2008.06.05 Thursday
三井山野鉱業学校練習坑道
小舟鉱業所新坑からすぐ近くの所に、稲築町(現・福岡県嘉麻市)町制40周年記念公園があります。小高い丘全体が公園になっており、その丘の麓に三井山野鉱業学校の練習坑道が残っています。
練習坑道の入口は、雑草に埋もれるように遊歩道の脇にありました。脇には簡単な説明が書かれた案内板も立てられています。
案内板によると、三井山野鉱業学校とは山野炭鉱の中堅技術者育成を目的とした学校で、この練習坑道はその生徒達が採鉱実習で昭和32年から3年かけて作ったそうです。完成後は木枠組や採掘などの実習、坑内火災などの災害救助の訓練に使われていましたが、昭和36年1月に同校は閉校に。しかしその後も昭和48年まで、坑内災害の救助活動訓練に使われていたそうです。救助訓練といえば、直方市石炭記念館の訓練坑道も現存していますが、全ての坑道が実際に地下に作られている点が異なります。
柵の隙間から覗いた坑道内の様子。石炭を積んだトロッコや坑木などが見えます。内部の一般公開などがあれば面白そうですね。
こちらは丘の中腹にある、もうひとつの坑口。練習坑道には高さの違う2つの坑口があり、それぞれから水平坑道が伸びています。その高さの異なる水平坑道を、斜坑(斜度11度)と切羽(斜度13度)が結んでおり、ロの字の形に坑道が繋がっています。
丘の頂上部付近にあるコンクリートの構造物。特に説明はありませんが、おそらく練習坑道の換気口だと思われます。
同公園内には、小舟鉱業所が山野炭鉱に合併吸収されるきっかけとなった、昭和40年の山野炭鉱ガス爆発事故(237名死亡)の慰霊碑もあります。
【関連記事】
「雑記帳・小舟鉱業所新坑坑口」
「雑記帳・直方市石炭記念館」
【関連サイト】
「日本の鉱山」> 福岡県 > 三井山野炭鉱 その3
練習坑道の入口は、雑草に埋もれるように遊歩道の脇にありました。脇には簡単な説明が書かれた案内板も立てられています。
案内板によると、三井山野鉱業学校とは山野炭鉱の中堅技術者育成を目的とした学校で、この練習坑道はその生徒達が採鉱実習で昭和32年から3年かけて作ったそうです。完成後は木枠組や採掘などの実習、坑内火災などの災害救助の訓練に使われていましたが、昭和36年1月に同校は閉校に。しかしその後も昭和48年まで、坑内災害の救助活動訓練に使われていたそうです。救助訓練といえば、直方市石炭記念館の訓練坑道も現存していますが、全ての坑道が実際に地下に作られている点が異なります。
柵の隙間から覗いた坑道内の様子。石炭を積んだトロッコや坑木などが見えます。内部の一般公開などがあれば面白そうですね。
こちらは丘の中腹にある、もうひとつの坑口。練習坑道には高さの違う2つの坑口があり、それぞれから水平坑道が伸びています。その高さの異なる水平坑道を、斜坑(斜度11度)と切羽(斜度13度)が結んでおり、ロの字の形に坑道が繋がっています。
丘の頂上部付近にあるコンクリートの構造物。特に説明はありませんが、おそらく練習坑道の換気口だと思われます。
同公園内には、小舟鉱業所が山野炭鉱に合併吸収されるきっかけとなった、昭和40年の山野炭鉱ガス爆発事故(237名死亡)の慰霊碑もあります。
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「雑記帳・小舟鉱業所新坑坑口」
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【関連サイト】
「日本の鉱山」> 福岡県 > 三井山野炭鉱 その3
それだけ当時は炭鉱で働く人がいたって事ですかね
危険と隣り合わせの仕事だから練習も必要だった
のかもしれませんね