2011.02.14 Monday
三菱重工 地下工場
戦時中の熊本市には、爆撃機「飛龍」を生産した三菱重工熊本航空機製作所の大規模な工場がありました。現在、敷地跡の半分が陸上自衛隊健軍駐屯地(西部方面総監部)となり、三菱時代の工場建屋(詳細はコチラ)が倉庫などに転用されて現在も残されています。
当時の工場は巨大なうえに爆撃機を生産していたので、当然アメリカ軍の攻撃目標になります。実際に攻撃も受けており、施設被害だけでなく約30人の死傷者も出たとのこと。そこで工場は疎開と分散をすることになり、その一部は地下工場となりました。
「地元熊本に三菱重工の地下工場があったのか!」と、その事実を知ったときには随分と驚きました。小規模な地下工場跡は既にいくつか発見されていますが、“まだ発見されていない大規模な地下工場がある”という情報もあり更にビックリ。軍需工場だった三菱重工の地下工場、言ってみれば“飛行機を作っていた秘密工場”が今も地下で眠っているわけです。
と、そんなことを考えて間もない去年の2月のこと。地元新聞に「熊本市に地下工場跡・県内最大規模・三菱重工地下工場、熊本市龍田町で見つかる」と大きく報じられました。これは「熊本の戦争遺跡研究会」が聞き取りなどにより発見したもので、その調査を伝える記事には巨大な地下空間の写真も掲載されています。やっぱりあったんだ!と驚いたと共に「コレは是非とも実物を見てみたい」と思っていたところ、なんとその測量調査に同行させて頂くことができました。(研究会のT先生、ありがとうございました。)
地下工場への入口は、こんなところに!?と思うような住宅地奥の竹林内にあります。現在は種芋の保管庫として利用されているとのこと。
私有地の中ということもあり、人目にはつかない場所です。芋の保管庫として使われているために、内部には簡単な照明が設置してありました。
軽自動車と入口の比較。軽自動車であれば入ってしまいそう。
同方向を向いた入口4か所を、一旦この矩形の通路が接続しています。そして、この通路の横方向に大空間が広がっています。(下記平面図で左右方向を結ぶ一直線の通路部分)
写真から空間の大きさが伝わるでしょうか。奥で男性が脚立の上に立って、測量しています。左手のコンテナは芋の保管用。岩盤に掘られたものなので天井・壁面もしっかりとしています。床面は全面コンクリート。
高さ約4.3m、幅約4.7m、長さ約20mのこのような空間が2つあり、90度に近い角度でVの字の形になって繋がっています。
地下工場の平面図。手前(下側)に4つの入口があるのがわかります。
上の写真はVの字の角(上記平面図の三角頂点部分)から広角レンズ(10mm・Nikon D300)で撮影。その空間の広さと地下壕としての作りの良さがわかると思います。天井や床、壁面の仕上げも良く、また照明の効果もあると思いますが、地下壕にありがちな気味悪さは全くありません。
この地下工場は、飛龍のエンジンの組み立てと整備を行なうための工場として、昭和20年の春ごろに掘られたとのこと。工場付近の民家の納屋には数機分のエンジンが届いており整備を待っていたそうです。しかし、工場完成の直前になって終戦を迎えることになり、実際にこの地下工場が稼動することはありませんでした。
さて、今回紹介した三菱重工地下工場は、昨年12月に発売された「熊本の戦争遺跡」(編集:熊本の戦争遺跡研究会)にて詳しく紹介されています。同書は熊本県内に残る戦争遺産を綿密な調査でまとめたもので、貴重な写真が数多く掲載されているだけでなく、当時を知る関係者の証言、測量調査による図面など、驚くほど詳細な情報が載せられています。
【関連記事】
「雑記帳:旧三菱重工熊本航空機製作所」
【関連サイト】
「ホープ印刷」> 『熊本の戦争遺跡』刊行のご案内
【参考資料】
「熊本の戦争遺跡」編集:熊本の戦争遺跡研究会
当時の工場は巨大なうえに爆撃機を生産していたので、当然アメリカ軍の攻撃目標になります。実際に攻撃も受けており、施設被害だけでなく約30人の死傷者も出たとのこと。そこで工場は疎開と分散をすることになり、その一部は地下工場となりました。
「地元熊本に三菱重工の地下工場があったのか!」と、その事実を知ったときには随分と驚きました。小規模な地下工場跡は既にいくつか発見されていますが、“まだ発見されていない大規模な地下工場がある”という情報もあり更にビックリ。軍需工場だった三菱重工の地下工場、言ってみれば“飛行機を作っていた秘密工場”が今も地下で眠っているわけです。
と、そんなことを考えて間もない去年の2月のこと。地元新聞に「熊本市に地下工場跡・県内最大規模・三菱重工地下工場、熊本市龍田町で見つかる」と大きく報じられました。これは「熊本の戦争遺跡研究会」が聞き取りなどにより発見したもので、その調査を伝える記事には巨大な地下空間の写真も掲載されています。やっぱりあったんだ!と驚いたと共に「コレは是非とも実物を見てみたい」と思っていたところ、なんとその測量調査に同行させて頂くことができました。(研究会のT先生、ありがとうございました。)
地下工場への入口は、こんなところに!?と思うような住宅地奥の竹林内にあります。現在は種芋の保管庫として利用されているとのこと。
私有地の中ということもあり、人目にはつかない場所です。芋の保管庫として使われているために、内部には簡単な照明が設置してありました。
軽自動車と入口の比較。軽自動車であれば入ってしまいそう。
同方向を向いた入口4か所を、一旦この矩形の通路が接続しています。そして、この通路の横方向に大空間が広がっています。(下記平面図で左右方向を結ぶ一直線の通路部分)
写真から空間の大きさが伝わるでしょうか。奥で男性が脚立の上に立って、測量しています。左手のコンテナは芋の保管用。岩盤に掘られたものなので天井・壁面もしっかりとしています。床面は全面コンクリート。
高さ約4.3m、幅約4.7m、長さ約20mのこのような空間が2つあり、90度に近い角度でVの字の形になって繋がっています。
地下工場の平面図。手前(下側)に4つの入口があるのがわかります。
上の写真はVの字の角(上記平面図の三角頂点部分)から広角レンズ(10mm・Nikon D300)で撮影。その空間の広さと地下壕としての作りの良さがわかると思います。天井や床、壁面の仕上げも良く、また照明の効果もあると思いますが、地下壕にありがちな気味悪さは全くありません。
この地下工場は、飛龍のエンジンの組み立てと整備を行なうための工場として、昭和20年の春ごろに掘られたとのこと。工場付近の民家の納屋には数機分のエンジンが届いており整備を待っていたそうです。しかし、工場完成の直前になって終戦を迎えることになり、実際にこの地下工場が稼動することはありませんでした。
さて、今回紹介した三菱重工地下工場は、昨年12月に発売された「熊本の戦争遺跡」(編集:熊本の戦争遺跡研究会)にて詳しく紹介されています。同書は熊本県内に残る戦争遺産を綿密な調査でまとめたもので、貴重な写真が数多く掲載されているだけでなく、当時を知る関係者の証言、測量調査による図面など、驚くほど詳細な情報が載せられています。
熊本県内では紀伊國屋書店などの大型書店で購入することができます。戦時の中での“意外な熊本”を知ることができるオススメの一冊です
【関連記事】
「雑記帳:旧三菱重工熊本航空機製作所」
【関連サイト】
「ホープ印刷」> 『熊本の戦争遺跡』刊行のご案内
【参考資料】
「熊本の戦争遺跡」編集:熊本の戦争遺跡研究会
行ってみたいものです。