2010.01.29 Friday
高瀬火力発電所
昨年秋に「玉名市立歴史博物館こころピア」職員のTさんとAさんに大浜飛行場跡を案内して頂いたとき、一緒に高瀬火力発電所跡も案内して頂きました。
この「高瀬火力発電所跡」は、数年前に「JR鹿児島本線の玉名駅近くに、大正時代からの火力発電所の建物が残っている」という話を耳にして以来、私の中でずっと気になっていたもののひとつでした。いつか探してみようと思っていたのですが、今回は玉名市立歴史博物館の職員の方に話が聞ける絶好のチャンスですので「玉名市には大正時代に建てられた火力発電所があると聞いたことがあるのですが」と質問してみました。すると一部想定外の返事が…。
「はい。建物が残っていますよ。引き込み線跡も橋とか残っていますよ。」
何!?引き込み線!?橋!?と、とても驚いたのですが、燃料の石炭を運び入れるための専用線として当然考えられるものです。また駅の近くに発電所が位置するということも、そういう理由だと納得。しかし、その痕跡が残っているとは嬉しい限りです。
高瀬火力発電所は大正13年に竣工し、認可最大出力8,000kw、可能最大出力は4,000kw。近くを流れる菊池川の水を利用し、燃料には三井三池炭鉱の石炭も使われていました。玉名駅から三池炭鉱のある大牟田駅までは6駅しか離れていないので、三池炭は輸送コストの面で有利だったのでしょう。戦後は“三池炭でフル稼働”していたそうですが、昭和28年に操業停止、昭和30年には廃止されることになります。廃止の理由ははっきりとわかりませんが、各地で水力発電所が建設されたことと、施設の老朽化などがその理由ではないでしょうか。その後、跡地と建物は民間企業の工場として使用され現在に至っています。
まずは昭和49年の航空写真で玉名駅と発電所の位置関係を見てみましょう。
発電所廃止から19年も経った昭和49年当時ですが、引き込み線が発電所の建物まで延びているのがはっきりと確認できます。また火力発電所のシンボルでもある煙突の長い影も映っていますね。煙突の高さは64メートルで、発電所廃止後も跡地を買い取った会社が焼却炉の煙突として使用していましたが、老朽化により昭和60年に解体されました。さて、同じ場所をGoogleマップで現在の様子を見てみましょう。
鹿児島本線から分岐する引き込み線のカーブは現在でも確認できます。2個あるマーカーのうち、上のマーカーは引き込み線が水路と交差しているポイント。下のマーカーは発電所の建物です。では、それぞれを見ていきましょう。
上の写真は引き込み線と水路の交差ポイント。小さいものですが確かに橋が残っています。写真中央奥の三角の建物は玉名駅の跨線橋。写真右奥に延びる草地が引き込み線跡です。
コンクリート製橋台にI(アイ)ビームの鉄桁というシンプルなもの。レールこそ無いものの、枕木もちゃんと残っていて鉄道遺構としては見事です。廃(引き込み)線愛好家にとっては、思わず「おー」と声がでてしまう物件(笑)ではないでしょうか。実に貴重な遺構です。
この引き込み線(専用線)は、火力発電所の廃止後も跡地を買い取った企業によって使われていたようですが、玉名市史にはこの引き込み線から“ミカン”の発送が行なわれていたという記述があります。なんでも昭和47年にはこの引き込み線だけで8,540トンのミカンを発送したとのこと。石炭を降ろしていた引き込み線からミカンを発送とは面白いですね。
さて、火力発電所の建物ですが、企業が工場として使用していますので許可なくては内部はもちろん近くから見ることもできません。
工場の北側にある正門からだと火力発電所だった建物はよく見えませんが、南側からだとよく見ることができます。手前の駐車場あたりに煙突があったと思われます。
大正時代の建物らしいデザインで、独特な雰囲気が出ています。機会があれば近くから(よければ内部も)見てみたいものですね。
当日は火力発電所跡という大型の産業遺産だけでなく引き込み線という予想外の出会いもあり、さらには大浜飛行場跡も細かく案内していただきとても充実した1日でした。博物館のTさん、Aさん、お世話になりました。
【関連記事】
「雑記帳・大浜飛行場跡」
【関連サイト】
「玉名市立歴史博物館こころピア」
【参考文献】
「玉名市史 通史篇下巻」玉名市立歴史博物館こころピア/編 2005年
この「高瀬火力発電所跡」は、数年前に「JR鹿児島本線の玉名駅近くに、大正時代からの火力発電所の建物が残っている」という話を耳にして以来、私の中でずっと気になっていたもののひとつでした。いつか探してみようと思っていたのですが、今回は玉名市立歴史博物館の職員の方に話が聞ける絶好のチャンスですので「玉名市には大正時代に建てられた火力発電所があると聞いたことがあるのですが」と質問してみました。すると一部想定外の返事が…。
「はい。建物が残っていますよ。引き込み線跡も橋とか残っていますよ。」
何!?引き込み線!?橋!?と、とても驚いたのですが、燃料の石炭を運び入れるための専用線として当然考えられるものです。また駅の近くに発電所が位置するということも、そういう理由だと納得。しかし、その痕跡が残っているとは嬉しい限りです。
高瀬火力発電所は大正13年に竣工し、認可最大出力8,000kw、可能最大出力は4,000kw。近くを流れる菊池川の水を利用し、燃料には三井三池炭鉱の石炭も使われていました。玉名駅から三池炭鉱のある大牟田駅までは6駅しか離れていないので、三池炭は輸送コストの面で有利だったのでしょう。戦後は“三池炭でフル稼働”していたそうですが、昭和28年に操業停止、昭和30年には廃止されることになります。廃止の理由ははっきりとわかりませんが、各地で水力発電所が建設されたことと、施設の老朽化などがその理由ではないでしょうか。その後、跡地と建物は民間企業の工場として使用され現在に至っています。
まずは昭和49年の航空写真で玉名駅と発電所の位置関係を見てみましょう。
発電所廃止から19年も経った昭和49年当時ですが、引き込み線が発電所の建物まで延びているのがはっきりと確認できます。また火力発電所のシンボルでもある煙突の長い影も映っていますね。煙突の高さは64メートルで、発電所廃止後も跡地を買い取った会社が焼却炉の煙突として使用していましたが、老朽化により昭和60年に解体されました。さて、同じ場所をGoogleマップで現在の様子を見てみましょう。
鹿児島本線から分岐する引き込み線のカーブは現在でも確認できます。2個あるマーカーのうち、上のマーカーは引き込み線が水路と交差しているポイント。下のマーカーは発電所の建物です。では、それぞれを見ていきましょう。
上の写真は引き込み線と水路の交差ポイント。小さいものですが確かに橋が残っています。写真中央奥の三角の建物は玉名駅の跨線橋。写真右奥に延びる草地が引き込み線跡です。
コンクリート製橋台にI(アイ)ビームの鉄桁というシンプルなもの。レールこそ無いものの、枕木もちゃんと残っていて鉄道遺構としては見事です。廃(引き込み)線愛好家にとっては、思わず「おー」と声がでてしまう物件(笑)ではないでしょうか。実に貴重な遺構です。
この引き込み線(専用線)は、火力発電所の廃止後も跡地を買い取った企業によって使われていたようですが、玉名市史にはこの引き込み線から“ミカン”の発送が行なわれていたという記述があります。なんでも昭和47年にはこの引き込み線だけで8,540トンのミカンを発送したとのこと。石炭を降ろしていた引き込み線からミカンを発送とは面白いですね。
さて、火力発電所の建物ですが、企業が工場として使用していますので許可なくては内部はもちろん近くから見ることもできません。
工場の北側にある正門からだと火力発電所だった建物はよく見えませんが、南側からだとよく見ることができます。手前の駐車場あたりに煙突があったと思われます。
大正時代の建物らしいデザインで、独特な雰囲気が出ています。機会があれば近くから(よければ内部も)見てみたいものですね。
当日は火力発電所跡という大型の産業遺産だけでなく引き込み線という予想外の出会いもあり、さらには大浜飛行場跡も細かく案内していただきとても充実した1日でした。博物館のTさん、Aさん、お世話になりました。
【関連記事】
「雑記帳・大浜飛行場跡」
【関連サイト】
「玉名市立歴史博物館こころピア」
【参考文献】
「玉名市史 通史篇下巻」玉名市立歴史博物館こころピア/編 2005年
火力発電所が今日まで再利用されているのには驚きました。