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九州の近代化遺産・産業遺産を見て・調べて・紹介!するブログ

筑後川デレーケ導流堤

 福岡県と佐賀県の県境にある筑後川の河口。その河口から上流へ向け約6.5kmもの長大な導流堤が、明治23年にオランダ人土木技師ヨハネス・デ・レーケの指揮のもと築かれました。導流堤とは、河川の流れを整えることで土砂などの堆積を防ぐ堤防の一種。筑後川の河口では洪水防止と船舶航路の確保などの目的でつくられ、110数年たった現在でもちゃんと機能しています。

新田大橋から下流側を望む

 導流堤は干潮時のみ、その姿を見ることができます。上の写真は新田大橋から下流側(河口側)を見たもので、筑後川を二分するように河川の中央に築かれているのがわかります。

新田大橋から上流側を望む

 上の写真は同じく新田大橋より上流側を見た写真。右手奥に筑後川昇開橋の赤い二本のタワーが見えています。

導流堤本体

 現在のような建設機械もなかった当時、干満を繰り返す河床にこれだけの石積みの堤を築くのは大変だったことでしょう。


拡大地図を表示

 赤色のマーカーが新田大橋。筑後川右岸にある運動公園に駐車し、新田大橋の歩道を歩いて渡るとよく見ることができます。青色のマーカーは筑後川昇開橋。見学の際は干潮時間を調べるのをお忘れなく。

【関連サイト】
BMHのページ」> 九州の近現代遺産 > 筑後川デ・レーケ導流堤
ウィキペディア」> ヨハニス・デ・レーケ
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旧長崎刑務所解体

 当サイトの掲示板しんさんより旧長崎刑務所の近況についての投稿を頂きました。正門付近だと思われますが「解体工事」の内容が書かれた看板が設置されています。

旧長崎刑務所解体

 まだ具体的な動きはないようですが、5月と6月の一般公開時には決まっていなかった工事業者も決定されて着実に解体へと向かっている様子です。一般公開の反響によって解体計画に変更が…とか、もう一度正式(文化庁などの専門家など)な調査が行われる…など、もしかしたら、なんて淡い期待もしていたのですが残念です。旧長崎刑務所の価値がどのようなものなのか、今や多くのWebサイトでも語られています。また一般公開によって、その参加者の誰の目にも“価値ある遺産”として映ったことと思います。しかし解体されるという現実があります。

 旧長崎刑務所のこの事態、素人の私にとっては不思議&分からないなことばかり。そもそも国は何故保存どころか民間に払い下げてしまったのか、県や市は保存しようしなかったのか、地元ではどうだったのか、などなど。それらには様々な理由・原因・考え方がある訳ですが、やはり「刑務所だから」というポイントが大きなウエイトを占めているようです。以下のリンク先のサイトでは旧長崎刑務所の価値云々だけでなく現在までの経緯、その背景などが詳しく書かれており、私なりに“旧長崎刑務所”を理解するのに非常に参考になりました。

【関連サイト】
高炉館」> 管理人日常雑記 > 旧長崎刑務所に関する小考
前村記念博物館ブログ」> 分類一覧「旧長崎刑務所
ALL-A」> 旧 長崎刑務所 関連サイト・エントリーのまとめ

 解体の看板が立てられても、手遅れになったという訳ではありません。今ならまだ間に合います。どのような形でも僅かででもいいので“保存”という良い方向へ向かうことを期待したいものです。

【関連記事】
マップ「旧長崎刑務所
雑記帳「旧長崎刑務所一般公開 報告
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トータル・クリスチャン・チャーチ

 大牟田市シリーズ第三弾。今回は車で走行中に偶然に見つけた煉瓦建築です。大牟田市大正町にあるその建物は、どういう訳か屋根がなくなっています。接続する建物は、白く塗られているもののこれも煉瓦造。

トータル・クリスチャン・チャーチ

 建物の全体像が分かる正面へ回ってみると、一つの大きな建物であることがわかります。増改築の痕跡も見られますが、随分と大きな煉瓦建築です。また周囲は赤煉瓦の塀に囲まれていました。

トータル・クリスチャン・チャーチ

 この建物、実は「トータル・クリスチャン・チャーチ」という教会で、牧師さんから建物についてお話を聞くことができました。それによるとこの建物と土地は30年ほど前に教会が購入。昔は製氷会社の工場だったと聞いているそうです。いつ建てられたのか、はじめから製氷会社のものだったのか詳しいことは分からないとのことでした。建物は教会になってから手が加えられた部分もあるそうですが、内部を見てみるとそれ以前に大がかりな増改築が加えられているようで、長い間に用途に合わせ手が加えられてきたことが予想できます。そして屋根がない赤煉瓦の建物部分については、元々住居として使っていたそうですが、二度の台風で屋根が飛んだ為、現在は使用していないということでした。修復する予定や、取り壊す予定も特にないとのことです。

トータル・クリスチャン・チャーチ

 大牟田市での煉瓦建築といえば三井三池炭鉱関連の施設ばかりを考えるのですが、このような形で煉瓦建築が残っていることは私にとって意外なものでした。いや、これは勝手な推測ですが、元々は三井三池炭鉱に関係するものとして建設されたのかも知れませんね。煉瓦建築の教会も珍しいものですが、“他から転用された”煉瓦建築の教会は更に珍しい例ではないでしょうか。

トータル・クリスチャン・チャーチ

 当日は突然の訪問にも関わらず、親切に対応していただいた牧師さん本当にありがとうございました。この場を借りてお礼を申し上げます。

【関連記事・5/19大牟田荒尾近代化遺産巡り】
三井三池炭鉱宮原坑一般公開
旧三川電鉄変電所
三井三池鉄道 01
三井三池鉄道 02

【関連サイト】
ALL-A」> 大牟田市の近代化遺産巡り
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旧長崎刑務所一般公開 報告

 一般公開で撮影した写真は当サイト内「マップ > 旧長崎刑務所」にて、後ほどまとめようと思います。今回、雑記帳では簡単に内部を紹介します。

 旧長崎刑務所は塀の内部だけでも約12,000坪と広大。敷地内には特徴的な放射状に配置された5棟の房舎があり、周囲には取り囲むように工場や病院、拘置所や事務棟などの多数の煉瓦造建築物が配置されています。下の写真は昭和49年の現役当時のもの。房舎左手の空き地には後になり工場が建設されています。正門は東側にあり、塀の中を窺い知ることができるのは唯一ここだけ。

長崎刑務所

 正門から入ったところにあるのが、塔屋を中心に持つ事務所棟。この建物には事務機能と所長室や会議室、差し入れ室などがあります。

長崎刑務所

その事務所棟の中を奥に進むと小さな円形のホールがあり、房舎へ向かう通路と職員施設へ向かう通路の分かれ道になります。

長崎刑務所

房舎に向かう途中の通路は驚くほどに荒れていました。そして放射状に並ぶ5棟の房舎の中心点がこれ。二階建ての構造なのですが、屋根と二階フロア共々腐り落ちてしまっています。

長崎刑務所

房舎のひとつに入ってみます。ここも屋根と二階の床が落ちて荒れてしまっていますが、まさしく“監獄”という光景が広がっています。

長崎刑務所

煉瓦の部分はしっかりとしていますが、さすがに木造の部分は風雨に晒され腐ってしまっているようでした。独房の扉は鉄ではなく木造。しかしよく見ると非常に厚みがあり、体当たりした位ではびくともしないようです。入口上部は石材が使われており、一部屋ごとに「第○○房」と番号が彫られています。

長崎刑務所

内部の広さによって1人、3人〜5人部屋とあったようです。内部には窓と水洗トイレ、小さな棚があるだけです。下の写真は広さから一人部屋でしょうか。

長崎刑務所

 刑務所内には囚人たちが働くための木工、縫製、機械、印刷など様々な工場があります。下の写真は煉瓦造の木工工場ですが、比較的近年に建てられたものもありました。

長崎刑務所

 他にも紹介したい写真は多くありますが、今回はこの辺で。当日は非常に多くのカメラマンが撮影していたので、そのうちWeb上でもすばらしい写真が沢山公開されるのではないでしょうか。

長崎刑務所

 荒れ果てた煉瓦の刑務所。なんだか随分と昔に閉鎖されたようで、とても平成4年までは現役だったとは考えにくいですね。15年間人の手が入らないだけで、建物はここまで荒れてしまうものだとは意外なものでした。また本来見通しのよいはずの敷地内は、さながら森のように木々が生い茂っています。遺構巡りをしていていつも思うのですが、植物の生命力も大したものです。

長崎刑務syと

旧長崎刑務所が竣工して今年でちょうど100年。記念すべき年に解体されることになるとはなんとも寂しい限りです。

【関連記事】
マップ・旧長崎刑務所

【関連サイト】
ALL-A」 > 旧 長崎刑務所 関連サイト・エントリーのまとめ
建築マップ」 > 旧長崎刑務所
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旧長崎刑務所一般公開 速報

 一般公開に行ってきました。私は刑務所に入るのはこれが初めてすが、明治期の巨大煉瓦建築で、15年間放置の廃墟ともなると流石に普通ではありませんね。強烈に鼻を突くカビ臭と、目の前に広がる非日常的な世界は私の想像を大きく超えるものでした。

旧長崎刑務所

とりあえず写真を速報として1枚Up。大牟田ネタが終了後に、おいおい紹介していきますね。
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旧伊藤伝右衛門邸

 福岡県飯塚市にある旧伊藤伝右衛門邸が、GW初日の4月28日に一般公開が始まりました。伊藤伝右衛門は「筑豊の炭鉱王」と呼ばれており、炭鉱だけでなく金融や工業などでも成功を収めた人物。また歌人の柳原白蓮を妻にし、後に新聞に絶縁状を掲載されるエピソードなどでも有名です。

 実は私、この旧伊藤伝右衛門邸が一般公開されるのをとても楽しみに待っていました。去年、福岡県朝倉郡東峰村にある伊藤伝右衛門が経営した宝珠山炭坑跡と隣接するいぶき館を見てきたのですが、そこで伊藤伝右衛門の本邸のことを知りました。いぶき館とは宝珠山炭坑のクラブハウスを再生した史料館(文化交流館)。結構大きな建物だったので驚いていたのですが、なんと伊藤伝右衛門の本邸にあった建物の一部を移築したものだといいます。じゃあ本邸はもっと大きいの?なんて思って資料をみると敷地約2,300坪!広大な日本庭園に建物延床面積約300坪の近代和風住宅!明治30年代末に建てられた“炭鉱王”の豪邸が飯塚市に現存しているとあります。これは是非見てみたい!そう思っていました。

 さて、公開初日の4月28日に早速行ってみました。予想はしていましたが、見学者は物凄い数。ボランティアの案内係も大勢いましたが、この人出は予想外だったのでは?と思うほどでした。

 現地ではまず、この門構えに圧倒されます。まるでお寺かお城の門のよう。とても個人宅とは思えませんね(笑)。

旧伊藤伝右衛門邸

 門からすぐの表玄関より室内へ入るのですが、建物内部は一切写真撮影が禁止とのこと。多くの人が写真撮影ができないことに不満を漏らしていて、案内係りの人もその理由が答えられずに困っていました。私も内部を撮影するつもりでしたのでこれにはガッカリ。

旧伊藤伝右衛門邸

 内部は、延床面積300坪だけあってさすがに広い!しかしそれ以上に見学者が多く、床が抜けないか心配なくらいぎゅうぎゅう。実際に2階にある白蓮の部屋の見学は床の強度の問題で1回3分20人に限定されていましたが、順番待ちが30分以上になる人気ぶり。贅沢を尽くして造られた各部屋は見所も多いのですが、圧巻なのはストレート部分が長さ約50mにもなる廊下!うち30数mは畳敷きになっています。あちらこちらで「掃除が大変そう」とう声が漏れていました(笑)。

旧伊藤伝右衛門邸

 細かな部分に目を向けても、随所に装飾や意匠が施されているのには驚きます。今回は大勢の人に押されるようにしての見学になったので、見逃している部分も多いはず。しばらくしたら見学者数も落ち着くでしょうから、もう一度ゆっくり見学したいものです。

関連記事:
マップ No.22 宝珠山炭坑

関連サイト:
飯塚市役所ホームページ」> 旧伊藤伝右衛門邸
飯塚商工会議所」> 観光情報 > 旧伊藤邸の保存を願う会
東峰村」> いぶき館
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旧農林省米穀倉庫事務所

 北九州市門司区旧農林省米穀倉庫の続きです。倉庫から引込み線を挟んだ南側に隣接する場所に事務所棟があります。敷地の外からフェンス越しに見ることはできますが、生い茂った木々が邪魔をして建物の全体像はつかめません。

旧農林省米穀倉庫事務所

 倉庫と同じく昭和2年に建築された建物は、シンプルな容姿ながらも縦長の窓や小さな装飾などがレトロな良い雰囲気を作っています。

旧農林省米穀倉庫事務所

 倉庫と事務所の間には門司港駅よりつながる引込み線が通り抜けていますが、現在はこのように厳重にゲートで閉じられています。写真左側が倉庫で、右手奥が事務所になります。現在はこの引込み線も廃止されています。

旧農林省米穀倉庫事務所

 事務所は倉庫と同じく現在使用されていません。建物をよく見てみると窓ガラスが割れたりして結構荒れており、もう少し進行したら“廃墟”と化しそうです。折角、広い敷地と豊かな緑の中にあるので何かに利用されるといいですね。カフェやレストランでもステキかも。

旧農林省米穀倉庫事務所


関連記事:
旧農林省米穀倉庫
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旧農林省米穀倉庫

 以前紹介したJR門司港駅から伸びる廃線跡を辿って、最終的に行き着いた先がこの広大な倉庫群。一見して古い切妻屋根の大きな建物が、一列に10棟並んだその姿はまさに圧巻。そして倉庫と隣接して門司港駅から続く線路があり、以前は多くの物流があったことを想像させます。

旧農林省米穀倉庫

 この倉庫群は、政府米の備蓄倉庫だったもの。「北九州の近代化遺産」によると、この倉庫群は農林省によって昭和2年・昭和3年に建てられて以来、国産米、輸入米、輸入麦などの保管に使われていたそうです。平成6年で閉鎖され現在は使用されておらず、平成14年には払い下げが決定したといいます。倉庫の再利用方法は北九州市へ委ねられているとのことですが、建物を活かした良い転用方法が見つかればいいですね。

旧農林省米穀倉庫

 倉庫の周辺は高い塀や鉄柵などで完璧に囲まれており近付くことはできません。更には監視カメラも数箇所に設置されているので、こっそり…などももってのほか。しかし、近くから建物を見ることができるビューポイントがいくつかありますので、そこから十分観察できます。倉庫には特徴となる装飾などはありませんが、切妻の三角部分が白いタイル張りになっており、さらに屋根に近い部分がスクラッチタイルで縁取られています。遠目で建物を見たときはスクラッチタイル部分が一瞬赤煉瓦に見えて「おお!煉瓦倉庫!?」なんて勘違いもしました。

旧農林省米穀倉庫

ひさしを支える鉄骨に微妙なカーブを持たせているのもいい雰囲気ですね。それにしても、あまりの広さに倉庫の一番奥の方は霞んじゃっています(笑)。


 のこぎりの刃のようなギザギザの影を落としている赤い屋根の建物が旧農林省米穀倉庫。建物の南側は鉄道、北側は海に面しており、鉄道に加え船による物流にも対応していたと思われます。

関連記事:
旧農林省米穀倉庫事務所
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旧麻生商店若松支店と古河鉱業ビル

 福岡県北九州市若松区に古い洋館が集まった「若松バンド」と呼ばれる地区があります。中でも旧麻生商店若松支店(昭和11年竣工)と古河鉱業ビル(大正8年竣工)の2つの建物はオリジナルの美しい姿を留めており、Web上などでもよく紹介されています。私が興味を持ったのはtksさんのブログ「ALL-A」で昨年12月に紹介されたその記事を見てから。掲載されている写真はまるで外国の風景のようでとても美しく、是非自分の目で見てみたくなりました。北九州のレトロな町並みと言えば門司港周辺だけだと思っていたのですが、若松区も明治期から石炭の積み出し港として栄えたため、現在でも古い洋風建築が残っているようです。他にも何かありそうで、ますます行ってみたくなりました。

 ただし行くなら急がなくてはなりません。旧麻生商店若松支店は解体が決まっており、跡地には12階建てのマンションが建設されるとのこと。しかし、なかなか時間が作れず…。先月(2月)になって北九州方面に行く用事があり、どうにかついでに若松まで足を伸ばすことができました。夕方になったものの、天気はよかったので街は夕日に照らされていい雰囲気です。これならいい写真もとれるかな、なんて期待してたんですが…。

2007年2月4日撮影 旧麻生商店若松支店と古河鉱業ビル

 なんてこったい。キレイさっぱりに更地になってました。写真右側の建物が古河鉱業ビルで、左側の空き地が旧麻生商店若松支店が建っていた場所です。一足、いや二足ほど遅かったようです。がっかりして跡地を見つめていると、隅っこになにかが残っているのに気が付きました。

2007年2月4日撮影 旧麻生商店若松支店と古河鉱業ビル

 旧麻生商店若松支店の建物で使われていた石材でしょうか。なぜコレだけが残されているの?真新しいキズがあちこちに付いているので、記念碑とかに使う訳でもなさそうですが…。

2007年2月4日撮影 旧麻生商店若松支店と古河鉱業ビル
 
大正8年生まれの古河鉱業ビル。長年向かい合ってきた相棒をなくしたようで、ちょっと寂しそうでした。

関連サイト:
ALL-A」> 旧 麻生商店若松支店0102030405
『北九州の近代化遺産』のつくりかた。」> 麻生商店若松支店
洞海湾通信」> 若松バンド(1)(2)(3)(4)
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旧三井港倶楽部

 広大な庭園を持つ優雅な西洋建築の旧三井港倶楽部は、三池港に入港する外国船などの高級船員たちの宿泊所・接待所として明治41年(1908年)の三池港開港と同時に開館。炭鉱全盛期には三井財閥の社交場となり、皇族や政財界人、外国人技術者などの迎賓館としても使われました。

三井港倶楽部

 近年はレストランや結婚式場として使われていましたが、所有している三井鉱山が産業再生機構の支援を受ける中で営業を停止することになります。平成16年12月25日で閉館され、三井鉱山は大牟田市に買い取りを打診しますが財政難によりそれを拒否されます。しかしすぐに保存を求める声があがり、地元経済界有志により保存会が設立。市民やNPO法人「大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ」と共に、保存へ向けた署名運動がスタートします。結果、約1か月あまりでおよそ2万8千人もの署名が集まりました。

三井港倶楽部

 地元経済界により(株)三井港倶楽部保存会が設立され三井鉱山と売買交渉を進めた結果、7,000万円で譲渡が決定します。当初2億5千万円を提示していた三井鉱山ですが、地元が所有するならばということでこの価格になったのでしょう。閉館から約1年後、多くの人々の願いにより新会社のもと旧三井港倶楽部は再びオープンすることができました。

三井港倶楽部

 現在も結婚式場やレストランとして営業されています。レストランは本格的なコース料理以外にも手軽なランチや喫茶メニューがありますので、見学がてらコーヒーでもいかがでしょう。当時のままという建具や家具、また収蔵される美術品も見ておきたいものです。

三井港倶楽部

 旧三井港倶楽部は三池港のすぐ近くにあるのですが、以前紹介した三川坑が西側に隣接してあります。

関連サイト:「旧三井港倶楽部
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