2009.06.07 Sunday
明治佐賀炭鉱
佐賀県多久市のJR多久駅近くにある三菱古賀山炭鉱を以前紹介しましたが、その下調べの際に「国土情報ウエブマッピング・多久市の航空写真」を見ていて別の場所(多久駅から西へ約1km)にもボタ山を見つけました。ここは明治鉱業株式会社の明治佐賀鉱業所の跡で、現在でも地名として「明治佐賀」の名前が地図に記されています。
大小複数のボタ山の他にホッパーと思われる構造物や、東南の方向には社宅と思われる住宅群も見えます。ホッパーが見える白枠部分を以下に拡大↓
1974年当時の写真で見る限り、ホッパー以外には目立つ構造物を見つけることはできません。このホッパーを手掛かりに現地へ向かいました。
現在、明治佐賀炭鉱の跡地はセメント工場や製砂工場などになっており、ボタ山も整地されてゴルフ場になっています。ゴルフ場にボタ山の痕跡を見つけることはできませんが、工場には何やら…。
工場南側の道路から敷地内の施設を見渡すことが出来るのですが、その中に2基のホッパーを見つけることで出来ました。上の写真の「ホッパーその1」、「ホッパーその2」共に、その位置にあたる場所に現在もホッパーを見ることができます。また地元の方のお話からも、明治佐賀炭鉱時代のホッパーだと証言を得ることが出来ました。
ホッパーその1(現在)
屋根がついていますが、その下にはコンクリート製のホッパーの姿が見えています。転用されて現在も使われているようです。
ホッパーその2(現在)
こちらのホッパー(貯炭ポケット?)はハッキリとその姿を見ることができます。後ろに見える丘は元々ボタ山だったところで、現在はゴルフ場。
ところで、この2基のホッパーはほぼ直線上に並んでおり、その直線の延長線がカーブを描きながら多久市の中心部へと延びています。1974年当時の航空写真では道路となっている部分ですが、この線形をよくよく見てみるとホッパーと多久駅が繋がっているではありませんか!現時点では資料もなく確証はありませんが、多久駅から明治佐賀炭鉱まで鉄道(貨物)の引込線があったと考えて間違いないでしょう。
赤点滅の線が引込線と思われる
下調べでは全く気付かず、現地で初めてこの線形に気付いて一人大興奮で跡を辿りました(笑)。線形は道路としては途切れている部分もありますが、建物の間隔が不自然に開いていたりするので簡単に辿ることができます。
明治佐賀炭鉱については三菱古賀山炭鉱と同じく、現存する遺構の確認だけしか行なっていませんが、多久市周辺の他の炭鉱も含めて資料・記録などからも今後は調べてみたいと思っています。
青線が引込線予想図。地図左側の2つのマーカーが現存する明治佐賀炭鉱のホッパー。右端に見えているマーカーは三菱古賀山炭鉱のホッパーと関連施設。
※以下は6/16追記
佐賀県多久市にある明治佐賀炭鉱を紹介した記事をご覧頂いた方から、「坑口はご覧になりましたか」というメールをその写真と共に頂きました(Tさん、ありがとうございました)。驚きとともに調べてみたところ、確かに2か所の坑口が残されていることを確認しました。郷土史関連の資料などにはその事実が書かれているようですが、知らなかっただけにこの事実にはとても驚きました。現存する数少ない坑口ですが、現在は民間企業の工場敷地内ということもあり詳細は非公開です。
【関連記事】
「雑記帳・三菱古賀山炭鉱 ホッパーと関連施設」
「雑記帳・三菱古賀山炭鉱 竪坑櫓」
「雑記帳・JR多久駅の鉄橋群」
【関連サイト】
「日本炭鉱公団」> 第一鉱業所 > 九州の炭鉱 > 佐賀 > 明治佐賀炭鉱
↑白枠部分を拡大↓
大小複数のボタ山の他にホッパーと思われる構造物や、東南の方向には社宅と思われる住宅群も見えます。ホッパーが見える白枠部分を以下に拡大↓
1974年当時の写真で見る限り、ホッパー以外には目立つ構造物を見つけることはできません。このホッパーを手掛かりに現地へ向かいました。
現在、明治佐賀炭鉱の跡地はセメント工場や製砂工場などになっており、ボタ山も整地されてゴルフ場になっています。ゴルフ場にボタ山の痕跡を見つけることはできませんが、工場には何やら…。
工場南側の道路から敷地内の施設を見渡すことが出来るのですが、その中に2基のホッパーを見つけることで出来ました。上の写真の「ホッパーその1」、「ホッパーその2」共に、その位置にあたる場所に現在もホッパーを見ることができます。また地元の方のお話からも、明治佐賀炭鉱時代のホッパーだと証言を得ることが出来ました。
ホッパーその1(現在)
屋根がついていますが、その下にはコンクリート製のホッパーの姿が見えています。転用されて現在も使われているようです。
ホッパーその2(現在)
こちらのホッパー(貯炭ポケット?)はハッキリとその姿を見ることができます。後ろに見える丘は元々ボタ山だったところで、現在はゴルフ場。
ところで、この2基のホッパーはほぼ直線上に並んでおり、その直線の延長線がカーブを描きながら多久市の中心部へと延びています。1974年当時の航空写真では道路となっている部分ですが、この線形をよくよく見てみるとホッパーと多久駅が繋がっているではありませんか!現時点では資料もなく確証はありませんが、多久駅から明治佐賀炭鉱まで鉄道(貨物)の引込線があったと考えて間違いないでしょう。
赤点滅の線が引込線と思われる
下調べでは全く気付かず、現地で初めてこの線形に気付いて一人大興奮で跡を辿りました(笑)。線形は道路としては途切れている部分もありますが、建物の間隔が不自然に開いていたりするので簡単に辿ることができます。
明治佐賀炭鉱については三菱古賀山炭鉱と同じく、現存する遺構の確認だけしか行なっていませんが、多久市周辺の他の炭鉱も含めて資料・記録などからも今後は調べてみたいと思っています。
青線が引込線予想図。地図左側の2つのマーカーが現存する明治佐賀炭鉱のホッパー。右端に見えているマーカーは三菱古賀山炭鉱のホッパーと関連施設。
※以下は6/16追記
佐賀県多久市にある明治佐賀炭鉱を紹介した記事をご覧頂いた方から、「坑口はご覧になりましたか」というメールをその写真と共に頂きました(Tさん、ありがとうございました)。驚きとともに調べてみたところ、確かに2か所の坑口が残されていることを確認しました。郷土史関連の資料などにはその事実が書かれているようですが、知らなかっただけにこの事実にはとても驚きました。現存する数少ない坑口ですが、現在は民間企業の工場敷地内ということもあり詳細は非公開です。
【関連記事】
「雑記帳・三菱古賀山炭鉱 ホッパーと関連施設」
「雑記帳・三菱古賀山炭鉱 竪坑櫓」
「雑記帳・JR多久駅の鉄橋群」
【関連サイト】
「日本炭鉱公団」> 第一鉱業所 > 九州の炭鉱 > 佐賀 > 明治佐賀炭鉱
『日本鉄道旅行地図帳 九州沖縄』P22の路線図によると、多久駅から2本の支線が延びていたようです。そのうちの多久〜柚ノ木原の貨物支線(P54唐津線参照)ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。ちなみにウィキペディアの唐津線の項目にもこの貨物支線のことは載っています(同項の歴史、1903年と1967年を参照)。