少し前までは屋根も窓もなかったそうですが、現在は屋根もかけられ窓も付けられています。窓は手作り?のようですね。
反対側から。建物周辺もきれいに手入れされているようです。
三つ並ぶ碍子は電力施設の証(でもないか)。建物の反対側にもあります。
このようなガラス扉が付いただけで随分と雰囲気が変わりますね。
大町町では他にも煉瓦遺構を見つけました。煉瓦の擁壁にも見えますが、もしかしたら巻揚機の台座とか…。ご存知の方いますか?
近くの工場敷地内に見える煉瓦の遺構。コンクリートブロックの上にある煉瓦壁には四角形の凹凸が並んで見えます。大町町には他にも色々ありそうですね。
大きな地図で見る
上のマーカーが杵島炭鉱変電所跡(大町煉瓦館)で、下の二つが煉瓦遺構。大町町公民館には杵島炭鉱関連の展示室もあります。
【関連サイト】
「杵島炭鉱変電所跡 大町煉瓦館」
「西日本新聞」> 九州・山口の産業遺産・近代化遺産 > 佐賀県
住宅が密集する小高い丘の上に建つ煉瓦館は、小さい建物ながらも存在感は十分。明治期の建物だと思いますが、はっきりとした建築年数はわかっていないようです。
少し前までは屋根も窓もなかったそうですが、現在は屋根もかけられ窓も付けられています。窓は手作り?のようですね。
反対側から。建物周辺もきれいに手入れされているようです。
三つ並ぶ碍子は電力施設の証(でもないか)。建物の反対側にもあります。
このようなガラス扉が付いただけで随分と雰囲気が変わりますね。
大町町では他にも煉瓦遺構を見つけました。煉瓦の擁壁にも見えますが、もしかしたら巻揚機の台座とか…。ご存知の方いますか?
近くの工場敷地内に見える煉瓦の遺構。コンクリートブロックの上にある煉瓦壁には四角形の凹凸が並んで見えます。大町町には他にも色々ありそうですね。
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上のマーカーが杵島炭鉱変電所跡(大町煉瓦館)で、下の二つが煉瓦遺構。大町町公民館には杵島炭鉱関連の展示室もあります。
【関連サイト】
「杵島炭鉱変電所跡 大町煉瓦館」
「西日本新聞」> 九州・山口の産業遺産・近代化遺産 > 佐賀県
このレンガの遺構はトンネルの橋脚跡です。この上を電車の線路が走りトロッコで石炭をこの道路南側の選炭場まで運んでいました。