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九州の近代化遺産・産業遺産を見て・調べて・紹介!するブログ

祝子川発電所02

 前回の祝子川発電所01からの続き。今回は発電所の周辺を見てみましょう。まずは建物の真裏にあたる部分。水力発電所に付き物の水圧鉄管は既に撤去してありますが、その土台と並走して階段が残されています。

祝子川発電所

 どこまでも真っ直ぐに伸びている恐ろしく長〜い階段。資料によるとこの発電所の有効落差は183.67mということですので、この階段はストレートにその高低差を繋いでいるようです。上部にはサージタンクなどの施設も期待できますが、今回は時間もなく登っていません。

祝子川発電所

 小さな木造の建物が残っていました。見るからに“便所”なのですが、本体の発電所の朽ち具合に比べ、木造の割りにしっかりと建っています。

祝子川発電所

 発電所の裏側。窓のガラスは一枚も残っていないようです。

祝子川発電所

 発電所裏を通り上流側から。発電所の真裏には2方向から水路(1つは天然の沢)がぶつかっており、その上を跨ぐようにコンクリートの通路が行き交っています。その通路には、頼りない錆びた鉄製の手すりがあるのですが…。

祝子川発電所

 手すりの支柱部分を良く見てみると、なんとレールが使われているではありませんか!しかも森林鉄道で使われている馴染み深い(笑)なんとも細いレールです。もしかしたら発電所建設時の作業線として軌道が用いられたのかも。完成後に撤去、使用後のレールは建材として再利用されたのかも知れませんね。

祝子川発電所

 発電所の上流側には石積みやコンクリートなどで丁寧に整地された平場が川に沿って延びています。下流側と同規模で200mほどの奥行きに建物の基礎跡などを見ることができます。今でこそ遠隔操作でほとんどの水力発電所は無人で運用されていますが、昔は三交代で人が詰めて発電所を操業していたため近くに職員住居(社宅など)が作られる事が多かったようです。この跡地にも、おそらく従業員の住居があったのではないでしょうか。

 さて、元々この日は祝子川渓谷に用事があるので、発電所探索もこの辺で切り上げます。車に戻り、祝子川上流を目指し狭く厳しい山道を再び進みはじめると…。5kmほど上流の川の中に、不自然に壊れた堰を見つけました。

旧祝子川発電所 取水施設

 堰本体上部が取り壊され、その役目を終えている祝子川発電所の取水堰。写真奥(対岸)に取水施設があります。

祝子川発電所 取水施設

 取水口からすぐに沈砂池へ。沈砂池とは、水流を弱めることにより砂を沈めて取り除く大きなプール状の施設。

祝子川発電所 取水施設

 沈砂池の一番下流側にある穴。このまま導水路(トンネル)で発電所上部まで直行しているのかも?覗き込んでみたかったのですが、沈砂池の底に降りたら這い上がれそうになかったので断念。

祝子川発電所 取水施設

 取水施設には魚道も。今では魚が通る代わりに、木が育っています。

祝子川発電所 取水施設

 そしてここ取水施設にもレールが。支柱だけでなく手摺部分もレール。

 今回は時間が無かったので全て小走りに見て回ったのですが、それでも予想外の取水施設までも見ることができ大収穫。さて、念願だった現物を見ることができたのですが、現地だけではこの発電所の正体がよくわかりません。後日、資料を探したのですがコレというモノにも出会えません。それでも幾つか面白いことが分かりました。続きは次回にでも。

【関連記事】
【関連記事】
雑記帳・祝子川発電所01
「雑記帳・祝子川発電所02」
雑記帳・祝子川発電所03

【関連サイト】
廃景録」> 廃墟 > H川発電所
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祝子川発電所01

 久しぶりの更新です。最近様々なイベントや締め切りに追われて更新が滞っておりました。このバタバタとした状態で年末へと突入していくのかなあ…。

 さて、今年の夏の終わりに宮崎県北部の祝子川(ほうりがわ)渓谷に遊びに行ってきました。大崩山の麓を源流とする祝子川渓谷は、花崗岩の巨石が織り成す独特な光景が見られる渓谷として有名。沢登りやヤマメ釣りの人気スポットでもあり、また大崩山の登山口があるためシーズンには多くの人々が訪れているようです。私も祝子川渓谷の日本離れした迫力の光景をこの目で見たくて、今年になって初めて行ってきました。

 わかってはいたことなんですが、祝子川渓谷は遠かった…。延岡市から祝子川に沿って渓谷へ向かう道は、狭く険しく対向車とのすれ違いも大変。しかし、その険しさが“すごい所に向かっているぞ”という期待感を大きくしていきます。そんな道中、川の対岸にあるモノを発見。

祝子川発電所

 道もない、橋もない川の向こう側にあるものは…。これって立地、建物の意匠などから判断してもいかにも水力発電所では!しかもちょっと古そうです。

祝子川発電所

 さらに思いっきり廃墟になっています。廃止になった水力発電所は幾つも見ていますが、このように廃墟になって朽ちているものは初めて。

祝子川発電所

 対岸に渡ってみたいのですが、道も橋も見当たりません。しかし、良く見てみると…。この場所に吊橋が架かっていたようです。上の写真では、対岸へ続くメインケーブルとそこから等間隔に垂れ下がるハンガーロープが写っています。これでは流石のヨッキれん氏でも渡ることはできませんね(笑)。

祝子川発電所

 対象に近づくには、直接川に入り渡るしかありません。もともと渓谷に沢登りにきている訳ですので、川に入る心構えと準備も万全。発電所の下流側をジャブジャブと対岸へ。結構水深あります。※それなりの装備で川へ入っています。大変危険ですので絶対に真似しないでください。

祝子川発電所

 発電所建屋の下流側には、川に沿って細長い平場が残されています。数多く残るコンクリートの基礎などから変電施設や鉄塔が建っていたと思われます。

祝子川発電所

 発電所の建物。とりあえず裏側へと回ってみて、建物の全体を見てみます。

祝子川発電所

 発電所裏側には沢があり、またヘッドタンク(山の上)からのオーバーフローを流すためと思われる水路なども合わさり、複数のコンクリート壁で立体的で複雑な構造になっていました。

祝子川発電所

 建物の開口部から内部を覗いてみると、そこは2階の制御室と思われる場所。内部には機器類や備品など何も残っておらず、ガランとしています。全体的に劣化が進んでいるようで、怖くて内部には立ち入ることはできませんでした。上写真は約90度のパノラマ写真。

祝子川発電所

 発電機と水車が設置されていた1階にあたるフロアには、抜けた天井から光を受け草木が育ち始めています。目を凝らしてフロアを見てみると、水車と発電機の台座が2式。排水口や機器類を収めたと思われる深い穴もそのまま口をあけています。間違えても立ち入らないほうがいいでしょう。 

祝子川発電所

 怖いのは足元だけでなく頭上も。ちょっとでも強い風が吹いたら瓦が落ちてきそうですね。

祝子川発電所

 建物に唯一残されている文字。これ以外に、ここは何なのかを知ることができるような看板、注意書き、銘板、プレートなどの類は見つけることはできませんでした。

 実を言うと、ちょっと前からこの発電所の存在だけは知っていました。拙サイトからもリンクしているK-kaiさんのサイト「廃景録」にて紹介されており、そのレポートを見たときには「こんな廃発電所が九州にあるのか!?」と衝撃を受けました。ただし正式名称と場所は伏せられていたので、その存在を確認できずにいたのです。ところが今回、祝子川渓谷に遊びに行く途中に偶然に発見してしまったという次第です。

 拙サイトで紹介することで、ネタばらしになってしまうところを快諾していただいたK-kaiさん、ありがとうございました。

 さて、発電所の細部や周辺に残るその他の遺構、そしてこの廃墟となった発電所の“正体”などは次回以降にでも紹介したいと思います。

【関連記事】
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「雑記帳・祝子川発電所01」
雑記帳・祝子川発電所02
雑記帳・祝子川発電所03
【関連サイト】
廃景録」> 廃墟 > H川発電所
※見立鉱山坑口なども紹介。おそらくWeb上では唯一だと思われます。必見です。
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小菅修船場

 長崎市の長崎湾は港に適した地形であるため、大手から中小まで数多くの造船所があります。長崎の造船といえば、まずは三菱重工長崎造船所を連想しますが、そのルーツとなったのが安政4年(1857)に幕府によって設立された「長崎鎔鉄所」(製鉄から船舶の修理・建造も行う工場)です。

 長崎鎔鉄所は明治元年(1868)に官営「長崎製鉄所」となり、それと同年、長崎湾を挟んだ対岸にあたる場所で、日本初の洋式スリップ・ドックを持つ船の修理工場「小菅修船所」が竣工します。

 小菅修船所は、薩摩藩が英国商人のトーマス・グラバー(グラバー園で有名ですね)の協力のもとに建設。グラバーは出資から完成後の管理まで請け負ったそうです。後に官営となり、長崎製鉄所と同じく三菱へと払い下げられますが、そもそもなぜ薩摩藩が長崎で船の修理工場を?という疑問が沸いてきました。Web上で検索してみたところ、わかり易く解説されているサイトを発見。気になる方はWebサイト「NIKKEIアドネット・日本の近代化遺産50選・小菅修船場」を参照してみてください。

小菅修船場

 長崎市の市街地に近い、小さな入り江に小菅修船場はあります。船を修理する施設なので船を陸に揚げるドックがあるのですが、大掛かりなものでなく実にシンプル。緩やかな傾斜にレールが敷かれ、それが海中に続いているだけのものです。満潮時にレール上の台車を船の下に潜り込ませ、潮が引いて船が台車に載ったら蒸気機関を動力とする捲揚機で引き上げていました。

小菅修船場

 ただ驚くのは、現存するその施設のほとんどが、明治元年の竣工当時のものだということです。ボイラーは明治34年に交換されていますが、25馬力の蒸気機関や大減速比の巨大な歯車などは、グラバーがイギリスから輸入した141年も昔のもの。更にそれらを収める建物は、現存する日本最古の煉瓦造建築というからため息が出てしまいます(笑)。

小菅修船場

 建物に使われている煉瓦は、通常より薄く平たい“こんにゃく煉瓦”と呼ばれるもの。建物の壁を近くで見てみると、たくさんの煉瓦に様々なマークが付けられていました。

小菅修船場

 ドックの斜面中央にある歯型のあるレール。歯型は歯車に対応するような形状ではなく、後退を防ぐ目的のラッチのようなものがあったと思われます。

小菅修船場

 二組のレールの上にあるのが船台。この船台の様子がソロバンに似ているということで“ソロバンドック”とも呼ばれていたそうですが、正直現場で見てもソロバンは連想できませんでした。

 
 小菅修船所は国指定史跡でありAランク近代土木遺産。平成19年度には経済産業省により近代化産業遺産の指定も受けています。現在は三菱重工株式会社長崎造船所の所有。敷地内は公園として整備されており、見学は自由にできます。建物内部は見ることが出来ません。

【関連・参考サイト】
NIKKEIアドネット」> 日本の近代化遺産50選 > 小菅修船場跡
長崎県文化ジャンクション」> 文化百選事始め編 > ソロバンドック
高炉館」> 近代化産業遺産総合リスト > 長崎市出島その他地区

【参考文献】
九州遺産」砂田光紀/著・弦書房
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八幡製鐵所 尾倉修繕工場

 最近忙しくて出かけていないので正直ネタ切れです。おまけに夏風邪ひいちゃって大変。あー、梅雨が明けたら、のんびり炭鉱遺構でも巡りたいなー。…泣き言はこの位にしておき、過去に紹介するタイミングを逃したモノから、幾つか紹介していきたいと思います。

 福岡県北九州市八幡東区にある八幡製鐵所は、1901年(明治34年)に官営製鉄所として操業を始めた日本初の近代製鉄所です。現在は新日本製鐵株式会社八幡製鉄所となっていますが、工場内部や周辺にはその歴史に相応しく数多くの歴史的建造物が残されています。東田第一高炉旧本事務所など以前に紹介した以外に、現役の工場施設の中にも大変貴重な建物が含まれており、今回はその中の一つである尾倉修繕工場を紹介します。

八幡製鐵所 尾倉修繕工場

 特に目立つ特徴もインパクトもない外観。何も知らなければ“普通の工場”に見えるかも知れません。しかしこの建物、なんと1900年(1899年との記述もあり)に竣工しており、わが国の本格的鉄骨構造の建築物としては最初期のもの。完全な形で現存するものの中では国内最古です。

八幡製鐵所 尾倉修繕工場

 内部に入ってみると、丸屋根の天井や鉄骨柱などが僅かにレトロな雰囲気を出していますが、これまた知らなければ普通の工場の様な雰囲気でもあります。しかし109年もの昔の建物であると意識すると、高い天井やその下の広大な空間を持つ建物のスケールには圧倒されますね。

八幡製鐵所 尾倉修繕工場

 当時の日本の技術力ではこのような鉄骨の建物をつくるのは難しく、ドイツの製鉄会社グーテホッフヌンクスヒュッテ社(G・H・H)に全面依頼。上写真の様に、建物の鉄骨にその社名が残されています。


 左側のマーカーが尾倉修繕工場。右側のマーカーが旧本事務所。写真右端がスペースワールドで、下側中央には東田第一高炉が見えています。

※尾倉修繕工場は新日本製鐵株式会社八幡製鉄所の敷地内にあり、また現役の施設でもあるため立ち入ることはできません。

【関連記事】
「雑記帳・官営八幡製鐵所旧本事務所
マップ・東田第一高炉

【関連サイト】
高炉館」> 近代化産業遺産総合リスト > 北九州市八幡東区編

【参考文献】
北九州の近代化遺産」北九州地域史研究会/編・弦書房
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修復後の深水発電所

 熊本県八代市坂本にある旧深水発電所では、昨年の夏に屋根を小屋組みから作り直すという大修復が行なわれました。そのことを取り上げた当ブログの記事には非常に多くのアクセスがあり、みなさんの深水発電所への関心の高さには驚きました。

 大正10年竣工の深水発電所は、球磨川の風景に溶け込む赤煉瓦のその姿がとても美しく、私もお気に入りの物件です。そして廃止されて20数年経った現在でも、取水口から導水路、調整池、水管橋、サージタンクなどの「当時の水力発電所」としてのシステム全体が手付かずのままに残されており、産業遺産としても大きな魅力があります。

修復後の深水発電所

 さて、来月発売予定の書籍「肥薩線の近代化遺産」では、鉄道遺産だけでなく沿線に残る産業・農業・商業・公共・生活に関わる幅広いジャンルの近代化遺産も数多く紹介します。その沿線遺産として、もちろんこの深水発電所は外せません。そしてこの度、現所有者の日本製紙さんのご厚意により修復後の深水発電所内部の撮影も行なうことができました。

初公開 深水発電所の内部

 深水発電所の内部の写真が公開されるのは「熊本県の近代化遺産調査報告書」以外では初めての事ではないでしょうか。修復後の建物の活用方法が気になっていましたが、特に何も決めていないとのこと。詳しくは書籍「肥薩線の近代化遺産」にて、多くの写真とともに紹介していますのでお楽しみに。

 また本では、深水発電所と同じく九州製紙によって建てられた鮎帰発電所も紹介。今年で100年を迎えた同発電所の内部写真も多数掲載しています。両発電所とも内部は廃止時からほとんど手がつけられていない様子で、機械油の匂いが漂う室内は、まるでつい最近まで稼動していたかのようでした。他の写真も“初公開”のものが多くありますので見逃せませんよ!

あ、久しぶりの雑記帳更新が本の宣伝みたいになってしまいましたが、最近は遺構探訪もできなかったのでお許しください(汗)。ぼちぼち再始動です。

【関連記事】
雑記帳深水発電所 近況
マップNo.20 深水発電所
報告書深水発電所(旧西日本製紙株式会社)0102030405
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西日本製紙工場跡地 近況

 前回紹介した深水発電所を訪ねた同日に、すぐ近くにある西日本製紙工場跡にも行くことに。西日本製紙とは、旧坂本村に明治時代からあった歴史のある製紙工場。昭和63年に会社は解散し、その後工場の建物などは取り壊されて更地になっていました。しかし地面にはエンドレスと呼ばれるトロッコ軌道が残り、周辺にはJR坂本駅からの引込線跡など多くの遺構が残されていました。

 前回訪れたのは2006年3月。今回(2008年7月24日)は久しぶりの再訪ですが…。おや?なんだか雰囲気が随分と変わっています。

西日本製紙工場跡地

 なんにも無かった更地に、真新しい舗装の駐車場や植栽などが…。

西日本製紙工場跡地

 なんと広大な工場跡地を全部使った公園になっています。真新しいカラフルな遊具や建物が目に眩しいばかり。でもひとっこ一人いないぞ。

西日本製紙工場跡地

 なんということでしょう(笑)、工場跡の更地が見事な公園に大変身。

西日本製紙工場跡地

 そうそう、工場跡地には製紙工場に関連した石碑があったはず。撤去されたか?どこだ!と、探してみたら公園を見渡せる高台に集められ、一列に並べられていました。

西日本製紙工場跡地に残る石碑

 一番手前の石碑には、この地の製紙工場の歴史が簡単に説明され、更に右隣の石碑の説明が書かれています。

西日本製紙工場跡地に残る石碑

ん?よく見てみると日付が未来の平成20年8月になっていますね。この地を訪れたのは平成20年7月。実はこの公園はまだ工事の途中なのです。平成20年8月1日(この記事を書いている時点では明日)に「くま川ワイワイパーク」として開園するとのことです。

西日本製紙工場跡地に残る遺構

 公園として整備されてはいますが、周囲にあった遺構はそのまま残されています。いや、整備されている分、周辺遺構は見やすくなっているかも。

【関連記事】
マップ坂本隧道・旧西日本製紙工場跡
報告書坂本隧道・旧西日本製紙株式会社工場跡 No.010203

【関連サイト】
八代市」> (仮称)坂本カントリーパークの名称募集!!
八代市」> 広報やつしろ2008.7.01(PDFファイル)
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深水発電所 近況

 熊本県八代市(旧坂本村)にある赤煉瓦造の深水発電所は、同地区にあった製紙工場付属の発電所として大正10年に竣工。昭和63年の製紙会社の解散に伴い廃止され、以来20数年使われていませんでした。近年は遠くからでも屋根の傷みが目立つようになり、その荒廃の進行が気になっていました。

深水発電所 2008年5月14日撮影
2008年5月14日撮影

 今年の5月の状態。屋根材も飛んでしまい、屋根自体も歪んでいるのが分かります。今年、台風が来たら屋根が落ちてしまうのでは…と、心配でした。

深水発電所 2008年5月14日撮影
2008年5月14日撮影

 ところが先日「深水発電所の屋根を取り替えている」という話を頂きました。当サイトの掲示板にも情報が。解体ではなく修復!?廃止になって20数年も経った建物を修復するとは正直びっくり。貴重な遺産が次々と解体撤去されてしまう昨今、信じられないほどに素晴らしいニュースではありませんか。

 深水発電所の現所有者(日本製紙)に確認していませんので、詳細はわかりません。しかし、下の写真を見ていただくと「解体撤去」ではなく、ちゃんと「修復」されているのは間違いないことが分かります。

深水発電所 2008年7月24日撮影
2008年7月24日撮影

 昨日の状態です。足場が組まれて屋根が無くなっています。いきなりこの状況を見ると「解体されている!」と思ってしまいそうですが、良く見ると真新しい部材が見えています。

深水発電所 2008年7月24日撮影
2008年7月24日撮影

 小屋組みに真新しい木造トラスが4つ並べられているのが見えます。対岸から見ただけでしたが、かなり太い木材が使用されているように感じました。

深水発電所 2008年7月24日撮影

 修復された後に、どのような使われ方をされるのかが非常に気になるところ。完成するのが楽しみですね。

【関連記事】
マップ深水発電所
報告書深水発電所(旧西日本製紙株式会社)0102030405
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泗水社製糸工場跡の煉瓦煙突

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。さて、今年1件目に紹介するのは、熊本県菊池市(旧菊池郡泗水町)にある大型温泉施設泗水孔子温泉の敷地内に仲良く並ぶ2本の煙突。銭湯ではなく温泉施設なのに“煙突”とは変わった取り合わせですが…。

泗水社製糸工場跡の煉瓦煙突

 実はこの煙突、明治43年から昭和59年までこの地にあった泗水社という製糸工場のもの。蚕の繭からシルクを取るためには大量のお湯が必要ですが、そのお湯を沸かすボイラーの煙突だったそうです。

 
煙突の足元には案内板も設置され、地元の人々に親しみを持たれながら保存されていることがわかります。案内板によると低い方の煙突は明治43年の創業時か大正6年に建てられ、高い方の煙突は大正15年に建てられた可能性が高いとあり、竣工された年ははっきりしないようです。また低い方の煙突は後になって短く改修されているようです。

泗水社製糸工場跡の煉瓦煙突

 明治期から昭和初期にかけて国策として進められた製糸工業。この泗水社の製紙工場も熊本県北の製糸業の発展には大きく貢献したといわれ、大正時代の最盛期には500人を超える従業員が働いていたそうです。現在は煙突以外にその痕跡を見つけることができませんが、国土情報ウエブマッピングでは廃業前の工場を見ることができます。

昭和49年の泗水社

写真上側が合志川。写真左側を上下に通るのが熊本電鉄(菊池電車・現在は廃線区間)。写真中央近くに2本の煙突が見えます。


別窓で地図を表示

 ところで製紙工場跡地になぜ温泉施設が建ったのか。敷地の端にシルクの原料となった蚕を祭った蚕霊塔(慰霊碑)があるのですが、そこの案内板に面白いエピソードがありました。以下、案内板より一部抜粋。
平成元年、この蚕の霊のお告げがあり、蚕霊塔前に温泉の掘削を始めたところ、平成2年7月11日に41.9℃の良質の温泉が湧出した。その後、3年間地域に開放し、「泗水しゃん風呂」「煙突の見える風呂」「赤湯」として多くの人が訪れ、神経痛、腰痛、疲労回復、打撲、けが、皮膚炎に効果があるとして知られ、広く住民に親しまれた。この度、平成5年12月25日新しく、泗水・孔子温泉として生まれ変わった。
一見無関係な製糸工場と温泉施設ですが、蚕が取り持つ不思議な縁があったんですね〜。ちなみにこの泗水孔子温泉は私も何度か入っていますが、泉質もよくてオススメですよ。
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旧三菱重工熊本航空機製作所

 熊本市東部にある陸上自衛隊健軍駐屯地(西部方面総監部)の広大な敷地の中に、終戦まで重爆撃機「飛龍」を生産していた三菱重工の巨大な工場建屋が残されています。

旧三菱重工熊本航空機製作所 組立工場

昭和16年、陸軍より生産増強の命令を受けた三菱重工が、名古屋航空機製作所の分工場として熊本市健軍の約140万坪の敷地に新工場の建設を開始します。三菱重工の工場ですが、国により建設され三菱により経営されるといういわゆる「官設民営工場」。工場は昭和19年に竣工し、終戦までの間に42機の四式重爆撃機・キ-67「飛龍」を生産しました。

四式重爆撃機・キ-67「飛龍」

戦後は、アルミなどを使った弁当箱や進駐軍向けのロッカーなどを製作し工場は自活の道へ。昭和22年には熊本機器製作所が設立され、本格的に農機具などの生産がはじまります。しかし、それも昭和24年に閉鎖となり、工作機器から従業員を含め工場は井関農機へ移譲されることに。残りの資産の整理・売却を進めるため、翌年に三菱重工西部整理事務所が発足。昭和29年に全ての事業整理を終えた為その整理事務所も閉所され、熊本のこの地から三菱重工は去っていきました。

 約140万坪という広大な跡地には、井関農機だけでなく紡績工場などもあったのですが、昭和29年に跡地北側に陸上自衛隊健軍駐屯地が開隊されます。そこにあった三菱重工の組立工場が現在も駐屯地内に現存し、倉庫・整備工場として利用されています。駐屯地の外から見てもノコギリ型の特徴的な屋根がよく目立ち、その巨大さからもとても気になっていた物件でした。でも相手は自衛隊の施設。簡単に「見せて」とも頼めないなあ、と思っていたところ、熊本産業遺産研究会で見学会が催されることに。なかなか無いチャンスですので迷わず参加しました。当日は司令業務室の方の案内のもと、現在「支処棟」として使われている旧組立工場建屋を見学し、また戦後の熊本機器製作所で整理業務に従事し長年三菱重工に勤められていた方の講演もあり、とても貴重な当時の話を聞くことができました。

旧三菱重工熊本航空機製作所 組立工場外観

特徴的なノコギリ型の屋根。外壁のスレートなどは新しいものです。

旧三菱重工熊本航空機製作所 組立工場内部

建物内部。ノコギリ屋根の垂直部分は透過性の素材が使用されており、明かり取りになっているのを初めて知りました。それにしても広い空間です。

旧三菱重工熊本航空機製作所 組立工場内部

逆方向から内部を見ます。天井はノコギリ屋根の斜めの部分がみえていますが、採光がよく内部は明るく感じます。

旧三菱重工熊本航空機製作所 組立工場天井付近の鉄骨

建物の鉄骨だけは間違いなく当時のモノ。細い部材をリベットで組み合わせて太い一本の鉄骨が作られています。

組立工場 当時の扉

工場建屋の北側の扉は当時のものと推測されるそうです。一枚一枚がとても大きいのですが、上下にレールがあり、扉自体にも大きな車輪が備わっているので人一人でも開閉ができます。爆撃機「飛龍」の全幅は22.5mですので、おそらくその幅に合わせた開口幅ではないでしょうか。

 三菱重工の工場自体で残っているのはこの組立工場建屋だけですが、当時の工場敷地が現在の区画にそのまま反映しており、地図で見てもその広さを十分実感できます。また航空機の工場でしたので隣接して飛行場もあったり、通勤や資材運搬のため国鉄豊肥線から引込線があったりするのも非常に興味深いものです。


拡大地図を表示

赤枠が三菱重工熊本航空機製作所跡。大まかですが青枠が飛行場跡。紫線が引込線跡。赤マーカーが今回紹介した組立工場建屋です。表示を写真に切り替えて拡大して見て頂くとノコギリ屋根がハッキリと確認できます。

自衛隊施設内の歴史的建造物

駐屯地の広報館で見せて頂いた本。「自衛隊施設内の歴史的建造物」と題された「明治・大正編」と「昭和編」の2冊。自衛隊内部にしかないとのことですが、こんな魅力的な内容の本は是非一般に出してほしいものですね。

【関連記事】
三菱重工熊本航空機製作所引込線
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荒尾ニ造変電所跡

 熊本県荒尾市には国指定重要文化財の三井三池炭鉱万田坑があり、隣接する福岡県大牟田市と並び石炭の町としてよく知られています。私も荒尾市と言えば炭鉱をイメージしますが、その荒尾市に炭鉱とは関係のない巨大な工場が終戦時まであったということを最近になって知りました。その工場は約100万坪の広大な敷地で、鹿児島本線荒尾駅から約5.2kmの専用引込み線まで持っているというもの。数多くの遺構も残されているということを知り、いてもたっても居られず僅かな時間ですが現地へ行ってきました。

 その工場とは東京陸軍第二兵廠荒尾製造所(通称・荒尾二造)という陸軍の火薬工場。昭和16年に本部事務所が完成、翌17年に専用鉄道と工場が完成し火薬の生産が始まり、火薬の種類によっては全国生産量の約30%を占めるほどの生産高があったといいます。しかし終戦に伴い工場は閉鎖し、一部の施設などは連合軍に接収されることに。後に広大な敷地や施設などは旧大蔵省財務局の管理のもと民間に払い下げられていき、学校や病院の建設や開拓団の入植が行われました。また跡地に設立された紡績工場では、当時の工場建物などが転用されて現在でも使われています。

荒尾二造跡航空写真

上の航空写真は昭和49年のもの(元画像はコチラ)。白破線の内側の部分が工場敷地だったところです。敷地が広すぎてこの写真に納まらないというのもスゴイ。中央を横切る道路は、竣工当時からある約4kmの軍用道路の幹線で最大幅は22mもあるそうです。

 専用引込み線は、終戦時にレールなどがフィリピン向けの賠償物件として指定されたものの、市電を走らせて産業の発展に役立てるという理由で指定を逃れたそうです。実際に専用引込み線は戦後荒尾市電として市民に利用されますが、施設の老朽化と予算の問題などでバスへの切替が決まり昭和39年に廃止されてしまいました。現在はほとんどの区間が自転車専用道路として残されているので、そのうち自転車でトレースしたいものです。

 さて、今回紹介するのは当時の工場施設や専用引込み線に電力を供給していたとされる変電所跡です。数多く残る遺構の中でも、この変電所跡が一番インパクトがあるのではないでしょうか。

arao

 建物というよりは、崖面に作られたシェルターという感じのコンクリートの構造物。背後は丘になっており崖面に穴を掘り部屋としている構造です。爆撃から逃れる為の形態ですので、これで前面に大きな穴が開いていたら掩体壕のようですね。壁面には両側から階段がつけられており、2階へ上がれるようになっていますが、全ての入口や窓は真新しい板で閉じられています。

接収番号
 
2階の壁には白いペンキで「Transformer substation 284」と書かれています。これは連合軍によるもので、「284」とは施設の接収番号とのこと。この他にも荒尾二造関連の遺構には接収番号が多く残されています。

荒尾ニ造変電所跡

変電所跡の周囲には柵が設けられており、国有地であることを示す看板が設置されているだけで特に案内板などはありません。このような施設は他に転用が難しいのかも知れませんが、戦後60年以上経ってもそのまま残されているというのは不思議なものです。


 私がこの荒尾二造を知ったのは「子どもと歩く戦争遺跡2」という一冊の本を読んでから。二度と戦争が身近なものでなくなるようにという思いで、熊本の戦争遺産研究会が戦争遺跡を活用しようという考えのもとにまとめられた本です。「子どもと歩く戦争遺跡2」は、熊本県北の荒尾・玉名・鹿本・菊池・阿蘇を対象とした熊本県北編で、前回の熊本市を中心とする戦争遺跡を紹介した「子どもと歩く戦争遺跡熊本編」に続く第二編。いずれも戦争遺跡の案内だけでなく、写真や図面など詳細な文献調査に加え関係者や体験者などの話も多く取りあげられており、非常に興味深い内容になっています。意外なほどに身近なところにある戦争遺跡。実際にこの本を片手にそれらを見て回ると、戦争の悲惨さを現代に伝える貴重な遺産だということがわかります。もうすぐ熊本県南を中心にまとめた第三編の刊行が予定されているとのこと。書店での取り扱いはありませんが、興味がある方は以下の連絡先で購入できるそうです。
「子どもと歩く戦争遺跡2熊本県北編」A5版119ページ
価格1,000円(送料別)
問合わせ:上村文男さん(TEL/FAX 096-344-8293)
余談ですが現地でカメラを構えていると、どこからか鼻息がフンフン聞こえてきます。ファインダーから目を離すとすぐ近くに大きな犬が来ているではないですか。私は犬にはよく吠えられたり追いかけられたりするタイプの人間ですので、一瞬噛まれやしないかとビックリしましたがとても人懐っこいカワイイ犬でした。カメラを構えている私が面白いのか近付いてきたみたい。

いぬ

「なにやってるのー?」とでも言いたげな顔ですね(笑)。

【参考文献】
「子どもと歩く戦争遺跡2熊本県北編」熊本の戦争遺産研究会/編
「鉄道廃線跡を歩く4」宮脇俊三/著 JTBキャンブックス
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