2009.08.24 Monday
片島魚雷発射試験場
大村湾の北側に位置する長崎県川棚町は、戦時中に海軍工廠(海軍直営の軍需工場)が設置されていたため今でも関連する多くの遺構を見ることができます。その中でも、片島という小さな半島に造られた「片島魚雷発射試験場」は、数多くのWebサイトに紹介されている有名な遺構です。海に突き出た構造物や木々に埋もれゆく廃墟は、一種独特な景観を作り出しています。
現地では断続的に強い雨が降る最悪のコンディションでしたが、所用のついでに無理して川棚まで足を伸ばしたので強引に見て回ることに。川棚町内を東西に横切る国道205号から「片島」の先端へ続く路地に入り、集落が途切れるところまで進むと5連アーチが特徴的な桟橋が見えてきます。

手前には川棚町教育委員会による案内板も。それによれば佐世保湾北岸の海軍工廠で製造された魚雷を試験するために、大正7年、ここ片島に魚雷発射試験場を設置。そして昭和17年に川棚に海軍工廠が設置されたことに伴い施設を拡張。その際に片島は海峡が埋められ陸続きになったとあります。なるほど、半島なのに地名が「片島」になっているのにはこういう経緯があったんですね。

桟橋の陸側にあるのが、石組みと煉瓦、そしてコンクリートも使われている大きな建物の廃墟です。発射試験を行なう魚雷の調整などを行なったと思われる建物ですが、既に窓や屋根などは全く残っていません。しかし、床にはタイルの部分があったり、何かの台座のような構造物があったり、また深い窪みが造られていたりと数多くの特徴ある痕跡が残されています。

建物内部から。床から生えた木々は屋根の高さまで達し、廃墟となってからの時間の長さを物語っています。

その建物の正面から伸びる桟橋上面には、レールが敷かれていたと思われる痕跡があります。おそらく魚雷を運搬するのにトロッコなどを使ったのではないでしょうか。

桟橋を渡り切った突き当たりにはクレーンのものと思われる大きな台座の痕跡も。おばちゃんが「小さな魚しかいないね」と釣りをしていました。

桟橋の先端は浸食により一部が大きく陥没しています。塔屋は元々二つ建っていたそうですが、片方は倒壊しており僅かに瓦礫が残っていました(写真右端)。塔屋の間にはコの字型の窪みがあり、そこから魚雷を海中へと降ろして発射していたのではないでしょうか。

塔屋は外見からだと鉄筋コンクリート造に見えるのですが、内部に入ってみると煉瓦造であることがわかります。しかし、よく見てみるとモルタルが剥離し鉄筋が露出している部分もあるので、完全な煉瓦造ではないようです。

桟橋先端から陸地を振り返って。写真右端にも二階建ての施設が見えますが、陸続きではないのでたどり付く事はできません。

コンクリートで作られた車一台が通れるほどの道がありますが、途中で途切れています。建物の入口らしい部分の下側が橋台と思われる形状になっており、同じものがこちらの陸側にもあるので元々は橋が架かっていたのでしょう。

今回紹介した施設以外にも、発射された魚雷を観測する為の観測所が片島の高台部分に現存しています。しかし、今回は雨が強くなり探索を断念。次回、天気が良い日に再訪したいと思っています。
【参考・関連サイト】
「ALL-A」> 川棚町の関連サイト・エントリー集
「みに・ミーの部屋」> 廃虚・近代遺跡写真館 > 川棚町戦争遺跡
現地では断続的に強い雨が降る最悪のコンディションでしたが、所用のついでに無理して川棚まで足を伸ばしたので強引に見て回ることに。川棚町内を東西に横切る国道205号から「片島」の先端へ続く路地に入り、集落が途切れるところまで進むと5連アーチが特徴的な桟橋が見えてきます。

手前には川棚町教育委員会による案内板も。それによれば佐世保湾北岸の海軍工廠で製造された魚雷を試験するために、大正7年、ここ片島に魚雷発射試験場を設置。そして昭和17年に川棚に海軍工廠が設置されたことに伴い施設を拡張。その際に片島は海峡が埋められ陸続きになったとあります。なるほど、半島なのに地名が「片島」になっているのにはこういう経緯があったんですね。

桟橋の陸側にあるのが、石組みと煉瓦、そしてコンクリートも使われている大きな建物の廃墟です。発射試験を行なう魚雷の調整などを行なったと思われる建物ですが、既に窓や屋根などは全く残っていません。しかし、床にはタイルの部分があったり、何かの台座のような構造物があったり、また深い窪みが造られていたりと数多くの特徴ある痕跡が残されています。

建物内部から。床から生えた木々は屋根の高さまで達し、廃墟となってからの時間の長さを物語っています。

その建物の正面から伸びる桟橋上面には、レールが敷かれていたと思われる痕跡があります。おそらく魚雷を運搬するのにトロッコなどを使ったのではないでしょうか。

桟橋を渡り切った突き当たりにはクレーンのものと思われる大きな台座の痕跡も。おばちゃんが「小さな魚しかいないね」と釣りをしていました。

桟橋の先端は浸食により一部が大きく陥没しています。塔屋は元々二つ建っていたそうですが、片方は倒壊しており僅かに瓦礫が残っていました(写真右端)。塔屋の間にはコの字型の窪みがあり、そこから魚雷を海中へと降ろして発射していたのではないでしょうか。

塔屋は外見からだと鉄筋コンクリート造に見えるのですが、内部に入ってみると煉瓦造であることがわかります。しかし、よく見てみるとモルタルが剥離し鉄筋が露出している部分もあるので、完全な煉瓦造ではないようです。

桟橋先端から陸地を振り返って。写真右端にも二階建ての施設が見えますが、陸続きではないのでたどり付く事はできません。

コンクリートで作られた車一台が通れるほどの道がありますが、途中で途切れています。建物の入口らしい部分の下側が橋台と思われる形状になっており、同じものがこちらの陸側にもあるので元々は橋が架かっていたのでしょう。

今回紹介した施設以外にも、発射された魚雷を観測する為の観測所が片島の高台部分に現存しています。しかし、今回は雨が強くなり探索を断念。次回、天気が良い日に再訪したいと思っています。
【参考・関連サイト】
「ALL-A」> 川棚町の関連サイト・エントリー集
「みに・ミーの部屋」> 廃虚・近代遺跡写真館 > 川棚町戦争遺跡