マップ 報告書 掲示板 リンク 雑記帳
このサイトについて お問い合わせ TOPページへ 九州ヘリテージ

九州の近代化遺産・産業遺産を見て・調べて・紹介!するブログ

三池港

 福岡県大牟田市にある三池港は、三井三池炭鉱で産出された石炭を船で運び出すため三井鉱山合名会社の専用港として1908年に開港しました。それまで三池炭鉱で産出した石炭は、小船で長崎県口之津港まで運び大型船に積み替えられていましたが、産出量の増加に伴い大型船に直接積み込みが出来る港が望まれるようになりました。築港の指揮を取ったのが三池鉱山理事の團琢磨。干満の差が大きく干潟が続く遠浅の有明海に、大型船が入港できる港を作るのは普通では無理です。そこで團琢磨は港を内港と船渠とに別け、船渠と呼ばれる港の一番奥を閘門(こうもん)という開閉式の扉で仕切れるようにしました。これにより、干潮時でも船渠の水深を保つことができ大型船の来航も可能になりました。

 このような大工事が100年もの昔に行われていたのも驚きですが、その当時の施設がそのまま現役で稼動しているのがこの三池港の最大の特徴です。美しい切石組みの岸壁、閘門、閘門水圧ポンプなど明治時代からの姿で現在も活躍しています。

三池港

 内港奥から閘門、船渠と海側を見た写真です。写真中央あたりが閘門。閘門の両サイドに左右対称にあるのがスルーゲート。

三池港

 開かれる閘門。月に数回、不定期に開閉されるようです。

三池港

 内港の水位を調整するスルーゲート。煉瓦と石材により美しく組み上げられています。

三池港

 閘門を動かす水圧ポンプ。閘門は油圧ではなく水圧で駆動されています。ポンプに油でなく水を使うのは、万一の漏洩事故を考えてのことだそうです。

三池港

 閘門の開閉操作を行う管理棟。ペンキで綺麗に手入れがされていますが、かなり古そうな木造平屋の建物。水圧ポンプなどもこの中にあります。おそらく開港当時からの建物だと思われます。

 現在、三池港周辺の風景は急速に変化しつつあるようです。93年間も三池港内港にあった石炭積み込みローダー「通称:ダンクロローダー」は、平成16年11月に解体されてしまいました。また港の東側には炭鉱鉄道などの軌道敷の痕跡が残っていますが、道路拡張工事などが始まっておりそれらもいつまで残っているかわかりません。

関連サイト:
 「三池港
 「大牟田の近代化遺産」 > 三池港
遺産探訪/建築・土木関連 | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

早野ビル

 熊本市の市街地にも、多くはありませんが古いビルが幾つか残っています。その中でも錬兵町にある早野ビルは、誰が見ても他とは違う雰囲気を感じるのではないでしょうか。角地という立地で、角に向かって階数が高くなっているのは遠近感を強調するデザインのようですが、確かに下の写真のように見ると手前の塔屋部分の高さが強調され迫力があります。
 
早野ビル

 早野ビルは鉄筋コンクリートの4階建てで、大正13年に熊本初の民間の貸事務所のビルとして竣工。同時期に開通した市電と一緒に近代熊本市の顔となったそうです。このビルの前を市電が通る光景は大正時代からのものなんですね。
 
hayano

 近くからよく見てみると、いたる所に細かな装飾が施されていて驚かされます。このような小さな部分が全体の趣のあるいい雰囲気を作り出しているのでしょう。窓周りの装飾や外壁に施されている柱の意匠などは、大正期の事務所ビルの代表的な特徴だそうです。

早野ビル

 現在も1階は貸店舗2室、2〜4階まで17室の貸事務所になっています。設計は矢上信次。登録有形文化財。
遺産探訪/建築・土木関連 | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

西村家(旧清永家)住宅

 以前に煉瓦の防火壁ネタで、北九州市門司区にある「岩田家住宅」を紹介しました。門司の岩田家住宅は道路に面している部分以外全て煉瓦の防火壁で囲まれていて、周辺の建物が取り壊されていることもあり、その強固な守りがよくわかる状況でした。そんな状況によく似た物件を、熊本市の古い町並みが残る唐人町で見つけました。

 この物件は南側が道路に面しており、西側と東側に立派な煉瓦の防火壁を持っています。両隣が駐車場になってしまっているので、その煉瓦壁を近くからよく見ることができます。下の写真は東側を撮影したもの。建物の屋根の形に合わせて煉瓦壁が作られています。

西村家(旧清永家)の東側

 西側の煉瓦壁と建物の間には通路がつくられています。その為か、建物の形に関係なく矩形になっています。

西村家(旧清永家)の西側

 南側は道路、西と東は防火壁。では北側はどうなっているかというと、熊本城のお堀を経由してくる坪井川が流れています。下の写真は遠くから撮影したもので少し分かりづらいかと思いますが、西側の煉瓦壁が見えているので位置が分かるかと思います。

西村家(旧清永家)の北側の坪井川

 坪井川に面した部分は庭になっているようで、北側も“防火壁”と同様の効果はあるでしょう。

 この熊本市唐人町の物件ですが現地にはなんの案内板もなく、特に文化財になっている様子もありませんが、熊本県教育委員会が作った「熊本県の近代化遺産調査報告書」に西村家(旧清永家)として掲載されていました。それによると竣工したのは大正6年で、伝統的なつくりの中にもデザイン意識に満ちている貴重な近代数奇屋風書院とのこと。明治期から大正期にかけてここ唐人町は熊本市の繁華街になっており、多くの町家が軒を連ねていたそうです。現在も周囲には同時代のものと思われる建物が多く残っています。

特徴ある防火壁の端部分

 これは道路側に突き出た東側防火壁ですが、かなり凝った加工が施されています。門司の岩田家住宅にも同様の加工を見ることができますが、この時代のトレンドだったのでしようか。煉瓦の防火壁に詳しい方いませんか?(笑)
遺産探訪/建築・土木関連 | permalink | comments(2) | trackbacks(0)

旧長崎刑務所

 来年で竣工してちょうど100年になる大規模な煉瓦建築群が、長崎県諌早市にあります。それは明治の五大監獄の一つに数えられた旧長崎刑務所なのですが、驚くことに現在は荒廃した廃墟になっています。

旧長崎刑務所

 明治期に欧米の刑務所を参考にした近代的な刑務所が、全国5か所に作られました。いずれも山下啓次郎(山下洋輔の祖父!)という建築家が設計をしたもので、千葉、金沢、奈良、長崎、鹿児島に作られ“明治の五大監獄”といわれています。その五大監獄も現存するのは奈良少年刑務所と千葉刑務所の2か所だけで、金沢と鹿児島は解体されてしまっており門などの一部が保存されているだけです。

旧長崎刑務所

 九州においてはこの長崎刑務所が唯一現存する五大監獄の一つになるわけで、近代刑務所としての歴史的価値はとても高いものではないでしょうか。煉瓦建物や近代建築としてみても、これほどのものはそうはありません。今までに文化財などに指定されなかったのが不思議です。

旧長崎刑務所

 長崎刑務所は平成4年に同市内の別の場所に移転にしており、明治から使われてきたこの刑務所施設の役目は終わっています。しかし、高い煉瓦塀と凝った装飾が施された門は未だ堂々としており威厳を失っていません。刑務所の周辺には空き地が広がっていますので刑務所の広さを実感することはできますが、残念ながら塀の内部はこの正門の鉄格子の隙間から垣間見ることしかできません。塀に隙間などあれば内部を覗けるのですが、さすがに刑務所なだけにガードは完璧です(笑)。

旧長崎刑務所

 窓が割れたり屋根が落ちたりと荒廃は進んでいますが、煉瓦壁などはいい状態に見えますので建物を転用することは可能だと思います。しかし敷地の大部分の約17300坪が平成16年11月に競売に出され、昨年の夏に売却先が決定したようです。これでもう国や市などでの保存は見込めないので、このままだと解体されることになるのでは。実は私がこの長崎刑務所を訪ねたのは昨年の秋です。最新の状況は知りませんので、もしかしたら…。どなたか詳しくご存知の方がおられたら教えてくださいませ(汗)。長崎刑務所、百年目を迎えられるのでしょうか。

関連サイト : 建築マップ > 旧長崎刑務所
遺産探訪/建築・土木関連 | permalink | comments(2) | trackbacks(0)

岩田家住宅

 福岡県北九州市門司区の関門トンネル入り口近くの角地に、市指定有形文化財の「岩田家住宅」があります。明治32年創業の酒類販売を行う岩田商店の本店として、大正11年に建てられた木造二階建ての和風建築物です。母屋と土蔵からなり、外壁を鼠漆喰で仕上げる“居蔵造”という伝統的防火構造が特徴です。

岩田家住宅 正面から

 当サイトで扱うカラーとは少し違う物件のような気もしますが、実はこの建物にはもう一つ大きな特徴があるので紹介したいと思いました。前回紹介しました“防火壁”に対しての私の勘違いですが、この「岩田家住宅」に一番に出会っていたらそんな勘違いもなかったかもしれません。現在「岩田家住宅」の建物周辺は全て更地になっており、全ての方向からその姿を見ることができます。下の写真が「岩田家住宅」の背面から撮影したものです。上の写真のちょうど反対側から見た感じになります。

岩田家住宅 背後から

 写真でもうお分かりかと思いますが、裏側は全て煉瓦で積まれた“防火壁”により強固に守られています。市の案内板には、この防火壁と居蔵造により昭和7年の大火災と昭和20年の門司大空襲からも焼失を逃れることができたと紹介されています。角地にある上に、これだけの煉瓦の壁で周りを囲めば確かに延焼することもないでしょう。

岩田家住宅 防火壁

 守るべき建物に対して防火壁が随分大きくなっている部分もありますが、おそらく隣にあった建物にあわせてこのような形になったのでしょう。ところで、防火壁ってどういう感じで造られたんでしょうか。きっとお隣同士で話し合って作るんでしょうけど、費用は折半なのでしょうか。それとも言いだしっぺが負担したんでしょうか。そんなことを疑問に思いながら、最近は古い町並を見つけると、ついつい煉瓦の“防火壁”を探してしまいます(笑)。
遺産探訪/建築・土木関連 | permalink | comments(4) | trackbacks(0)

旧井芹銀行本店

 大正9年、熊本県でも有数の大地主である井芹康也氏が地元の宮原町(現・氷川町)に井芹銀行を設立しました。九州実業銀行を買収しスタートした井芹銀行は、大正14年に新たに本店を建設。写真左手の建物がその本店で、奥が天保3年(1832年)に建てられたとされる旧井芹家住宅です。

井芹銀行本店

 井芹銀行は昭和17年に肥後銀行と合併し、本店の建物は昭和44年まで肥後銀行宮原支店として使用されました。現在は「まちづくり情報銀行」として企画調整課の職員が常駐し、地元住民の交流の場となっているそうです。

井芹銀行本店の装飾

 パラペット中央部や柱頭の装飾がレトロなよい雰囲気を出していますが、設計・施工ともに地元の業者が行ったということが「特異な点」として案内板に紹介されています。

 旧井芹家住宅は個人の住宅として使用されていたものを、平成7年に町が買収し、現在はイベントや研修などに使われているそうです。この旧井芹家住宅の北側には隣接する商店との間に煉瓦で造られた立派な壁があります。

旧井芹家住宅北側の防火壁

 このような敷地境界に煉瓦の壁が残る光景は今まで何度か見たことがあったのですが、私はずっと大きな勘違いをしていました。その勘違いとは、煉瓦の壁の意味です。私はずっと、隣の敷地には元々煉瓦の建物があり、それが取り壊されて敷地境界の壁だけが残ってしまい、このような状況になっているんだと思っていました。密集して建物があるところで見かけるので、境界の壁を隣同士で共用してしまった為に、片方が取り壊されると境界の“壁”だけが変に残ってしまうのだと考えていました。ちょっと分かりづらい説明だと思いますが、簡単にいうと“取り壊された建物の一部”と思っていた訳です。
 しかし、今回その勘違いに気づくことができました。現地の案内板には「北側の敷地境界には、煉瓦をオランダ積みにした防火壁も造られた」と。そう、煉瓦の壁は防火壁だったんですね。古い建物が密集しているところで見かけるのも納得です。こんなことは常識なのかもしれませんが、私にとっては新たな“発見”でした(笑)。
遺産探訪/建築・土木関連 | permalink | comments(2) | trackbacks(0)

三角西港

 熊本県宇城市三角町にある三角西港は来年で開港120周年を迎えます。この港は明治時代の三大築港の中のひとつで、明治政府の殖産振興政策のもと明治17年から3年の歳月をかけ建設されました。港の周辺も都市計画によって整備され、警察署から宇土郡役所や裁判所なども同時期に建設されています。そしてそれら明治の都市計画で作られたものが、ほぼそのままに残っているのがこの三角西港の最大の特徴です。

三角西港

 美しい石組みの埠頭もそのまま残っています。当時は浮桟橋が掛けられ500トンの船が着けられたそうです。休日は釣り客で賑わいます。

九州海技学院

 港から歩いて数分のところにあるこの建物は、明治35年に宇土郡役場として建設されました。大正15年からは三角町役場として使われ、昭和32年より三角町立海技学院の校舎として使われています。現在も「宇城市立九州海技学院」として3〜6級海技士や各種免許の講習が行われています。

旧簡易裁判所

 海技学院の近くにあるのが明治23年に開設された簡易裁判所。木造平屋建ての立派な建物で、裁判に関する書類や資料を収める煉瓦建築の倉庫も併設されています。

 周辺には他にも当時の建物が残っており、それらは各所に立てられた案内図・説明板によってわかりやすく見て回ることができます。そのような中、案内図にも載っていない古い建物を発見しました。しかも旧簡易裁判所からすぐのところにです。軒先の飾りや全体の造りからして、結構古い建物のよう。また建物までのアプローチには煉瓦も使われており、ただ古いだけの建物ではない様子。しかし説明板もないので正体は謎です。

住宅

 よく見てみると洗濯物が干してあったり、周りに花が植えてあったりするので住宅として使われているようです。と、ちょうど一人のおばあちゃんがその建物の中に入っていくではありませんか。挨拶をし事情を説明して、この建物について聞いてみました。おばあちゃんはよく知らないとのことでしたが、中からおじいさんが出てきて親切にいろいろと話をしてくれました。それによると、この建物は裁判所に勤める司法書士(職員?)の住居として、旧裁判所と同じ明治期に建てられたとのこと。裁判所が閉鎖されたあとに民間に売られて現在に至っているという話でした。なるほど、ただならぬオーラを出している訳です(笑)。しかし現在も個人の住宅として使われていますので案内図には載らなかったのでしょう。住宅は港より一段高い山側にあり、港と海が見渡せる眺めの良い場所にあります。
遺産探訪/建築・土木関連 | permalink | comments(10) | trackbacks(0)

明正井路一号幹線一号橋

大分県竹田市にあるこの石橋は、大正8年に竣工した灌漑用水の現役水路橋です。田園地帯にある全長89.2mにもなる石積みの六連アーチはとても存在感があり、石橋に興味がない人でも初めて見たらきっと驚くのでは。竹田市には他にも笹無田石拱橋(大正6年竣工)や鏡石石拱橋(明治42年竣工)など、大型の石積み水路橋が現役で田畑へ水を運んでいます。
明正井路一号幹線一号橋
遺産探訪/建築・土木関連 | permalink | comments(6) | trackbacks(1)
<< May 2019 >>
SunMonTueWedThuFriSat
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
九州ヘリテージいち押し!
肥薩線の近代化遺産
肥薩線の近代化遺産
熊本産業遺産研究会
雑記帳でも紹介しています。
最近のコメント
最近のトラックバック
プロフィール
購 読
RECOMMEND
廃墟という名の産業遺産
廃墟という名の産業遺産 (JUGEMレビュー »)
小林 伸一郎,栗原 亨,酒井 竜次,鹿取 茂雄.他
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
九州遺産―近現代遺産編101
九州遺産―近現代遺産編101 (JUGEMレビュー »)
砂田 光紀,国土交通省九州運輸局,九州産業・生活遺産調査委員会