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九州の近代化遺産・産業遺産を見て・調べて・紹介!するブログ

小舟鉱業所新坑坑口

 「吉隈鉱業所跡を歩いてみよう!」ツアーに参加したときのこと。参加者の中に吉隈炭鉱の近くにある山野炭鉱や小舟炭鉱でも働いたことがあるという方がいて、ツアー中に色々と興味深い話を聞くことができました。

 その方のお話によると、小舟炭鉱は小さな鉱業所だったものの業績はよく経営も安定していたといいます。しかし、昭和40年にすぐ隣の山野炭鉱で死者多数を出す爆発事故が発生。窮地に陥った山野炭鉱を立て直すために、隣の小舟炭鉱を“合併吸収”し体力強化をすることになったそうです。そして驚くことに、その小舟鉱業所時代の坑口がまだ現存しているとのこと。

 また別の参加者で各地の炭鉱跡を巡っているという方がいて、その方からは詳しい所在地を教えて頂きました。予想外の収穫に興奮しつつ、ツアー終了後早速現地へ。(A様、I様、貴重なお話をありがとうございました。)

 藪に囲まれてしまっていますが、斜面の一部がコンクリートで覆われており、その下部に坑口がありました。

小舟鉱業所新坑坑口

 坑口はコンクリート造で、よく見るアーチ形でなく台形。もちろん入口はコンクリートブロックで閉塞されています。

小舟鉱業所新坑坑口

 坑口上部には白い石で扁額?が嵌め込まれて「尺無坑本卸(5/31訂正)」とあります。どのような意味か、また何時ごろ開坑されたのかは不明。先の参加者の話によると「小船鉱業所新坑」の坑口だそうです。ところで、この写真を撮影していて気づきましたが、写真右下の段差の部分に何かが写っています…。

小舟鉱業所新坑坑口

 随分と大きなヘビが坑口上部で日光浴をしていました。私に気づいたのか、移動を始めるヘビ。よく見てみると両目が真っ白!そして、坑口を閉塞しているコンクリートブロックの割れ目から坑道の中に!?入ってしまいました。どうやら彼はこの坑口の主のよう。突然の出会いにちょっとビビッてしまいました。

小舟鉱業所新坑坑口

 坑口のすぐ脇には養蜂の巣箱が多数置かれていました。はじめは気づかなかったのですが、しばらく写真を撮っていると数匹のミツバチがしつこく頭の周りを飛び回るようになり、追い払っているうちに凄い数のハチに囲まれてしまいました。どうにか刺されずにその場を離れることができましたが、こんなに怖い目に遭ったのも久しぶりです。このような場所では、様々なことに注意が必要だとつくづく実感した出来事でした。


「鴨ヶ岳」登山道入口の小さな看板が唯一の目印。そこから砂利道(車は入れません)を200〜300mほど徒歩で進むと坑口です。

 ところで「小舟鉱業所」で検索してもほとんどヒットはありませんね。実際坑口が残っているので、町史などには何か記述があるのかもしれません。追々調べてみたいと思っていますが、何か情報をお持ちの方がおられたら是非教えてください。

※ヘビ、ハチなどには十分注意して見学してください。
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麻生吉隈鉱業所

 5月11日に福岡県桂川町で開催された、王塚装飾古墳館主催による「吉隈鉱業所跡を歩いてみよう!」ツアーに参加してきました。

 様々な炭鉱遺構を巡れるものだと期待して電話で参加申し込みをすると、「今は何も残っていません、跡地を巡るだけですよ」とのこと。しかしこのような企画もあまりないので、せっかくだからと参加を決めました。

 当日の参加者は13名。ほとんどが地元の方で、吉隈炭鉱で働いていた人や、その家族で社宅に住んでいた人などの参加もありました。「歩いてみよう!ツアーは」炭鉱操業当時の地図と照らし合わせながら、その場所場所で説明を聞きながら歩き進みます。やはり申し込み時の説明どおり、炭鉱跡地は住宅地へと姿を変え、当時を思わせる遺構や痕跡は何も残っていません。しかし何もなくて残念と思いきや、そのツアーの内容は予想をはるかに超える魅力的なものでした。

吉隈鉱業所跡を歩いてみよう!」ツアー

 まず他の参加者が元炭鉱職員であったり、その家族だったりするので当時の体験談などをツアー中たっぷり聞くことができます。またツアー中にたまたま出会った地元の人も、飛び入りというか臨時の解説員となって付近の案内をして頂いたのにはびっくり。またその話が面白いこと!資料や文献などでは知ることができない、かなり“ディープ”な話も聞くことができ、大いに楽しめて感動できるツアーでした。

 目立つ遺構はないものの、社宅や関連する当時の建物などは僅かに残っています。下の写真の木造建築は、昭和44年の閉山までは共同浴場だったもの。現在はスーパーとして使われているようです。

吉隈炭鉱の共同浴場の建物

 建物上部の換気口などが浴場っぽいですね。当日は定休日でした。

 こちらのグラウンドになっている場所が弥栄本坑という2本の斜坑があった場所。下の写真左手に斜坑があり、右側方向に捲揚場がありました。

弥栄本坑跡

 そして炭鉱施設に直接関係するものとしては唯一になるコンクリート遺構がグラウンド隅の斜面に残っています。

吉隈炭鉱唯一の遺構

 斜坑から捲揚機があった地点までの線上に位置するので、軌道を支えた支柱ではないかと思われます。


青マーカー、上から共同浴場・弥栄本坑跡・コンクリート遺構の位置です。

 桂川町王塚装飾古墳館主催の、このような炭鉱跡を巡るツアーは今回で2回目。地域の人々と密着したこのようなツアーが、他の地域でも開催されるといいですね。
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九州に現存する炭鉱竪坑櫓

 池島炭鉱を見学したことで、九州に現存する炭鉱竪坑櫓を全て訪れたことになるようです。そこで当コーナー「雑記帳」で紹介している記事から、写真を抜粋し一覧にしてみました。

■池島炭鉱 竪坑櫓
 長崎県長崎市池島町【紹介記事
池島炭鉱 竪坑櫓


■池島炭鉱 第2竪坑櫓
 長崎県長崎市池島町【紹介記事
池島炭鉱 第2竪坑櫓


■三井三池有明坑 第1竪坑櫓
 福岡県みやま市【紹介記事
三井三池有明坑 第1竪坑櫓


■三井三池有明坑 第2竪坑櫓
 福岡県みやま市【紹介記事
三井三池有明坑 第2竪坑櫓


■三菱古賀山炭鉱 竪坑櫓
 佐賀県多久市【紹介記事
三菱古賀山炭鉱 竪坑櫓


■三井三池炭鉱万田坑 第2竪坑櫓
 熊本県荒尾市【紹介記事
三井三池炭鉱万田坑 第2竪坑櫓


■三井三池炭鉱宮原坑 竪坑櫓
 福岡県大牟田市【紹介記事
三井三池炭鉱宮原坑 竪坑櫓


■三井田川炭鉱 竪坑櫓
 福岡県田川市【紹介記事
三井田川炭鉱 竪坑櫓


■志免鉱業所 竪坑櫓
 福岡県志免町【紹介記事
志免鉱業所 竪坑櫓


 全部で9つの竪坑櫓は、残っている数としては多いのか少ないのか。そもそも最盛期にはどれだけの数の竪坑櫓が九州にはあったのでしょうか。その辺りも今後調べてみたいと思いますが、他にも皆様がご存知の現存する竪坑櫓(炭鉱以外でも)があれば是非教えてください。

【関連サイト】
ALL-A」> 九州・山口の炭鉱竪坑櫓
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池島炭鉱

 3月30日、長崎県長崎市の池島炭鉱で行なわれた「池島体験プログラム」に参加してきました。

 池島炭鉱は戦後に開発された比較的新しい炭鉱で、最新技術を使い2001年まで採炭が行なわれていました。閉山後は三井松島リソーシス(株)長崎炭鉱技術研修センターとしてベトナム、インドネシアからの研修生を受け入れたり、技術者を派遣したりして坑内掘りの技術移転を行なっています。国内での石炭需要が増大する中、海外炭の安定供給を確保するためにこの技術移転は大変重要なことだそうです。

 その長崎炭鉱技術研修センターで本物の坑道に入ることができるという見学ツアーが催されたので「ALL-A」のタケさんと共に参加してきました。

池島炭鉱 第1竪坑櫓

 おいおいと見学の模様はレポートしていきたいと思いますが、一言感想を言うならば「感動した!」です。博物館などの展示物とは違う“本物”の迫力は言うに及ばず、ベテラン炭鉱マンによるガイドもすばらしいものでした。


 4月以降の見学ツアーのスケジュールは未定とのことですが、今後も継続してツアーを行なう予定とのこと。詳細は三井松島リソーシスWebサイトを確認してください。このようなツアーは国内ではここだけ。オススメですよ。

【関連サイト】
ALL-A
三井松島リソーシス株式会社・池島体験プログラム案内
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貝島健次別邸(友泉亭公園)

 麻生家、安川家と並ぶ筑豊炭鉱王御三家のひとつ貝島家。その貝島炭鉱創業者である貝島太助の三男で、大辻炭鉱や大之浦炭鉱などの経営にも携わっていた貝島健次の別荘が、福岡市で友泉亭公園として公開されています。

貝島健次別邸(友泉亭公園)

 友泉亭公園は黒田藩ゆかりの庭園として、また紅葉の名所として福岡県内では有名だということですが、私は去年の暮れに「『福岡の近代化遺産』のつくりかた。」ブログの紹介記事にて初めて知りました。去年私は、初めて貝島炭鉱の露天掘り跡や炭鉱資料館などを巡っていたこともあり思わず反応してしまったのですが、その記事にはもう一点、私が反応してしまう部分がありました。記事によるとパンフレットなどには「黒田藩の別荘」の部分が強調され、貝島の「か」の字も記載がないとのこと。

貝島健次別邸(友泉亭公園)

 友泉亭は筑前黒田家六代藩主の継高が1754年に別荘として造ったのが始まりで、明治維新後は小学校や役場として利用されていたそうです。昭和11年に貝島家による改築・公園整備が落成。しかし貝島家の別邸として使用されるのもそれほど長くなく、昭和29年に貝島家が経営する大辻炭鉱会社へ売却され社宅・寮として使われることに。その後、昭和42年には博多港開発株式会社へと売却され、昭和53年に福岡市が取得して池泉回遊式庭園へと大改修・復元を行い、昭和56年から友泉亭として一般公開されています。

 このように時代と共に複雑な歴史を持つ友泉亭。庭園など基本的な構成は変わっていないとされていますが、黒田家別荘の建物は既に残っておらず、現存する回廊と大広間を持つ建物は貝島家によって建てられたもの。

 しかしパンフレットには貝島の記載はありません。「友泉亭」でWeb検索してみても…。確かに多くのサイトに黒田家六代藩主継高の別荘とは紹介されるものの、貝島の「か」の字もありません。友泉亭公園の指定管理者オフィシャルサイトには歴史年表中に「民間人」とだけ書かれています。

貝島健次別邸(友泉亭公園)

 炭鉱王といわれる福岡県飯塚市の伊藤伝右衛門邸や佐賀県唐津市の高取邸の人気ぶりを受け、JR九州では去年、炭鉱関連遺産を回るスタンプラリーが催されるなど「炭鉱ブーム」が到来しているといわれています。それにあやかれとは言わないまでも、せっかく美しく整備し公開されているので、黒田家の庭園だけでなく「貝島家の別邸」の部分にも光を当ててみてもよいのではないかと思います。


 パンフレットやオフィシャルサイトには「貝島」の文字はありませんが、友泉亭大広間外側の回廊に置かれているピンク色のバインダーに友泉亭調査資料があり、それには貝島別邸時代のことも紹介されています。自由に閲覧できるようですので、見学の際はご覧になることをオススメします。

【関連記事】
雑記帳:貝島炭鉱

【関連サイト】
『福岡の近代化遺産』のつくりかた。」> 貝島健次別邸(友泉亭公園)
安藤造園土木株式会社」> 友泉亭公園
よかとこバイ」> 友泉亭公園

【参考文献】
「福岡の近代化遺産」弦書房
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三井三池炭鉱勝立坑

 明治28年開坑の勝立坑は三井三池炭鉱の中でも大浦坑、七浦坑に次ぎ3番目に古い坑口です。明治期の主力坑の一つとして活躍し、昭和3年に一旦閉坑されますが、昭和23年に再開坑。しかし、わずか2年で閉坑され現在に至っています。

 Webサイト「日本の鉱山」では、勝立坑第二竪坑遺構を2002年に撮影し紹介されていますが、はたして今でも残っているのか私としては非常に気になっていました。閉坑から58年経った2008年2月にまだ残っているものなのか、半信半疑で現地へ行ってみました。

三井三池炭鉱勝立坑

 緩やかな丘の麓に残る大きなコンクリートの遺構。勝立坑第二竪坑基礎の遺構はちゃんと現存していました。

三井三池炭鉱勝立坑

 石垣とコンクリートで造られた基礎の下部には、閉塞されているものの坑口のような立派な煉瓦アーチが残っています。

三井三池炭鉱勝立坑

 遺構周辺で写真を撮影していると、ちょうど散歩中のおじいちゃんが通りがかり、勝立坑についての話を聞くことができました。話によれば戦後まもなく再開坑した時(昭和23年〜25年)の光景を覚えているとのこと。コンクリート基礎の上に竪坑櫓があり、この煉瓦のアーチはその竪坑へ続く入り口にあたる部分だということでした。遺構の周囲は空き地になっていますが、以前は球場として使われており地域のソフトボール大会などが行われていたという話も聞きました。

三井三池炭鉱勝立坑

 コンクリート基礎の上部を反対側から撮影。上部に柵があるコンクリート部分が竪坑櫓の基礎になるようです。柵の内側を覗いてみたかったのですが、2mちょっと高さがあり足場もなく確認はできませんでした。

三井三池炭鉱勝立坑

 球場跡の空き地はもうすぐ無くなりそう。アパートが建てられるとのことで重機により造成が始められていました。


上記地図右上の「写真」ボタンをクリックすると航空写真を見ることができ、拡大すれば遺構の形状もはっきりと確認することができます。Googleマップでも最近になりようやく大牟田・荒尾の高解像度の航空写真が見られるようになりました。炭鉱関連遺構や炭鉱鉄道跡の遺構探索には非常に強力な味方になり、私としてはうれしい限り。まったく便利な世の中になったものですねえ…。

【関連・参考サイト】
大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ
  > 資料館 > 大牟田・荒尾の歴史遺産 > 勝立坑跡
日本の鉱山
  > 福岡県 > 三井三池炭鉱(大牟田市) > 坑口探訪マップ > 勝立坑
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杵島炭鉱変電所跡

 佐賀県の杵島炭鉱は明治42年に操業開始。北方町、大町町、江北町の3町にまたがる大規模な炭鉱でしたが昭和44に閉山しました。この煉瓦の変電所跡は、大町町に残る唯一の杵島炭鉱関連の建造物ということ。閉山後は個人が倉庫として使用していたそうですが、現在は「杵島炭鉱変電所跡活用推進会」という市民団体が保存・活用に取り組んでいます。変電所跡は通称「大町煉瓦館」として、コンサートやワークショップ、写真コンテストなどのイベントも多く催されており“まちおこし”に上手に活用されているようです。

 住宅が密集する小高い丘の上に建つ煉瓦館は、小さい建物ながらも存在感は十分。明治期の建物だと思いますが、はっきりとした建築年数はわかっていないようです。

杵島炭鉱変電所跡

 少し前までは屋根も窓もなかったそうですが、現在は屋根もかけられ窓も付けられています。窓は手作り?のようですね。

杵島炭鉱変電所跡

 反対側から。建物周辺もきれいに手入れされているようです。

杵島炭鉱変電所跡

 三つ並ぶ碍子は電力施設の証(でもないか)。建物の反対側にもあります。

杵島炭鉱変電所跡

 このようなガラス扉が付いただけで随分と雰囲気が変わりますね。

大町町の煉瓦遺構

 大町町では他にも煉瓦遺構を見つけました。煉瓦の擁壁にも見えますが、もしかしたら巻揚機の台座とか…。ご存知の方いますか?

大町町の煉瓦遺構

近くの工場敷地内に見える煉瓦の遺構。コンクリートブロックの上にある煉瓦壁には四角形の凹凸が並んで見えます。大町町には他にも色々ありそうですね。


大きな地図で見る

上のマーカーが杵島炭鉱変電所跡(大町煉瓦館)で、下の二つが煉瓦遺構。大町町公民館には杵島炭鉱関連の展示室もあります。

【関連サイト】
杵島炭鉱変電所跡 大町煉瓦館
西日本新聞」> 九州・山口の産業遺産・近代化遺産 > 佐賀県
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三井三池炭鉱 有明坑立坑櫓

 12月8日に開催された大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ主催の有明坑立坑櫓一般公開に行ってきました。当日は雨が降らなかっただけでもよかったのですが、実に寒々しい曇り空。しかし天気とは関係なく大勢の見学者が訪れており、市民の関心の高さを感じることができました。

有明坑の二つの櫓

 見学者は、若者や家族連れ、中高年の夫婦など様々。最後になるかも知れない櫓の姿を写真におさめようとアマチュアカメラマンも多く来ていたので、そのうちWeb上でもすばらしい作品を見ることができるでしょう。また、有明坑で働いていた元職員の方も来ており、「櫓がなくなるのは寂しいな」と話していたのが印象的でした。

有明坑見学者

 下の写真が第一立坑櫓。台形の櫓の直下には深さ517mの竪坑がありました。

有明坑 第一立坑櫓

 下の写真は第二立坑櫓。Z形の櫓の直下には深さ361mの竪坑。

有明坑 第二立坑櫓

 二つの櫓周辺の建物はきれいに取り壊されて更地にされているので、いまいち櫓の大きさがわかりづらいかと思います。櫓の足元に小さく写っている人々がわかりますか?

有明坑 二つの立坑櫓

 この二つの櫓は年内に解体予定という話でしたが、12月9日の朝日新聞に“年内解体は凍結”という現所有者の見解が掲載されたそうです。これは保存に一歩でも近づいたということでしょう。保存に賛同される方は大牟田・荒尾 炭鉱のまちファンクラブが行っている署名にご協力をお願いいたします。

有明坑 第一立坑櫓no


【関連記事】
【告知】有明坑竪坑櫓見学会と保存署名
有明坑解体始まる?
有明坑・続報

【関連サイト】
ALL-A」> 大牟田市と周辺地域 関連エントリーのまとめ
遺産探訪/炭鉱関連 | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

三菱古賀山炭鉱 竪坑櫓

 佐賀県多久市にある三菱古賀山炭鉱跡に、非常に珍しい鉄筋コンクリート造の竪坑櫓が残されています。その存在をtksさんのブログ「ALL-A」で知ったのですが、写真から伝わるその迫力に圧倒され、いつかは訪れてみたいと思っていました。形こそ三井三池炭鉱の万田坑や宮原坑の竪坑櫓に似ていますが、コンクリートの太い柱で組まれた立体ラーメン構造からは一味違う力強さが感じられます。

三菱古賀山炭鉱 竪坑櫓 南西から見る

大正6年に完成し、昭和42年の閉山まで使われていたとのこと。地元の人に話を聞いてみたのですが、周辺に残っていた炭鉱施設も全てなくなり現在唯一残るのがこの竪坑櫓だそうです。

三菱古賀山炭鉱 竪坑櫓 東から見る

櫓の高さは25m。周囲に高い建物がないため遠くからでもよく目立ちます。

三菱古賀山炭鉱 竪坑櫓 下から見上げる

大正時代にこれだけのものを造るとなると、とても高い技術力が必要だったことでしょう。コンクリートの表面は傷みも少なく、全体的にまだまだしっかりしている感じがします。

三菱古賀山炭鉱 竪坑櫓 小さな階段

面白い(怖い)のがこの階段。滑車などのメンテナンス用の階段だと思うのですが、さすがにこれを登るのはちょっと…。

三菱古賀山炭鉱 竪坑櫓 極狭階段幅

階段は急角度なため、一段一段の奥行きもこんな程度。しかも中は空洞。

三菱古賀山炭鉱 竪坑櫓 上部の様子

櫓の上部。階段を登った先には足場があったようですが、現在は金属製の支えだけが残っています。


拡大地図を表示

竪坑櫓は石材会社の敷地内にあるので、立ち入るためには許可が必要。私が訪ねたときに聞いた話では、結構見学者は多いとのこと。

【関連記事】
雑記帳・三菱古賀山炭鉱 ホッパーと関連施設

【関連サイト】
ALL-A」> 三菱古賀山炭鉱 竪坑櫓

【参考文献】
「日本の近代土木遺産 現存する重要な土木構造物2000選」
土木学会土木史研究委員会/編
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宝珠山炭坑 再訪

 ちょうど一年前に紹介した宝珠山炭坑跡を再訪しました。福岡県東峰村にある宝珠山炭坑は、明治期に伊藤伝右衛門が買収し本格的な開発を行った炭鉱で、昭和38年に閉山しますが現在でも一坑、二坑、三坑の坑口跡が残されています。

 前回訪れたときには、坑口遺構周辺を公園に整備する工事が行われている真っ最中。隣接して宝珠山炭坑クラブの建物を移築再生した山村文化交流の里「いぶき館」もあり、坑口遺構がどのように活かされているか気になっての再訪です。

いぶき館
いぶき館

このいぶき館の建物は元々飯塚市の伊藤伝右衛門邸の建物の一部で、宝珠山へ移築して炭鉱のクラブハウスとして使われたといいます。昭和38年の閉山後に現在地に移築され、平成12年まで旅館として利用されていたそうです。

 さて、気になる坑口跡へ向かうと…。工事は完了しており真新しい公園になっています。入り口には石組みの坑口を模したようなものがあり「東峰自然公園」と書かれていました。

東峰自然公園
東峰自然公園

どのあたりが“自然公園”なのかよくわかりませんが、とりあえず公園の入り口脇に位置する三坑坑口跡へ向かいます。三坑は下層の採掘を目的とした斜坑で、昭和23年に幹線坑道が完成したものの不況による出炭制限で昭和29年には閉鎖されています。

宝珠山炭坑 三坑跡
宝珠山炭坑 三坑跡

あらら?一年前はコンクリートのそっけない坑口だったものが、立派な石組み“風”の坑口になっているではありませんか。まあ坑口を閉塞するのは仕方ないにせよ、ちょっとやりすぎな感じも…。

 公園の一番奥に位置するのが、大正5年に開坑した一坑坑口跡。坑口は排水口を残して閉塞されていますが、美しい石組みのポータルを間近で見ることができます。の、はずが…。

宝珠山炭坑 一坑跡
宝珠山炭坑 一坑跡

あらら(再び)?このコンクリートの構造物は何?元々やや埋没していた坑口がさらにコンクリートで覆わてしまっています。せっかくの石組のアーチも僅かに上部が見えるのみ。これまたちょっとやりすぎにも感じましたが、坑口内部からは現在でも湧水が流れ出ており、防災上このようにする必要があったのかもしれません。それにしても他に方法は無かったのでしょうか。

 今回初めて行く二坑跡は“東峰自然公園”より南へ2kmほど離れたJR日田彦山線の宝珠山駅近くにあります。藪に埋もれた崖下にあるようですが、坑口本体は確認することができませんでした。

宝珠山炭坑 二坑跡
宝珠山炭坑 二坑跡

コンクリートブロックで壁が作られてドアがひとつ付けられています。そのドア下の隙間から道路脇の水路へ多量の水(坑内湧水と思われる)が流れ出ていたので、おそらくその奥に坑口があるようです。数十メートル離れた場所にも坑口を思わせる遺構を発見。詳細は不明です。

宝珠山炭坑 二坑跡脇の遺構

他にも「野菜貯蔵施設」と書かれた坑道跡を利用していると思われる施設も藪に埋もれていました。探せば他にも遺構が見つかるかもしれませんね。

この二坑が開坑したのは昭和10年。出炭量が多く宝珠山炭坑の中心的な坑口となり、周囲には選炭場、事務所、診療所や浴場、住宅などが造られていきます。現在はその痕跡を見つけることはできませんが、周囲の風景の中にそれらを想像するのも現地での楽しみですね。


拡大地図を表示

 宝珠山炭坑の一坑、二坑、三坑跡にはそれぞれ「宝珠山村(現・東峰村)史跡ガイド」という案内板が立てられています。それぞれの説明はこの手の案内板にしては十分に詳しいもので、また周辺や関連する史跡も地図付きで紹介されているのもありがたいものです。

【関連記事】
旧伊藤伝右衛門邸
宝珠山炭坑跡
マップ:No.22 宝珠山炭坑
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