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JR多久駅の鉄橋群

 佐賀県のほぼ中央に位置する多久市。かつては三菱・立山・明治などの炭鉱で大いに栄えていました。以前、同市東部に位置する三菱古賀山炭鉱の竪坑櫓を紹介しましたが、その際にいただいたコメントやメールなどで他にも多くの炭鉱遺構が残されていることを知りました。早く行かなきゃ、と思いつつ今回も随分と時間が経ってからの探索に…。

 まずはJR唐津線にある多久駅周辺から遺構探索をはじめようと、駅へと向かいます。多久駅の東側にある踏切を渡ると随分と新しい駅舎が…。後で調べて知ったのですが、多久駅周辺は1994年から進められた土地区画整理事業により大きく変化してしまったようです。現在の駅舎は2008年1月に完成し、周辺に広がる更地は旧駅舎や軌道の跡地とのこと。駅周辺には古い町並みもあったようですが、残念ながらそれも無くなったようです。

 下の写真、左側に真新しい軌道と駅舎が見えます。そして、右側の空き地には元々線路があったことが想像できます。ん?なにか見えませんか?

多久駅の北側

 二つの突起が転車台にも見えてびっくりしましたが、よく見てみると橋が
あるようです。更地は立ち入り禁止でしたので、周囲の道路を使って回り込んでみました。

山犬原川橋梁

 真横から見てみると、煉瓦の橋台に橋脚、そしていかにも古そうなプレートガーダ橋が!しかも4本もあります!どうやら旧軌道で使われていた橋のようです。

山犬原川橋梁

 近づいて細部を観察。4本のプレートガーダ橋はいずれもリベットで組まれて古さを感じます。

山犬原川橋梁

 同形状の上路プレートガーダが3本あり、それぞれに銘板が残っていました。銘板には「鉄道省」と「大正十年」の文字が読み取れます。これって結構なお宝では!?(私にとってですが・笑)

山犬原川橋梁

また塗装記録もそれぞれの主桁にペンキで書き残されており、それによると正式名称は「山犬原川橋梁」ということ。3つの橋とも同じ名称でした。

 そして最後の1本。他の3本とは明らかに規格が違うもの。高さも違えば主桁の幅(間隔)も倍以上に広くなっています。さらに他の橋が緑色で塗装されているのに対し、このガーダ橋だけ赤色です。下写真の奥に見えているコンクリートの橋が現在の軌道。

山犬原川橋梁

 また橋台と橋脚にも違いが見れます。他の3つが煉瓦であるのに対し、これは石積み。橋長が他の2倍あるため、中間に橋脚も持たず川を一跨ぎしています。

山犬原川橋梁

そして間隔の広い主桁の間には、横方向に構造材がほとんどありません。これだと軌道を支えることができないはずです。一体何なのか…。考えながら主桁を眺めていると銘板を見つけました。

山犬原川橋梁

 え〜と、なになに。アルファベットだけで“鉄道省”などの文字はみえませんが、…4桁の数字を見つけました。え!?1890!?

山犬原川橋梁

 確かに1890ってあります。ということは、この橋は1890年(明治23年)製造!!なんと119年前に作られたプレートガーダ橋ということ。これにはビックリです。今まで1900年代の刻印は見たことがありましたが、私にとって1890年代のものは初めて。この思いも寄らぬ出会いには驚きました。

PATENT SHAFT &
AXLETREE CO LD
ENGINEERS
1890
WEDNESBURY
 銘板によると、この橋はイギリスのパテント・シャフト・アンド・アクスルトゥリー社により1890年に製造されたということ。遠いイギリスからよくぞ持ってきたものです。しかも119年もの昔に。

山犬原川橋梁

 隣には、他の橋と同型の煉瓦の橋台だけが一対残っています。川の中央にあるはずの橋脚は取り壊されたようで、基部の煉瓦だけが残っていました。上写真は現在の軌道であるコンクリート橋の下から撮影しています。

山犬原川橋梁

 ところでこの用途不明のプレートガーダ橋ですが、地図や昔の航空写真を見てみると答えが見えてきました。

昭和56年の多久駅

 上の航空写真は1981年の多久駅。軌道が数本通る中に島式のホームが見えますが、矢印のところで写真上から下へと抜ける川を横切っているのがわかります。写真の位置から見ても、この1890年製のプレートガータ橋は線路でなくホームを支えていたと考えることができないでしょうか。う〜ん。ホームを支えるプレートガータ橋というのは面白い!工事関係者や地元の方に話が聞ければ早いのですが、あれこれと推測するのも楽しいものです。多久駅が開業したのは1899年(明治32年)ですので、もしかしたら開業当時からこの場所にあったのかもしれませんね。


 炭鉱の遺構を探していたはずが、気が付いたら鉄道の遺構に夢中になっていました(笑)。再開発の波に飲まれている多久市ですが、まだまだ魅力的なモノが多く残っています。炭鉱遺構はまた今度。

【関連・参考サイト】
弥生の森の散歩径」> 銘板コレクション(メニューから英国Patent Shaft)
Wikipedia : 多久駅
遺産探訪/鉄道・橋梁関連 | permalink | comments(8) | trackbacks(0)

この記事に対するコメント

おもしろいっ!

ホームを支えるプレートガーター。
普段は見えにくいところなので、気づいてないだけで身近にあるものなのかも知れませんね。
まるか | 2009/05/01 8:32 PM
>まるかさん

開通年が古い路線には、案外こんなパターンがあるのかもしれませんね。しかし、この多久駅の橋は取り壊されるのではないかとちょっと心配。残しておく理由もなさそうですし…。
ゴン太@管理人 | 2009/05/02 12:44 AM
リベット桁見に行きたい!1890年ということは「鉄道院」ですか?なかなかレアな橋梁ですね♪
筑豊はこの手の橋梁が放置されたままですので、ここも残るのを期待しましょう♪
blue field | 2009/05/03 2:40 AM
>blue fieldさん

やはり1890年代はレアですよね。1890年は「鉄道院」より昔の「九州鉄道」時代も通り越して「唐津興業鉄道」になってしまいますね。といっても「唐津興業鉄道」の開業は1898年ですので、それより8年も前に製造されたことになります。もしかしたら元々別の所で使用されていたものを、後の時代になって移設・転用されたのかも知れませんね。
ゴン太@管理人 | 2009/05/04 1:47 AM
昨日(5/3)、私も現地に行ってきました。もともと連休中に多久市などの炭鉱を巡る予定を立てていたので、このレポートは実にタイムリーでした。ありがとうございます。
タケ | 2009/05/04 11:15 PM
>タケさん

早速、大きな収穫があったようですね。あのような大型物件でも知られていないものがあるとは…。多久市周辺の炭鉱めぐり、ブログでのレポートを楽しみにしています。
ゴン太@管理人 | 2009/05/05 11:37 PM
英国製のプレートガーター、これはスゴい発見かも!
九鉄は開業時のみドイツ系の機関車で、後半はすべて
アメリカ製です。

おそらく英国式は官設鉄道ですから、本州の都市近郊で
御用済みになったものが、多久駅のホーム改良の頃に
運ばれて鋼材として利用されたというのが、推理の一考です。
おそらくは石炭増産体制に拍車がかかった、大正期くらいの
据え付けではないでしょうか。
昭和初期は今と同じ不況ですから。

こういう転用例は、薩南中央鉄道、後の鹿児島交通知覧線で
19世紀のアメリカ製鉄橋を発見したことがあります。
kotaro | 2010/07/23 6:28 PM
>kotaroさん

コメントありがとうございます。
ホームに使われていることから、確かに転用された可能性が高いですね。鉄橋の場合、転用が多いことも面白いところだと思います。
ゴン太@管理人 | 2010/07/27 11:50 PM
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