2010.01.08 Friday
祝子川発電所03
祝子川発電所の3回目(最終回)は、その正体に迫ってみましょう。現地では何の手掛かりも得られませんでしたが、九州電力か宮崎県企業局のどちらかに詳細な情報があるのでは?なんて気軽に考えていました。しかし…

宮崎県北部を流れる祝子川には、県企業局の発電所ばかり3つもあります。そのためこの祝子川発電所も県営のものかもと思い企業局に問い合わせたところ、「九州電力の発電所です」という返事。それではと九州電力に問い合わせてみましたが、廃止になって時間も経っており詳しい記録などは残っていないとのことでした。しょっぱなから予想は外れたものの、この廃墟の発電所が昭和47年7月31日に廃止された九州電力株式会社の「祝子川発電所」だという事が確認できただけでも大収穫です。
祝子川では昭和42年から「祝子川総合開発事業」が行なわれ、県企業局の発電所と、それに伴う複数のダム・堰の建設が始まります。そのうちの一つ「県営祝子発電所(昭和47年完成)」は、そこから約9km上流にある「祝子ダム(昭和47年完成)」から取水しますが、その9km区間内に今回紹介した祝子川発電所と取水施設は位置しています。上流に祝子ダムができたことにより、祝子川発電所は実質取水できなくなるため廃止されたという訳です。
それにしてもまだ祝子川発電所の全体像は見えません。そこで幾つか文献をあたってみたところ、僅かですが幾つかの情報が出てきました。まず面白いと思ったのが、そのルーツ。それは延岡藩主だった内藤家にあるようです。
明治33年、宮崎県北部で日平鉱山を経営していた旧延岡藩主の内藤家は、鉱山事業の拡大と近代化のためには電化が必要と水力発電所の建設に取り掛かります。日平鉱山のすぐ近くには三菱が経営する槙峰鉱山があり、こちらは早くから水力発電所を設置するなど近代化が進んでおり、両鉱山は競うように設備の拡充をしていき生産を伸ばしていきました。
明治40年、内藤家は坑内排水ポンプ用に2つ目の水力発電所を建設しますが、これにより電力に余裕が出ることになります。そこで延岡に「延岡電気所」を設置、余剰電力の送電を開始。明治43年、延岡に初めて電灯が点りました。これが内藤家の電気事業への足がかりとなります。
もともと内藤家の鉱山のための発電だったものが、延岡を中心に県北の広範囲が営業区域になる大きな事業へと発展。大正13年には延岡電気所から延岡電気株式会社となり、営業区域も更に広がっていきます。そこで電力増産のために新たに発電所も作られていくことに。その中のひとつ、昭和5年に完成したのがこの「祝子川発電所」です。
昭和8年時点の祝子川発電所のスペックは以下の通り。
さて、その九州水電ですが、国の電力統制政策により昭和17年に九州配電株式会社へ統合。それに伴い傘下にあった延岡電気も九州配電へ統合されます。そして戦後は国内の電力事業が再編成され、九州のすべての電気事業は昭和26年に設立された九州電力株式会社へと引き継がれ現在に到っています。
廃止になって今年で38年の祝子川発電所。ビジュアルのインパクトもありますが、実はその歴史にも結構興味深いポイントがありました。ちょこっと調べただけでも、案外「へー」と思うことが出てくるものなんですね。しかし、今回は「雑記帳」ネタとしてはちょっと長くなってしまいました。久しぶりに「報告書」のネタにしたほうがよかったかな…。
【関連記事】
「雑記帳・祝子川発電所01」
「雑記帳・祝子川発電所02」
「雑記帳・祝子川発電所03」
【関連サイト・参考サイト】
「九州電力」> 宮崎支店 > 宮崎支社について > 沿革一覧
「宮崎県企業局」> 電気事業
「麻生グループ」> 麻生の歴史 「麻生の足跡」と「麻生百年史」を展開
【参考文献】
「延岡市史 下巻」延岡市史編さん委員会/1983
「北川町史 通史編」北川町/2004
「九州水力電気株式会社二十年沿革史」九州水力電気株式会社/1933

宮崎県北部を流れる祝子川には、県企業局の発電所ばかり3つもあります。そのためこの祝子川発電所も県営のものかもと思い企業局に問い合わせたところ、「九州電力の発電所です」という返事。それではと九州電力に問い合わせてみましたが、廃止になって時間も経っており詳しい記録などは残っていないとのことでした。しょっぱなから予想は外れたものの、この廃墟の発電所が昭和47年7月31日に廃止された九州電力株式会社の「祝子川発電所」だという事が確認できただけでも大収穫です。
祝子川では昭和42年から「祝子川総合開発事業」が行なわれ、県企業局の発電所と、それに伴う複数のダム・堰の建設が始まります。そのうちの一つ「県営祝子発電所(昭和47年完成)」は、そこから約9km上流にある「祝子ダム(昭和47年完成)」から取水しますが、その9km区間内に今回紹介した祝子川発電所と取水施設は位置しています。上流に祝子ダムができたことにより、祝子川発電所は実質取水できなくなるため廃止されたという訳です。
それにしてもまだ祝子川発電所の全体像は見えません。そこで幾つか文献をあたってみたところ、僅かですが幾つかの情報が出てきました。まず面白いと思ったのが、そのルーツ。それは延岡藩主だった内藤家にあるようです。
明治33年、宮崎県北部で日平鉱山を経営していた旧延岡藩主の内藤家は、鉱山事業の拡大と近代化のためには電化が必要と水力発電所の建設に取り掛かります。日平鉱山のすぐ近くには三菱が経営する槙峰鉱山があり、こちらは早くから水力発電所を設置するなど近代化が進んでおり、両鉱山は競うように設備の拡充をしていき生産を伸ばしていきました。
明治40年、内藤家は坑内排水ポンプ用に2つ目の水力発電所を建設しますが、これにより電力に余裕が出ることになります。そこで延岡に「延岡電気所」を設置、余剰電力の送電を開始。明治43年、延岡に初めて電灯が点りました。これが内藤家の電気事業への足がかりとなります。
もともと内藤家の鉱山のための発電だったものが、延岡を中心に県北の広範囲が営業区域になる大きな事業へと発展。大正13年には延岡電気所から延岡電気株式会社となり、営業区域も更に広がっていきます。そこで電力増産のために新たに発電所も作られていくことに。その中のひとつ、昭和5年に完成したのがこの「祝子川発電所」です。
昭和8年時点の祝子川発電所のスペックは以下の通り。
・発電所位置 宮崎県東臼杵郡東海村大字祝子祝子川発電所が完成した昭和5年、内藤家が所有する延岡電気49,000株全部が福岡に本社のある九州水力電気株式会社(九州水電)に売却されます。その後も九州水電は延岡電気の株を買い進め、最終的には全7万株中6万3,565株を取得。結果、延岡電気は九州水電の傘下に入り、社長も九州水電の人間に代わることになります。そこでちょっと驚いたのがその人物。「九州水電」と聞いてピンと来た方もいると思いますが、私は知らなかったのでその名前にビックリ。なんと社長に就任したのは当時の九州水電の社長でもあった麻生太吉だったのです。麻生太吉は炭鉱王として財を築き、麻生前首相の曽祖父としても有名ですよね。宮崎の山奥の発電所と筑豊の炭鉱王に、このような繋がりがあったとは面白い。
・使用開始 昭和5年1月
・許可出力 3,200キロワット
・使用河川名 祝子川
・有効落差 183.67メートル
・使用水量 毎秒2.226立方メートル
・取水口位置 宮崎県東臼杵郡北川村大字川内
・水路総延長 3,937.560メートル
内 開渠 2.1メートル
暗渠 120.4メートル
隧道 3,815.06メートル
・水車 種類 横軸(ツインダブルノズルペルトン水車)
馬力数 2,250馬力
個数 2個
製造者 電業社
・発電機 方式 三相交流50サイクル(Hz) 3,500ボルト
容量 4,000KVA
個数 2個
製造者 芝浦製作所
・変圧器 容量 1,340KVA
電圧 一次側3,500ボルト 二次側22,000ボルト
個数 2個
製造者 日立製作所
昭和8年発行 九州水力電気株式会社二十年沿革史より
(単位などの表記は現在のものに書き換えています)
さて、その九州水電ですが、国の電力統制政策により昭和17年に九州配電株式会社へ統合。それに伴い傘下にあった延岡電気も九州配電へ統合されます。そして戦後は国内の電力事業が再編成され、九州のすべての電気事業は昭和26年に設立された九州電力株式会社へと引き継がれ現在に到っています。
廃止になって今年で38年の祝子川発電所。ビジュアルのインパクトもありますが、実はその歴史にも結構興味深いポイントがありました。ちょこっと調べただけでも、案外「へー」と思うことが出てくるものなんですね。しかし、今回は「雑記帳」ネタとしてはちょっと長くなってしまいました。久しぶりに「報告書」のネタにしたほうがよかったかな…。
【関連記事】
「雑記帳・祝子川発電所01」
「雑記帳・祝子川発電所02」
「雑記帳・祝子川発電所03」
【関連サイト・参考サイト】
「九州電力」> 宮崎支店 > 宮崎支社について > 沿革一覧
「宮崎県企業局」> 電気事業
「麻生グループ」> 麻生の歴史 「麻生の足跡」と「麻生百年史」を展開
【参考文献】
「延岡市史 下巻」延岡市史編さん委員会/1983
「北川町史 通史編」北川町/2004
「九州水力電気株式会社二十年沿革史」九州水力電気株式会社/1933
大変興味深く読ませていただきました!
内藤家が鉱山とういのはぼんやり聞いたこがありましたが、
何だかんだで麻生家とのつながりがあったとは…!
何でも調べてみないといけませんね〜