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九州の近代化遺産・産業遺産を見て・調べて・紹介!するブログ

JR豊肥本線 宮地駅と転車台

 開通80周年のJR豊肥線シリーズ2回目は、阿蘇の中心地にある宮地駅を紹介します。立野駅〜宮地駅間が開通したのは大正7年の1月。昭和3年12月に宮地駅〜玉来駅間が繋がり「豊肥本線」となるまでは、熊本〜宮地間は「宮地線」と呼ばれており、宮地駅はその終着駅でした。

JR豊肥線 宮地駅

 赤く大きい屋根が特徴の駅舎は、昭和18年に建て替えられたもの。

JR豊肥線 宮地駅

 開業当時の駅舎自体は木造の小さなもので、写真で見る限りは「赤水駅」と同規模のもののようでした。

 取り立てて特徴がある駅ではありませんが、宮地駅の見所は転車台が現存しているところでしょう。2005年に老朽化により引退となった「SLあそBOY」も方向転換に使用していたもので、折り返しの駅らしい施設です。

JR豊肥線 宮地駅の転車台

 駅関連の施設は撮影しづらい場合が多いのですが、この転車台は駅敷地の端に位置するため敷地の外からでも丸見え。写真もご覧のとおりです。これに実際SLが乗って回っている写真を撮りたかったなあ〜。

JR豊肥線 宮地駅の転車台

 大分にある豊後森機関区の転車台とそっくりの姿です。よく見てみると豊後森でも気になっていた、転車台中央にある細い鉄骨のアーチ?というか門のようなものがここにもあります。ずっと何なんだろう?と疑問に思っていたのですが、今回ここで解決しました。

転車台の謎

 転車台の動力は電気モーター。機関車を乗せた転車台自体は円形のレールの上をグルグルと回転します。電源をレールともう一箇所(一極)から供給するとなると、物理的に位置が固定された場所を選ぶことになります。全体が回転する中で位置が変わらない場所といえば“中心”しかありません。このアーチのような構造物は転車台の中心に位置し、電車で言えばパンタグラフにあたる電極を支えていたんですね。写真の白矢印部分が電極で、電柱より架線で給電されているのが分かります。

写真中央に見える円形が転車台。昭和3年までは終着駅だったので当時から転車台があったと考えることができますが、この転車台はいつの時代のものかは分かっていません。気になるところです。

【JR豊肥本線・関連記事】
「雑記帳・JR豊肥本線 赤水駅

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マップ旧国鉄豊後森機関庫
報告書旧国鉄 豊後森機関庫 No.0102
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JR豊肥本線 赤水駅

 九州を横断して熊本駅と大分駅を結んでいるJR豊肥本線が、今年で80周年を迎えます。沿線に住む私には豊肥線はあまりにも身近すぎて今まで関心が無かったのですが、開通して80年も経っていると聞けば興味も出てくるもの。まずは目に付くところから見てみましょう。

 JR豊肥本線は九州を横断しているだけでなく、世界的なカルデラを持つ阿蘇をも見事に横断している点が特色ではないでしょうか。熊本側から阿蘇へのアプローチにあるスイッチバックは有名で、またカルデラ内を走る車窓からの眺めも大変素晴らしいものです。

 さて、そんな豊肥本線の一件目は赤水駅。スイッチバックを通過して、阿蘇のカルデラ内に入ると一つ目の駅です。

JR肥薩線 赤水駅
2008年5月21日撮影

 国道57号の車からもよく見えるので、以前から少し気になっていた駅舎です。外壁はペンキで白く塗装され、窓もアルミサッシに交換されているものの、全体的にレトロな雰囲気が十分に漂っています。

JR豊肥本線 赤水駅

 立野-宮地駅間が開通したのが大正7年ですので、この駅舎も当時のものであれば同年に竣工したものと考えられます。(詳細はボチボチと…汗)

赤水駅 待合室

 照明器具やベンチなどは新しいものですが、レトロな雰囲気に合ったものになっています。窓の外の風景もなかなか。

赤水駅 改札からの眺め

 ホームは、改札を出て一旦線路を渡った先にあります。ホームの先には田んぼが広がり、遠くには外輪山の山々が見え、雄大な阿蘇のカルデラの中にいることが実感できるロケーション。

赤水駅 水飲栓

 駅舎の脇にはこのようなものが。水道の蛇口がある中心部分は後になって追加され、元々は大畑駅の湧水盆のようなものだったのでは…なんて思ったりもしたのですが、下に水受けなどがないので違うようです(笑)。

赤水駅 トイレ外壁の一部

 駅舎の外に独立してトイレの建物があるのですが、その外壁の一部のモルタルが剥げ落ち赤煉瓦が顔をのぞかせていました。開業当時のものかも。


 小さな駅ひとつでも注意して見てみると、ちょっとした発見があるのが面白いものです。100周年を迎える肥薩線と比べると目立つ“鉄道遺産”は少ないかもしれませんが、豊肥線での“お宝探し”も楽しいかもしれませんね。
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鹿児島本線旧線跡(その2)

 熊本市北側に位置するJR鹿児島本線植木駅〜西里駅間は、昭和43年の複線化の際に一部が曲線を緩和した線形に作り変えられました。そのため二箇所に旧線跡が生まれることになり、現在は車道・自転車道に転用されています。下の写真は植木駅に近い部分を北側から南を向いて撮影。線路の左手にややきつめのカーブを描いている道路が旧線跡です。

左手車道が旧線跡

 下のGoogleマップのように線路はS字になっています。膨らんだ部分の赤線部分が旧線跡。大きな地図で写真に切り替えて拡大すると、その様子をよりハッキリと確認できます。

 旧線跡部分は明治期の九州鉄道時代に敷設されたものですが、この区間には橋梁やトンネルなどもなく特に気にしていませんでした。ところがWebサイト「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」で「鐙田煉瓦橋(仮称)」という煉瓦アーチが紹介されているのを見つけ、これは見ておかなくてはと、いうことで現地を訪れました。


 旧線跡を植木駅側から西里駅方向に見て行きます。下の写真は旧線と現在線が分かれる部分。植木駅から一つ目の赤マーカーのポイントです。奥が現在線で、手前の木や東屋がある公園のような場所が旧線跡になります。

旧線跡と現行線の分岐点付近

 道路拡張などで随分と地形も変わってしまったようですが、何か痕跡が残っていないかとウロウロしていたら現在線との間に煉瓦アーチが!これは「鐙田煉瓦橋(仮称)」ではない別の煉瓦アーチ。事前に把握していなかった想定外の発見でびっくりです。

植木駅近くの旧線跡にある煉瓦アーチ遺構

 道路のすぐ脇にあるのですが、上手く隠れるように位置しているため数歩入り込まないと見えない場所にありました。反対側はコンクリート壁にヒューム管となっていましたが、なかなか立派な煉瓦遺構の発見に大満足。

 数十メートル先へ進むと下の写真の場所に。(緑マーカーのポイント

山鹿温泉鉄道との分岐地点

ここは二股になっており、右側に進むと旧線跡。左側の立木の先に伸びる細い道は「自転車専用道」になっています。実はこの「自転車専用道」は、植木駅から山鹿市までを結んだ「山鹿温泉鉄道(昭和40年廃止)」の跡。この地点は鹿児島本線旧線と山鹿温泉鉄道廃線跡が合流する、とってもディープ(?)なポイントになるわけですね(笑)。

 植木駅から二つ目の赤マーカーポイントにあるのが、Webサイト「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」で紹介されている「鐙田煉瓦橋(仮称)」という煉瓦アーチ橋。

旧線跡の煉瓦アーチ暗渠

 周辺はひどい藪になっていてなかなか近づくことはできませんでしたが、どうにか煉瓦アーチは見ることができ今回の目的を果たすことはできました。

 更に先へと進むと現在線と合流し、南側にあるもう一つの旧線跡へと向かいます。途中水路が横切る箇所もあり、煉瓦の構造物などを期待しましたが残念ながら発見はできませんでした。

 下写真は南側のカーブ部分の旧線跡。農道に転用されており、コンクリート造の跨線橋がひとつだけ残されていました。その先の現在線との合流地点までは車道になっており、地形も大きく変わっているようで関連する遺構などは見つかりませんでした。

今も残る跨線橋

 こうしてみると熊本県北の一部だけでも、意外と多くの“九州鉄道時代(明治時代)”の構造物が残されており驚かされますね。今後も“煉瓦の構造物探し”は続きそうです。

【関連記事】
雑記帳・鹿児島本線旧線跡(1)
雑記帳・熊本県北の鉄道煉瓦アーチ橋(拱渠)

【関連サイト】
石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」> 煉瓦アーチ
 上記ページ地図より「鹿児島本線」 > リストより「鐙田煉瓦橋」をクリック

【参考文献】
「鉄道廃線跡を歩くX(10)」宮脇俊三(JTBキャンブックス)
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鹿児島本線旧線跡(その1)

 JR鹿児島本線の玉名駅と肥後伊倉駅の間には、九州鉄道時代の旧線区間が廃線跡のように残っています。同区間が開通したのは九州鉄道時代の明治24年。周辺は丘陵地帯のため煉瓦のアーチ橋・暗渠・拱渠なども多く見られ、肥後伊倉駅〜木葉駅〜田原坂駅間は以前に一部を紹介しています。

 玉名駅から肥後伊倉駅へ向かうと、すぐに菊池川を渡る7連のトラスが連なった高瀬川橋梁(下り線)が現れます。

菊池川に架かる高瀬川橋梁

 同橋のトラス部分は機関車の大型化に伴い大正5年に架け替えられていますが、橋脚部分は九州鉄道時代の重厚な煉瓦作りのものがそのまま使われています。この高瀬川橋梁を渡りきった先が旧線区間との分岐点。

現行線と旧線の分かれ目

 橋を渡った鹿児島本線は元々丘を避けるようにすぐに大きくカーブ(白破線)していましたが、昭和43年の複線化で急曲線になっていた部分をトンネルでパスする新線が作られ切り替えられました。(上写真2枚とも肥後伊倉側から玉名側を見て撮影)

分かれた直後の旧線跡

 切り替えられた区間は約2km。開発や造成で旧線跡は連続では残っていませんが、所々に上写真のような“いかにも”な光景が現れるのにはニヤッとなります(笑)。下のGooglマップの赤線が旧線部分。大きな地図で画面を「写真」に切り替えて見ていただくと、現在でもその痕跡は十分に分かります。ま国交省国土画像情報昭和49年の航空写真にも、旧線跡が色濃く残っているのを見ることができます。


 曲線を緩和するためや、架け替えや複線化などで生まれた“旧線跡”は、各地に多くあるものだと思います。しかし、この区間は九州鉄道時代のものであるためか“廃線跡”としてのなかなかいい雰囲気を持っています。

旧線に残る煉瓦アーチ橋

 私が一番魅力に感じたのはこの煉瓦アーチ橋。この旧線区間に残る唯一の構造物です。橋の下は水路と歩道が通っており、農道として使われている様子。(上記Googleマップの赤色マーカー)

煉瓦面

 煉瓦の表面に風化はなく状態もいいようです。写真上半分はアーチ部分で、色の違う煉瓦が使われています。

アーチ橋下を流れる水路

 農業用水と思われる水路が流れていますが、よく見てみると水路の底は石畳になっていました。歩道部分はコンクリートになっています。

アーチ橋の反対側

反対側のアーチも完璧な状態。周辺にある現役線の煉瓦アーチは片側が全てコンクリートで補修されていたりするので、このような完全な形の煉瓦アーチ橋は貴重なものではないでしょうか。

煉瓦アーチ橋の上

 アーチ橋上部の登ってみると、僅かな距離ではありますが見事な“廃線跡”の光景が残っていました。

 身近な現役路線にも付随してこのような遺構があるのは意外なものでしたが、探せば他にも沢山ありそうですね。今後も機会があれば鉄道関連の煉瓦構造物を見ていきたいと思います。

【関連記事】
鹿児島本線旧線跡(2)
雑記帳・熊本県北の鉄道煉瓦アーチ橋(拱渠)

【関連サイト】
石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」> 煉瓦アーチ
 上記ページ地図より「鹿児島本線」 > リストより「本村橋梁」をクリック

【参考文献】
「鉄道廃線跡を歩くX(10)」宮脇俊三(JTBキャンブックス)
「熊本県の近代化遺産」熊本県教育委員会
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三池港周辺に残る軌道跡(その1)

 一昨年ほど前、三井三池鉄道跡の一部をトレースした際に、三池火力発電所付近から三池港南側へと支線が延びているのを見つけ、それ以降その先がどうなっているのかずっと気になっていました。昭和49年の航空写真では、石油タンクの合間を走るその支線をはっきりと確認できますが、現在は区画も変わっているようで、その痕跡は残っていないだろうと思っていました。しかし、この度偶然にも以下のような立派な“痕跡”に出会うことができました。

三池港の引込線跡

 車でウロウロしていて偶然にも見つけた「踏切」の標識。しかし踏切の姿など、どこにも見当たりません。

三池港の引込線跡

 上の写真の白丸が踏切の標識。落ち着いて周囲を見渡すと、なんとなく踏切の姿が見えてきました。この場所を左右に線路が横切っていたと考えると、右側にある4本の柱はパイプラインを跨線させるためのものと推測できます。となると左側の(森のような)藪には軌道敷が残っているのでは…。

三池港の引込線跡

 藪の上部には架線の支柱らしいものが見えています。良く見ると碍子もぶら下がったまま。やはり藪の中にはなにやら潜んでいる様子。覚悟を決めて藪に飛び込んでみました。

三池港の引込線跡

 驚くことに藪の中には3組のレールが残っていました。分かり辛いかと思いますが、上の写真では横方向から見た数本のレールが写っています。

 真新しい工場が建ち、区画も整備されている中、僅かに残った藪に閉じ込められるように軌道が残っているとは実に面白い。小さな痕跡ですが、私にとっては満足度の高い発見でした。Googleマップで見ると以下のとおり。青いマーカーが踏切跡。右手の藪の中にレールが残されています。


 同じ場所の昭和49年の様子が以下の写真。オリジナル画像を見てみると線路は二方向に分岐しており、3組のレールが通っていた幅の広い踏切だったことが確認できると思います。


 帰宅後にWeb上でこの支線を調べてみると、当サイトからもリンクしている「炭都の鉄道」様に、石油基地の引込線である“石油線”として詳しく紹介されていました。現在藪と化している部分の本来の姿の写真も掲載されており必見です。事前にちゃんと下調べしておくべきだったとも思ったのですが、現地では発見の喜びを味わえたので、まあよかったかと(笑)。

【関連サイト】
炭都の鉄道」> 石油線
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熊本城内の森林鉄道保存車両

 今年で築城400年を迎える熊本城。その敷地内北側に、九州の郷土樹種などを集めた監物台樹木園があり、そこの片隅にひっそりと森林鉄道の機関車が展示されています。なぜ樹木園に機関車が?と思う人もいるかも知れません。実はこの監物台樹木園、九州森林管理局(旧熊本営林局)が昭和27年に開設した施設。一角には森林博物館があり、機関車は林業に関する展示品のひとつのようです。

監物台樹木園に保存される森林鉄道の機関車

 カーポートの下で展示されている機関車。この手の屋外展示車両は大抵、破壊、部品の欠損、錆びの上に塗装の厚塗りなどで悲惨な状態になっているものが多いようですが、この車両は一見して良い状態を保っています。まずはじっくりと観察です。

監物台樹木園に保存される森林鉄道の機関車

 ホコリまみれで展示というより放置に近い感じもしますが、変に手を加えられていないところは好感が持てます。しかし残念なことに、運転室の扉は左右とも無くなっているようでした。

監物台樹木園に保存される森林鉄道の木製台車

 機関車後部には木製の台車が一両連結されていました。写真では貧弱に見えますが、結構しっかりとした重量感ある造りになっています。

森林鉄道の機関車(運転台)

 コックピットはとてもシンプル。ギアレバーらしきものが3本もありますが、前進用と後進用、それと副変速機のものだと思います。4つあるメーターはいずれも油圧計です。握りの細いハンドルもレトロ感たっぷりでかわいいですね…って、ハンドル!?…なぜ機関車にハンドル??

 なんの違和感もなく運転席にあるハンドル。レールの上を走るだけの機関車には不必要なものです。試しに手で回してみましたが、非常に硬くてビクともしません。このハンドルの意味は何なのか考えていると、運転室前部にハッチがあるのに気が付きました。ハッチを開けてみて中を覗くと…。

監物台樹木園に保存される森林鉄道の機関車

 上写真の右側に開いているハッチの中に、左上のハンドルから右下へと伸びる一本のシャフトが見えます。シャフトの先端はウォームギアになっており、別の歯車を介して90度角度を変えたシャフトへ。更にその先を目で追うと車輪を押すようなリンク構造に繋がっていました。簡単にいうとブレーキになっていたのです。この意外性にはびっくり。ハンドルをどっちかに回すとブレーキが掛かるわけですが、こんな自動車みたいなハンドルだったらコーナーに合わせてついつい回してしまいそう。

車体横のプレート

 車体脇に張られているプレート。「野村式ディーゼル機関車」がこの車両の名称のようです。製造は「株式会社土佐造船鐵工所車両部」とあり、1961年に高知で製作されたとあります。

機関車の説明看板

 車体に直接取り付けられている案内板。車輛諸元の制動装置の欄に「ハンドルウォームギアー式」書いてありますが、これが正に“ハンドル”で制動することだとは思いもしませんでした。帰宅後にWeb上で土佐造船鐵工所について調べてみましたが、このハンドル式のブレーキは同社車輛に共通した特徴のようです。

 諸元表の下には、かなりアバウトな森林鉄道に対する説明が書かれているだけで、この車輛の出所などの情報は全く分かりません。折角車輛を展示しているのに、この説明ではちょっともったいないですね。そこで園の職員の方に話を聞いてみると「屋久島のものを持って来たと思う」とのこと。Web上を検索すると宮崎の綾森林鉄道の車輛という説もあり、また「全国森林鉄道」(JTBキャンブックス)巻末の「全国森林鉄道保存車輛」一覧によると、熊本県の矢部営林署(内大臣森林鉄道)の車輛とされています。屋久島、宮崎、熊本と3つの説がありますが、森林鉄道の車輛は廃線などで転属されて使用されることが多かったようですので、実はいずれも正解なのかも知れませんね。

【関連サイト】
宮崎県の森林鉄道廃線跡探訪紀行」> 6.綾南線
鉄道ホビダス」> 編集長敬白 > 監物台の「土佐造船」。
九州森林管理局」> 森林への招待状 > 監物台樹木園
熊本城公式ホームページ
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転車台転用の多賀第3こ線人道橋

 友人からメールで「福岡県直方市に転車台(ターンテーブル)を転用したと思われる面白い橋があるよ」という情報をもらいました。転車台とは蒸気機関車などを方向転換するための施設。以前は多くの駅にあったものですが、現在は蒸気機関車とともにその殆どが姿を消しています。転車台といえば大分県の豊後森機関庫に残されていますね。

 さて、今回の話はその転車台の機関車を乗せる部分が橋として転用されているというもの。実に私の興味をそそる内容です(笑)。さらにその橋、線路を跨ぐ橋「跨線橋」として使用されているとのこと。転車台が線路の上に架けられている光景って面白そうじゃあないですか。ってことで早速見に行ってきました。

直方市の転車台転用橋梁

 直方駅の南側に確かにその橋はありました。線路の向こう側に神社があり、そこへ行く参道として架けられた橋のようです。歩道橋として線路を跨いでいる橋本体は特徴ある山型の形状。一見して転車台からの転用を思わせます。

直方市の転車台転用橋梁

 手前側は石積みの階段になっていますが、向こう側の橋台は煉瓦造なので随分昔から橋が架けられているようです。写真の鳥居には明治27年の文字が見えるので、その時代からあったのかもしれませんね。ちなみに橋を渡ってすぐ左奥が直方市石炭記念館。ここは去年の夏に訪れていましたが、すぐ近くにあったこの橋の存在には気付いていませんでした…。

直方市の転車台転用橋梁

 石炭記念館側から見た跨線橋。分かり辛いですが側面に塗装記録がペイントされており、それによるとこの橋は「多賀第3こ線人道橋」という名称であることがわかりました。他に銘板が取り付けられていた痕跡などもありましたが、何時の年代のものなのか知る手がかりは見つけられませんでした。

直方市の転車台転用橋梁

 橋を裏側から見ると内側の部材が非常に細いことがわかります。おそらく転車台の部材は両端のみで、路面を支える内側の部材は跨線人道橋としての用途に合わせ作り変えられたものだと思います。第一に幅が随分と広げられていますね。

直方市の転車台転用橋梁

 橋の裏側を繁々と眺めていると、もうひとつ面白いことに気がつきました。橋と橋台との接点部分をよく見ると、二段階に分けてコンクリートで嵩上げされているのが分かります。それぞれコンクリートの色も違っているので、一段目と二段目が作られた年代は結構離れているのでしょう。オリジナルの橋台部分は煉瓦の層の上部に嵌め込まれている石材部分だと思いますが、随分と嵩上げされたものですね。

 実は現地で橋を見ただけでは転車台からの転用という部分の確信が得られませんでした。そのことを情報をくれた友人に話すと、なんと彼自身が調べてくれて「転車台からの転用」ということが「鉄道廃線跡を歩く宗(JTBキャンブックス)に写真付きで紹介されている記事を見つけてくれました。この手の本はちゃんと目を通しておかないといけませんねえ。まるか君、いろいろとありがとうございました。

【追記】タケさん、まるか君のご指摘のとおり橋台の嵩上げ一段分は、電化による架線の逃がしのようです。「鉄道廃線跡を歩く宗廚坊悩椶気譴討い襪海龍兇亮命燭肋赦46年の電化前のもの。架線はなく蒸気機関車が橋の下に写っており、シルエットではありますが橋本体と橋台の形状もはっきりと確認できます。その写真では確かに一段、橋の高さが低くなっており、電化により転用橋が嵩上げされたことがわかります。

 かつては全国に沢山あった転車台。その殆どが役目を終え姿を消した現在、実は結構転用されていてどこかにひっそりと残っているのかもしれませんね。

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姫井橋

 今回紹介する姫井橋は、熊本県菊池市旭志の県道329号にある“新しい姫井橋”の隣に歩行者用としてひっそりと地味に残されています。全長約18メートルで大正14年竣工。見た目にも華やかさはなく苔むしたただの古いコンクリート橋(アーチは特徴的ですが)にしか見えませんが、実は“国内初”と“Aランク”というスゴイ肩書きを持つ特別な橋なのです。

姫井橋

 鉄筋コンクリート造のアーチ橋は特に珍しいものではありませんが、姫井橋はアーチの下側に路面が位置する下路式コンクリート(RC)アーチというあまり見慣れない形式。その形式においては国内で初めて建設された橋なのです。次に古い下路式RCアーチ橋は昭和8年建設の神奈川県にある旭橋になり、姫井橋は大正時代唯一の下路式RCアーチ橋としても重要な意味を持つことになります。

姫井橋

 姫井橋の持つ“Aランク”とは、土木学会が選定する土木遺産のランク。A〜Cのランク分けの中で「Aランクは最も重要な土木遺産で、国指定重要文化財に相当する」と位置づけされています。姫井橋は国内初であることと形式・保存状態などからAランクに評価されたのでしょう。

姫井橋の親柱

 上の写真は橋のたもとに立つ石柱。親柱のようでもありますが、この1本だけしかありません。石柱付け根裏側に見える小さな四角い柱は橋の両側に2本ずつあるので、これが親柱なのかも。

姫井橋の親柱

石柱には姫井橋の文字はありませんが、下部に「大正十四年三月竣成」とあるので姫井橋のものだと考えていいでしょう。

姫井橋のコンクリート剥離部分

83年という年月を感じないほど全体的にはしっかりとした印象を受けますが、写真のように一部コンクリートが剥離し鉄筋が露出している箇所もあり老朽化は確実に進んでいるようです。

 私は何冊かの書籍でこの姫井橋を知り現地へ見に行ったのですが、何も知らなければ簡単に見過ごしてしまうような橋です。そのようなコンクリート橋でも重要な価値を持つものもあるわけで、一見何でもないような橋でも今後は注意して目を向けないといけませんね。


大きな地図で見る

【関連サイト】
土木遺産in九州」> 土木遺産目録 > 熊本県 > (廃)姫井橋
土木学会選奨土木遺産
土木学会選奨土木遺産(Wikipedia)

【参考文献】
「熊本県の近代化遺産 近代化遺産総合調査報告書」熊本県教育委員会
「日本の近代土木遺産」土木学会
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三井三池鉄道 玉名線 02

 “三井三池鉄道 玉名線01”の続きです。玉名線後半は日没の迫る中大急ぎで見て回ったのですが、なかなか面白い風景に出会うことができました。

三井三池鉄道

 以下のGoogleマップが今回紹介する区間。赤い線が今回トレースした玉名線で、各マーカーは本文中の写真の位置を示しており、クリックするとその位置の写真を見ることができます。是非別窓で拡大して本文と照らし合わせてご覧ください。


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 さて、前回もったいぶっていた切り通しの先に見えたものとは…

三井三池鉄道 大平駅
大平駅

 それは当時の姿を残す大平駅。駅のホームと建物がそのまま残っているのには驚きました。現在周辺は畑になって人の手が入っており、ホーム上の建物も後になり作られたものかと思いましたが、部材にはレールが使われホームのコンクリートにしっかりと固定されているので当時のものだと考えていいでしょう。

三井三池鉄道 大平駅から来た道を振り返る
大平駅ホームから来た道を振り返る

 ここ大平駅から先の軌道跡は激しい藪の為、いったんホームから続く小道を下ることに。その先に玉名線二つ目のコンクリート橋が現れました。

大平駅入り口とコンクリート橋02
大平駅入り口とコンクリート橋02

 コンクリート橋02部分で軌道跡からはずれたものの、先には平行して車道がありすぐに元に戻ることができます。

深い切り通し
深い切り通し

 再び深い切り通し。前回の大平駅手前のものより深さも長さもあるようです。その切り通しを抜けたところに、またもや完全な形のホームが見えてきました。

三井三池鉄道 宮内駅
宮内駅

 どうでしょう。ホームの裏側から見ると、まるで本物(現役)の駅のように見えませんか?特に何かに転用されている訳でもないようで、シンプルな駅の姿を留めています。

宮内駅のホーム
宮内駅のホーム

 建物は大平駅と違って太めのしっかりした鉄骨で組まれており、また屋根の下には木製のベンチと背中側に壁も作ってあります。とりあえずベンチに腰掛けてみましたが、廃線の駅とは思えぬしっかりとした座り心地(意味不明)に激しく感動してしまいました(笑)。現場では興奮してしまい、この場所だけで随分と長居して大量の写真を撮っていました(笑)。しかし、これほどコンディションのよい廃駅ってそんなにないのでは。

軌道跡の緑地
軌道跡の緑地

 宮内駅以降は築堤などもなく、車道脇に緑地帯として軌道跡がしばらく続きます。雑草などもないので、地元の人々で手入れをされているのでしょう。

軌道跡がゴルフ場に入る
軌道跡がゴルフ場に入る

 グリーンランド(遊園地)の観覧車が見えてくるあたりで、軌道跡はゴルフ場の敷地内へと入ってしまいトレースできなくなってしまいます。仕方ありませんので数十メートル離れて並走する県道314号をグリーンランド方面へと歩きました。

玉名線の終点?違いました
玉名線の終点?違いました

 グリーンランド南側にあるディスカウントストア。現地ではここが終点平井駅跡あたりだと勘違いしていました(タケさんごめんなさい!)。実際はもう少し東側に位置しており、写真のディスカウントストア前あたりに線路が通っていたようです。終点の位置は上記のGoogleマップの赤マーカーで示した地点で、マミーズというスーパーの裏手に平井駅はあったようです。以下の国土交通省のウェブマッピングシステムとGoogleマップで照らし合わせるとよくわかります。


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1974年の平井駅周辺
1974年の平井駅周辺

国交省ウェブマッピングでの元画像はコチラでご覧いただけます。上記二つの写真を見比べると炭鉱住宅の跡地が遊園地やゴルフ場になっているのが良く分かりますね。

 今回は短い時間の中で慌てて見て回りましたが、それでも十分に楽しめた廃線トレースでした。やはり時代と共に消えていく部分もありますが、その中でもピンポイントでまるで時間が止まったような風景がいくつも残っているのが面白いですね。三井三池鉄道は私にとってまだまだ手付かずの部分も多いので、歴史的な部分も含めて今後色々と見ていきたいと思っています。

【関連記事】
三井三池鉄道 玉名線 01
三井三池鉄道 01
三井三池鉄道 02
三井石炭原万田アパート
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三井三池鉄道 玉名線 01

 先月行われた三井三池炭鉱有明坑の一般公開の後、夕暮れに追われながらALL-Aのタケさんと三井三池鉄道の廃線跡をトレースしました。以前、本線の一部をトレースしていたので(詳細1詳細2)その続きでもよかったのですが、今回は本線の原万田駅付近から南へ分岐している“玉名線”を終点平井駅目指して辿ってみました。

三井三池鉄道


原万田駅
原万田駅

 以下のGoogleマップが今回紹介する区間。青線が三井三池鉄道の本線で、赤線が今回トレースした玉名線です。是非別窓で拡大して本文と照らし合わせてご覧ください。


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 築堤上の原万田駅から軌道跡を東へ進むとすぐに高架で国道208号の上を渡ります。さらに数メートル進むと右方向に不明慮ながらも枝分かれする“道”らしいものが現れます。築堤が枝分かれして続くと思っていたのですが何か変。本線築堤からおりて周囲の地形を見てみると…。

本線と玉名支線の分岐点付近
原万田駅本線と玉名支線の分岐点付近

 玉名線の分岐部分からすぐの築堤は既に削り取られ、真新しい住宅地として生まれ変わっていました。上の写真は分岐点を振り返って見たもの。右側に見える住宅が曲線を描くように並んで建っているのがわかると思いますが、この曲線が分岐点から南へ向かう線路(築堤)の痕跡です。そこから進行方向に視線を向けると…

玉名線 橋台01
橋台01

 道路を挟んだ反対側には片方の橋台だけが残されていました。道路が築堤を横切るので本来は橋になっていた部分ですが、このような状態では一見すると橋台には見えませんね。ここから築堤上に上がり軌道跡を辿りたいのですが、流石にこの壁を登ることもできないので築堤沿いの道路を歩き進みます。

玉名線 コンクリート橋01
コンクリート橋01

100メートルも進まずして玉名線最初の橋梁が現れました。コンクリート造でそれほど古く感じません。

玉名線 築堤上部
築堤上部

橋の近くから築堤上に登ってみたのですが、ご覧のとおりの激藪状態。12月だというのにこれでは歩くことができません。仕方なく近くの道路を歩き進みます。

玉名線 橋台02
橋台02

 またもやスッパリと途切れる築堤。左側の築堤が道路のところで途切れており、その部分はまたもや橋台になっています。しかも反対側には橋台がないだけではなく築堤も跡形もありません。

玉名線 築堤跡の工事現場
築堤跡の工事現場

 しばらく状況が飲み込めずきょろきょろしていましたが、どうやらここも築堤が削り取られてしまったようです。まだ工事中の部分もありほとんどが更地ですが、一部では造成され住宅も建てられています。残念ながら三井三池鉄道が確実に姿を消していっているのを実感した場所でした。

玉名線 造成地の向こうに見える橋台03
造成地の向こうに見える橋台03

 築堤がなくなっていく現場を見て先行きに不安を感じ出していたときに、またもや片方だけの橋台が見えてきました。あの先にはまだまだ続いていそうでほっと一安心。

玉名線 橋台03の上から造成地を振り返る
橋台03の上から造成地を振り返る

その橋台の上へ登り振り返ってみます。写真中央の空き地の部分が築堤を削り去った部分であるのがよくわかります。

玉名線 切り通し
切り通し

 橋台03から先へ進むとすぐに切り通しが現れました。意外と大きな切り通しになっており、廃線的な雰囲気もいい感じに出ています。また不思議なことに藪にもなっておらず歩きやすい。地元の人の散歩道にでもなっているのでしょうか。そんなことを考えながら歩いていると、遠くに何かが見えてきました。

玉名線 切り通しの先には…
切り通しの先には…

切り通しが終わった先にも軌道の跡は伸びています。その脇に何かが見えてきたのですが…。続きは次回!

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